第23話 帝国への入国

 

 ◆◆



 この旅で二度目の検問所へ訪れたのは、日暮れが差し迫った頃であった。空は随分と赤く染まっているが、木々が邪魔をしてその神々しい姿をこの目で見る事はできない。だが、陽が傾いている影響か、日中に暖かさはだんだんと落ち着きを見せ、次第と肌寒い風が俺たちをなびいていた。


 森を抜けた先にその建物はあった。カントン平野の簡素な物とは違い、先が見えないほど高い壁に、併設されたように随分と立派な建造物である。帝国と王国が共同で建築したというこの建物は帝国が設計をしたのか、王国では見慣れない石材を使用した造りとなっていた。


 昨日は王国の検問官であったが、今回は帝国の検問官からの入国審査が行われる。久しぶりに王国から出る為、独特で緊迫感のあるこの雰囲気を懐かしく思うと共に、国家間の通行での入国審査は異常なほど厳しく、時間が掛かるが為に憂鬱な気持ちにもなる。


 が、そんな心配とは裏腹に慮外な事が起きる。


 エグレは検問官に一枚の紙を渡すと、帝国の検問官たちは慌てながら、奥の部屋へと案内をする。しばらく待っていると慌てた様子で太った男が部屋に入ってきた。


 その男はこの検問所の責任者だと名乗り、幾人かの検問官と共に、簡単に身体検査と荷物検査を終えてすぐに検問所から解放された。それと同時に、帝国への入国を果した。


 長丁場になると覚悟は肩透かしを喰らったようで、なんだか気持ちが悪い。行列ができてると噂のラーメン屋に並ばずに入店できた様な、テレビで山盛りで出てくると報道されて、並々ならぬ覚悟で注文した海鮮丼が思ったよりも普通だった様な、予約の取れない寿司屋がすぐに予約できた様な、先行するイメージで覚悟していた事が打ち砕かれる、そんな随分と不自然で奇妙な経験である。俺は堪らずにエグレに問う。


「随分と簡単に入国できたが、君が渡した紙は何だったんだ?」


「スーアンコ公爵の案内状よ」


「案内状?」


「帝国は依然として貴族の力が絶大なの。その中でも公爵の地位を爵位された者は国家の行政に携わる力があるから、誰も逆らう事ができないのよ。そんな人がこの国に招待しているというのに、入国を拒んだり、長時間拘束したら処罰の対象になりかねないでしょ。だから、迅速かつ簡単に入国ができたって訳」

 

 簡単に言えば忖度という訳だ。なんだか夢の国の優先案内整理券のような物だろう。ずるをしたようで何とも言えない申し訳なさがあるが、ふと周囲を見渡すも俺たち以外に入国の手続きを待たされている人間はいない。そう、この場所には俺たちと検問官以外には誰もいないのだ。別に俺たちの所為で損害を被る人間はいない。その事実だけが心を軽くする。


 そして、しみじみと思う。


 ――この程度の事で後ろめたさを感じる俺は、ブルジョアにもなれないんだろうな。



 ◆◆



 帝国へ入国すると景色は一変する。


 広大に広がる麦畑に、ちらほらと散見される石造の建造物――


 どこかヨーロッパの街並みに似ている。行った事がないから知らんけど。


 しかし、この景色には本当にどこか既視感がある。なんだったけなーーー。そうか、ゴッホの『ライ麦畑』や、ミレーの『落穂拾い』だ。なんて、絵画に例えると知的でロマンチックな印象を抱かれる。いやいや、本当に。例えば、「モナリザの様な微笑み」とか、「フェルメールブルーの様な鮮やかな、海を越えた青色」とか、「印象・日の出の様な美しく雄大な景色」とか、「我が子を食らうサトゥルヌスの様な迫力」とか、そんな表現をすれば、「知的やん」、「素敵やん」って思わず関西人でもないくせに関西弁になってしまう。ホンマやん。


 君たちも気になるあの娘とデート行った際に海を眺めながら、「この景色を君と見たかったんだ。この、『エトルタの壁、嵐の後』の様な絶景を」なんて言ってみなさい。彼女はよく分からなくても何となく「素敵やん」と関西弁で呟くだろう。後はそのいい雰囲気のまま……あんな事やこんな事を――


 そして、ベットの中で彼女に呟けばいい。「この景色はまさに、『世界の起源』の様だ」と。そんな事を言われれば、彼女はヤバいべ。濡れ濡れだべ。実に


 ――グヘへへへへへ。


 仮にこの助言が上手くいかずに、彼女から「はあ?」とか、「なに言っているの?どういう意味?」なんてイマイチな反応が返って来ても悪しからず。ていうか、そんな女は辞めておけとアドバイスを送りたい。これほどまでに、ロマンチックで理知的な表現が伝わらないなんて感受性が崩壊しているのだろう。それか、君の下心悪だしの顔が悪かったのか。顔を洗ってきなさい。そして、是非とも下半身の興奮は表情には出さないように訓練して頂きたい。


 さて、しばらく長閑な畑道を歩き進めると、そこは唐突に現れた。


 二十ほどの建造物が密集したここは、この小さな農村の唯一の商店街のようだ。だが、思った通りと言うべきか、当然だと言うべきか、活気もなければ、雑踏もなかった。俺たちを含めても片手で数えるほどの客足と、年老いた店の主がちらほらと店頭でぼーーと一日の終わりと時の流れを眺めている様に漫然とくうを眺めている。


 現世では地方のシャッター街が社会問題となっていたが、この世界でもシャッターは下りていないものの、地方の過疎化は深刻な問題となっているのかもしれない。知らんけど。


 そんな事を考えている時に、一つの建物の前でエグレは足を止める。


「――ここ」


 指を指しながらそう言う、この建物には『ラ・マミーの宿』と書かれていた。名前から察するに宿場であろう。『ユノナカ宿場町』で泊まった『温泉の宿 鐘俱屋かねぐや』が旅館という印象を抱いたが、それと比較すると『ラ・マミーの宿』はビジネスホテルの様によく言えばリーズナブルそう。悪く言えば、簡素でチープな印象を抱く。だが、別に不満はない。現状の居住地も他人の部屋に文句を言えるような立派なものではないのだから。ただ、折角ビジネスホテルに泊まるのならば、可能であればペイチャンネルは見たいのだが、その希望は叶う事はないだろう。


「ここで今日、泊まるのか?」


「ええ、そうでもあるけど、客人との待ち合わせ場所でもあるの」


「ああ、言っていた例の」


「ええ、多分もう着いていた待っていると思うの」


「じゃあ、俺は先に部屋でゆっくりと待たせてもらおうかな」


「待って! これからの事もあるから、貴方も同席して欲しいの」


「……どうして?」


「少しクセのあるだから、慣れておいた方がいいと」


「なんか、やだな」


 そんな心の声が思わず声として漏れ出てしまう。



◆◆

 


 『ラ・マミーの宿』の一階はエントランス兼酒場となっている様で、規則正しく四人掛けのテーブルが六卓も並んでおり、その奥にあるフロントとはバーカウンターとしての機能も備わっている様だ。この景色はビジネスホテルというよりも、ゲストハウスやスキー場の近くで営んでいるコテージの様な印象を抱く。


 さて、そんな酒場の一角で、楽し気にお喋りに花を咲かせる女子ふたりの会話に、意気揚々と参加する事ができる様なコミュニケーション強者は、この世界にどれくらいいるのだろうか。少なくとも、人とのコミュニケーションを極力、避ける人生を歩んでいる俺には無理な芸当である。


 友人と二人でいる時に、たまたま友人の知らない知人と遭遇して、何となく二人が

「「久しぶりーーー」」なんて楽し気に挨拶を交わしている姿を見ると、急激に不安と寂しさを感じるのは俺だけだろうか。そして、その不安は的中する場合がほとんどである。二人は俺の事なんていないかの様に、「てか、今何しているの?」、「てゆかー、〇〇の事さ聞いたーーー?」、なんて俺の知らない話題で会話が盛り上がり始めたら、いたたまれない気持ちになる。知らない奴から知らない奴の近況報告を聞き、顔色を窺いながら必死で愛想笑いを振り撒く。あの、屈辱で退屈で、どうしようもない程、惨めな時間――


 そんな経験を幾度となく過ごしてきた俺からすれば、「友だちの友だちは俺の友だち」なんて言う奴と俺は仲良くできない自信がある。少なくとも、俺の中で友だちの友だちは他人である。悪意ある他人であるといえる。


 さて、現在に俺の心情はまさにそんな感じである。


 エグレは帝国で約束をしていると言っていた客人とお喋りをしている。ランフェルと名乗るその人は、赤い髪色にショートボブがよく似合う端正な顔立ちをしていた。だが、どこか気が強そうな印象を抱くのは、恐らくはその大きくアーモンドの様な形をした目から発せられる目力が影響しているのだろう。しかし、それ以上に特徴的であるのは耳だ。耳が人よりも長いのは個性なのか、それともエルフだからであろうか。その判別が付かないのは、人よりも長く、エルフよりも短いが為、どちらとも思える様な長さである。


 そんな二人の姿を気まずく思いながらもぼんやりと眺めている。そして、愛想笑いは欠かさない。話を盗み聞く限りでは、彼女はこれから向かうエルフの集落がある立地の領主であるスーアンコ公爵の使用人との事であり、わざわざ、こんな辺境な地まで迎えに来てくれた様だ。


「この度は、帝国へ足をお運び頂きありがとうございます」


 エグレへのランフェルはそう言いながら、深々と頭を下げる。


「顔を上げて頂戴。それに、悪いわね。いろいろと気を遣ってもらって、あれこれと手配して頂いて。それに、ここまで迎えに来てもらって」


「かの地に平穏と安静をもたらされた、英雄様のお仲間であれば当然であります」


 ――当然ね。ここまで顕著に優遇されると、逆になんだか気を遣うというか、気遣いが心苦しいというか、嫌な気分である。話を聞く限りでは、この宿場の手配から、『第三都市スーアンコ』へ行くまでの馬車の用意、道中の宿場まで至れり尽くせりで準備してくれている様だ。


 やり過ぎじゃない? 流石に?


「馬車もすぐにでも出立の用意しております。これから出立すれば、明日の夕暮れには『第三都市スーアンコ』の地まで到着できるかと」


「あのーー、一日中歩き回って疲れているので、今日は宿場でゆっくりと休みたいのですが……」


 ここまで静観していた俺は、恐る恐る手を挙げながら、忍びなくも発言する。


「はあ?」

 

 と、ランフェルは随分と乱暴な口調で俺を睨む。怖い。さっきまでニコニコ喋っていた同一人物とは思えないのだけど。女子怖い!! 俺に厳しくない?


「わたしもこれから昼夜馬車に揺られるのは、少し辛いかも」


 エグレは幸運にも俺に意見に賛同する。


「は! それは気が回らずに申し訳ありません。では、出立は明日の朝という事で。では、わたしはその内容で従者の者と打ち合わせしてきます」


 あれーーーなんですか、この態度の差は。おじさんには辛いんですけどーーー。


 そう言い残して去っていくランフェルの背中を眺めながら、俺はエグレに問う。


「なあ、あの娘って?」


「ああ、別に普段は礼儀正しいし、いい子なんだけど、自分で言うのも何だけど、わたしのファンなのよ。盲目的で熱狂的な。だから、わたしの意向に沿わないと思ったら誰彼構わず好戦的になるのよ」


 ――こっわ!!


「君にそれ程の人脈と人望があるとは」


「エルフの世界でわたしって英雄なのよ。世界を救ったし、エグレへの差別を無くそうとしているから」


 エグレは本当に実益のある十年間を生きていたのだと、色々な人や同種の為に戦っているのだと感心する。それと共に、自身が何もしてこなかった事を恥じるが、情けない事に依然として行動を起こそうとする活力は沸き上がらない。


「彼女もエルフなの? それにしては、俺の知っているエルフと違って耳が短いというか……」


「彼女はハーフエルフなのよ。だから、身体的特徴がエルフと人間の間って感じよね。エルフの世界でも、人間の世界でも受け入れられない様な宙ぶらりんな存在だからこそ、色々と苦労をしてきているのよ。耳の大きさなんて関係ないのに――」


 そう話すエグレの目は儚く、どこか遠くを見ていた。

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