第24話 馬車に揺られる

 読者諸君――乗り物は好きだろうか。


 と、それよりも先に、久しぶりと挨拶した方がいいだろうか。しばらく振りであった。さてさて、久しぶりの登場に皆々様の心中は如何だろうか? 歓喜している者は……少ないであろうが、憤慨している者が少ない事を祈ろう。


 さて、乗り物は好きか? 人類が最初に発明しいたのは現代でいう、カヌーに近しい船だと言われている。その話を聞いて、まあ、そうだろうなって印象を抱いたのは俺だけではないだろう。そして、長い人類の歴史の中で、より早さと安全性を追求していき、自転車や自動車、飛行機、船、潜水艦にロケットと様々な乗り物が研究されていった。今では安全に空を飛べるようになった。エベレストでさえも沈めることができるマリアナ海溝を潜水だってできる。

 そして、現在になり某お金持ちで沢山お金を配ってくれる社長の様に、民間人でも多額の金銭を支払えば宇宙にも行ける。運転さえも自動になろうとしている。水素をエンジンにして車が走ろうとしている。来てるぜ! 未来!! そう、時代の移ろいと共に変化する物は乗り物の変わる。進化する。人類の歴史とは、乗り物の歴史と言っても差支えがないだろう。


 俺は言いたい。はっきりと申し上げたい。


 乗り物が嫌いであると。乗り物が大っ嫌いであると。


 世の中には車、バイク、電車、新幹線、飛行機、ロケットと多種多様な乗り物があり、それぞれに愛好家がいるが、誤解をしないで頂きたいのは、決して乗り物が好きな人の事を嘲笑したい訳でも、馬鹿にしている訳でも、貶めたい訳でもない。俺個人の嗜好の話であると。決して、君たちの崇高な趣味を馬鹿にする気はない。だが、俺は乗り物が嫌いだ。


 どれくらい嫌いかといえば、なんの努力もせずに顔がカッコいいだけでモテる奴くらい嫌いである。


 さて、どうして嫌いなのかと問われれば、至極真っ当で、簡単で、つまらない答えになる。


 ――酔うのだ。


 正確に言えば幼少期の頃の俺は酔いやすい体質であった。


そして、乗り物に酔うと、どうしようもない程の吐き気とめまいと、頭痛を只々目的地まで耐えるだけという苦行が、依然としてトラウマの様に記憶に焼き付いている。


 幼少の頃の俺は本当に乗り物に酔う。酔いやすい体質だったのだろう。三半規管が脆弱だったのだろう。あまりにも酔うので、母親からおへそに梅干を貼られた事がある。本当の話だ――

 そして、ガムを噛むと酔わないという対策を導き出したが、それも体調によってまちまちである。酔い止めの市販薬は効かない。その効果を実感した事は一度としてない。


 よく、車の運転をするようになると酔わなくなるというが、確かに運転をする様になる年頃になると自然と乗り物酔いをしなくなった。おへそに梅干を貼る必要もなくなった。ガムを噛む必要もなくなった。


 だが、乗り物に乗ろ時には既にメンタルでやられているのだ。つまり、車内のあの独特な臭い。あの臭いを嗅いだ時から、ああ、気分が悪い。絶対に気持ち悪くなる。なんなら既に気持ちが悪い。そんなマインドである。


 車に乗っている犬が、走行中に車窓から顔を出している光景を見た事があるだろうか? 俺にはあの気持ちがよく分かる。なんなら、犬の様に車窓から顔を出したい気持ちになる。だが、僅かな羞恥心と大人としての理性がそれを思い止まらせる。



 ◆◆



 清々しい朝が迎える今日という日に、俺たちは馬車に揺られていた。


 『スーアンコ』を目指して出立してから随分と時間が経った。陽が昇り、昼に差し掛かろうとしている。昨日、宿泊した宿では随分と心身を休ませたにも関わらず、心地の良い陽気が眠気を誘う。


 今日は帝国の中心部の街まで行き、 という町で宿場を借りるとの事であった。そして、明日の昼頃には『スーアンコ』の地に着くらしい。


 エグレからはその計画でも問題はないか? と、確認をされたが、別に帝国に関する立地がまったく分からない俺からすれば、異論などがある訳がない。


 強いて言うならば、一日中歩き回った昨日とは異なり、馬車に揺られるだけの今日であれば、別に夜間の移動であっても然して問題はない。その為、一日中、馬車が走り続ければ明後日の朝には着くのではないかと思うが、それは現実的に難しいのだろう。端的に言えば、馬に休養が必要という至極当然の理由である。


「それにしても、立派な馬車ですね。これだけの物を用意できるなんて流石は名家の公爵様で在られる」


 エグレは感心した様に言う。


 確かにこの世界では家畜の技術が未発達なのか、生き物を利用した事業や生産を目にした事がない……気がする。ただ、前の世界でも然して生き物は、ペットとして飼われていた犬か猫しか日常的に見掛ける事もなかったから、別に今の今までその事に関して不思議には思わなかった。


「ここまで立派な物は、いくらはパワー家であってもこの一台しかありません」


「パワー家って?」


 不意に出てきたパワー家という名前に、つい俺は口を挟んでしまった。


「スーアンコ公爵の名前ですが?」


「……その公爵はパワー・スーアンコって名前なのか?」


「いいえ、違います。パワーは名前で『スーアンコ』は土地名です」


 ますます混乱する。


 見かねたエグレは俺に助け舟を出す。


「要するに公爵という爵位が与えられた人は複数人いるでしょ。その時に公爵だけではどの公爵か分からないから、識別する為に爵位を与えられる時に、一緒に褒賞として渡された領地の名前で呼ばれる事があるのよ」


「つまり、パワーさんが公爵と『スーアンコ』の領地を与えられたから、スーアンコ公爵と呼ばれているってこと?」


「まあ、そういう事ね」


 ――貴族社会というのは俺には縁遠く、よく分からない。まあ、勉強もしてはいないのだが。だが、憧れる! 貴族の地位は。だってそうではないか。目を覚ましたら、美人なメイドがいて、食事は美人なメイドが作ってくれたお洒落なモーニング、美人なメイドが衣服の用意をしてくれて、美人なメイドに見送られて出立する。そして、帰りを美人なメイドが待っている。羨ましい生活ではないか!!


 いや、多分これは、貴族に憧れているのではなく、美人なメイドがいる生活に憧れているのだな。うん、間違いなく。


 しかし、やはり貴族なんて特権階級は俺には縁遠い社会であろう。


「貴族なんて王国にはいないから分からないよ」


「なに言っているの? 貴族なら王国にもいるわよ」


「ええ? そうなの?」


 俺は長らく王国に住んでいるが、貴族なんか見た事も聞いた事もない……はずだ。


「帝国の様に国政に携わっていないから、あまり人の目に触れる事がないだけで、結構いるのよ。まあ、過去の様な待遇はないし、かの戦争の時には増税されたり、徴兵されたりと力を益々弱めたみたいだけど。一部の大貴族は今も尚、広大な領土を所有しているから」


「広大な土地を擁してどうするんだ? 国家の転覆を企んでいるとか?」


「まさか! 今も力のある爵位のある人間はそれだけ商才があって、自身の領地やかつての地位を上手に利用しているってだけの話よ」


「結局、優秀な人間は貴族の地位を失っても優秀って事か」


「そういえば、貴方も叙爵されていなかった?」


 その言葉に驚嘆する。俺が貴族? 特権階級・上級国民・上流社会の一員だと言うのか? だが、まったくもってその恩恵を受けた事も、そんな地位にいると自覚した事もない。


「俺が? なんの階級?」


「ええ、多分だけど、 国王陛下から叙爵されていたと思うけど、覚えいていないの? それに、十年も前の事だし、階級までは知らないわよ。てかさ、なんで自分の事なのにわたしに訊くのよ?」 


「へー、あの頃はいろいろな物を授与されたから、なにがなんだか覚えていないんだよ。でも、帰国したら調べてみよ。しかし、帝国とは違って、王国で爵位を持っていても別に何の役にも立たないだろ?」


 貴族院議員制度が廃止され、国政も民主化されてから随分と時間が経っている事は知っている。


 だが、依然として専制主義の国が多い事がこの世界での実情である。そして、帝国でも依然として貴族の力が強いのだろう。


「まあ、 王室行事に参加したり、叙爵式に参加できたりとか、色々と爵位がないと経験できない事もあると思うけど……あなたは興味がないでしょ」


「ないね、まったく」


 確かに言われて見れば、

なにより、今の非生産的で只々、死を待つだけの無駄に時間を浪費するだけの生活にかなり満足しいてる。今になって上流階級として責任と自覚のある生活なんて真っ平ごめんである。


「やはり、エグレ様のお連れ様なだけあって、優れた御方なのですね」


 と、ランフェルは尊敬した様な眼差しで、感心した様に言う。


 だが、優れた人間という評価は過分であろう。だって、自身が叙爵しているかも覚えていないような、自身の爵位も知らない様な、そんなマヌケで無能な俺が優れている訳がないのだから。



「是非、パワー家の者がエグレ様にお会いしたいと申しておりまして、差し手がましいお願いではありますが、明日、スーアンコの地に到着した際に、パワー家の屋敷に立ち寄っては頂けないでしょうか?」


「別に構わないけど……」


 エグレはそう答えると、ちらりと俺を一瞥する。


 別にお呼ばれされているのはエグレであって、俺ではない。


「別に問題はないだろ」


「ありがとうございます。領主もお喜びになるでしょう」


「それで、スーアンコの地では、その噂のスーアンコ公爵が出迎えてくれるのかい?」


「いえいえ、スーアンコ公爵は病の床に臥せておりますので、第一継承者のロスコッキング伯爵がお出迎えする予定です」


「……第一継承者のロスコッキング伯爵? その人はスーアンコ公爵とどういう関係なの?」


 また新たな名前と爵位、単語が出てきた。なに? 第一継承者って? 誰だよロスコッキング公爵って? 年々、記憶力が低下して人の名前を覚えるのが辛くなってきているというのに、これ以上、登場人物を増やさないでくれ。しかも、名前とは別に爵位と役職まで覚えないといけない。もう、誰が何だか分かんなくなってきた。


 ――パニック!!!! まさにパニックウウウウウウウウウウウウウ!!!!!!


 俺の心中はそんな感じである。


「つまりはスーアンコ公爵のご長男です」


「公爵の息子は、また別の伯爵なのか?」


「本来であれば、爵位の継承は当主の死後でないと世襲できないのですが、上級貴族に限っては、第一継承者のみは持っている爵位で二番目にある爵位を儀礼的に継承が可能なんですよ。だから、領主のご長男が二番目の爵位であるロスコッキング伯爵を継承しているのです」


「それで、ロスコッキング伯爵の爵位を継承しているという事か……そんなに爵位って幾つも持っているものなの?」


「まあ、上級貴族の方々は大抵が複数個の爵位を叙爵されていますね。それに、出世と共に新たな爵位が与えられるのが一般的ですので、我がパワー家も七つの爵位を持っております」


「七つ? そんなに必要なの?」


「まあ、必要かと言われれば困りますが、爵位とは功績に対する誉れですから、幾つあっても嬉しいものとは、領主は言っておりましたが」


 そういうものか? いや、俺はそうは思わない。功績や称号が増えれば増えるほど、この人はさぞ立派なんだろうと、人格者なのだろうと人は勝手に色眼鏡をして俺を見る。そして、そんな人たちの期待に添える様な人間ではない事を自覚している。俺は自覚している。人の手本になる様な、人に尊敬される様な人間ではない事を。


 ―――車窓から流れる移ろい往く街並みを眺めながら、ガタゴトと馬車に揺られる。畑ばかりが広がる農村から、建造物が建ち並ぶ主要都市へと走り進んで来た様だ。見慣れない街並みに、心なしかワクワクしている。それと共に不安もある。


 そうだ、これが冒険だ。久しく実感していなかった感覚――


 久々の旅はエルフの集落を目指している。いいじゃないか、旅らしい目的で。さあ行こう。『第三都市スーアンコ』の地まで。

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