第22話 森を統べる者もちょちょいのちょい
深部に進めば進むほど、森は色濃く木々が密集して、太陽を隠すように影を作り、より一層と陰鬱な空間が広がる。
太陽が見えないこの場所では正確な時刻は分からない。しかし、腹部から鳴り響く空腹を知らせる音が、昼近くである事を教えてくれる。そろそろ、昼食にしようか。なんて、提案をしようと思った時にそれは現れた。
全身を覆いつくす黒く硬そうな体毛に、獲物に狙いを定めた様に血走った目、鋭く生え揃った牙の隙間からは涎がボタボタとこぼれる。見た目はもとの世界の動物園で幾度か見た事がある熊の様であるが、大きく差異があるのは頭部から天を目がけて伸びる二本の角である。
それが、Dランクのモンスターである、〈
「ここにも、〈
なんて悠長な事を呟く。
繁殖期である夏季になると活発に活動をする為、森林での人的被害が度々、報告される。だが、冬季を除けば、森林での遭遇頻度が比較的多いモンスターでもある。
「うーーん、【ヴァウォヴェエジャの森】でDランク以上のモンスターが出現した事例は聞いた事がないのだけど」
「どうする? 退避するか?」
「まさか、この程度のモンスターはさっさと討伐して頂いて先に進みましょう」
「……頂くって事は俺がやるのか」
そんな悪態をつく。だが、護衛として雇われているのだから、モンスター退治は俺の仕事と言われれば、それまでである。
「いや、やっぱりわたしにやらせてもらっても? 久しぶりに会ったあなたに、わたしがどれ程、強くなったのかを知ってもらいたいの」
それは願ったり叶ったりの申し出である。
「是非とも。弓矢はあるのかい?」
十年前のエグレは、魔法攻撃や近接戦での肉弾戦を苦手としており、得意の探知能力を利用した敵やモンスターの感知と、後方からの弓矢での遠距離攻撃のみに特化していた。だが、今のエグレは手には武器を持っていない。俺の知っている戦闘スタイルとはかけ離れている。
「いいえ、武器は必要ないわ」
〈
一方のエグレは涼しい顔をしながら、どこからでも掛かって来いと言わんばかりに、腰に差した短剣を抜く。巨漢な〈
そう察したのはエグレから魔力の流れを感じたからだ。
本来であれば、探知能力が乏しい俺では、他者の魔力の流れを感じ取る事はできない。だが、強大な魔力を前にすれば、貧弱な探知能力の俺であっても、魔力の流れを感じる。それ程、エグレは強く多くの魔力量を有している様だ。それは十年前から想像すれば俄かには信じ難い事でもある。
本当に強くなったんだな。
――そして、そんな事実が俺に安心感をもたらす。これならば、安心して後方から見ていられる。そうなると俺は手持無沙汰である。
さて、俺だったらどうやって駆除しようか。
漫然とエグレの逞しい背中を見ながら、そんな事を考える。
まずは、突進してくるであろう〈
そうなると、 睡眠魔法か麻痺魔法が有効であろう。あれだけの巨体だから効果は薄いかもしれないが、それでも足を鈍らせるには十分であろう。そこで、炎魔法で……いや、周囲の木々に燃え移る可能性も考慮するべきか。そうなると、雷魔法も使えないな。ならば、風魔法か水魔法がいいだろう。
よろめく〈
そうなれば、魔力を溜める時間もできる。止めに【
完璧な戦闘のイメージができた。そして、もしも、〈
どうして、想像や妄想でも人は感情が動くのだろうか。例えば、失敗する想像をすると自然と不安な感情が沸き上がる。言われてもいないのに、陰でこんな事を言われうのではないだろうかなんて考えると、自然と怒りの感情が沸き上がる。楽しい事を妄想すれば自然と楽しい気持になる。そして、何かを殺す妄想をするときに、本当に殺気立ってしまう。まさに、気の持ちようと言う事だ。
◆◆
〈
【ヴァウォヴェエジャの森】は決して強いモンスターは出没しない。だが、この〈
だが、サイキョウと共に旅をしていた時も、別れてからの十年間でも、幾つもの死線をくぐり抜けて来た。この程度で怯む様な事は有り得ない。
わたしは魔力を胸部に集中させて、魔法の準備をする。魔法の発動には幾つかの方法がある。サイキョウの様に詠唱をせずに、なにも介さずに魔法を発動できる様な者も少数ではいるが、多くの者は、発動の準備のために詠唱を口にするか、魔力を伝達する魔道具を利用するか、もしくはその両方を必要とする。わたしの場合は、詠唱は必要としないが、殺傷能力が高い様な高火力の魔法に関しては、魔力伝導性の高いこの短剣を介さないと魔法を放つ事ができない。
森林での戦闘という事もあるが、エルフは風や地面属性の魔法と親和性が高く、得意とする者が多い。わたしも例に漏れる事なく、風魔法が得意であった。だが、サイキョウはわたしが風魔法を扱っている所を見た事がない。
わたしが高火力の風魔法を扱える様になったのは、今から八年ほど前の事であった。微量の魔力しか有していない事は自覚していたが、成長期の訪れにより、身体の成長と共に魔力量も見る見ると増えていった。そして、気が付いた時には、人並み以上の魔力を有していた。
こうなると魔法を習得する事が楽しくなっていったのは当然であろう。わたしは、夢中になって魔法の鍛錬と習得を重ねた。そして、いつの間にか弓矢の扱いと同じくらいに、魔法が得意になったいた。今では、遠距離戦闘では弓矢、中距離から近接戦では魔法と、自身でも隙が無いと自負している戦闘スタイルを形成している。
いつもの様に慣れた要領で胸部に魔力を集めて、それを腕から短剣を握る右手へと流していく。そして、手が魔力で暖かくなるのを感じたら、それを短剣へと流し込んでいく。
短剣は魔力に反応して、青白く光り輝く。あとは、狙いを定めるだけ。突進して来る〈
一撃! たった一回のこの魔法で仕留める。確実に急所を捉える為に、集中を研ぎ澄ませる。いつだって、モンスターと対峙した時はそうだ。極限の集中力が時の流れを遅くする。今だって、〈
――解放! そう思った時に思わず体が強張った。
恐怖が身体を膠着させた。そんな事はいつ以来だろうか。
決して、殺気立った形相で襲い掛かって来ている〈
わたしの背後から、どうしようもない程の殺気が抱きしめる様に包み込む。ほんの一瞬の事だが、わたしには何十秒にも感じるくらいの迫力――
――多分、死神に背後から抱きつかれたら、こんな感覚なのだろう。
〈
残されたわたしも、この恐怖の発信元と対面する必要がある。わたしは、恐る恐る背後を振り返る。
そこには、ひとりの男が立っていた――白髪交じりの頭髪に、少し歳をとったなと感じる見慣れた顔、大きくも小さくもない一般的な人間種の男性の身体。そこにいるのは――――サトウ・サイキョウだ。
「な、なにかしたの?」
わたしは問う。
「……へ? なにもしていないよ」
サイキョウは、少し驚いた顔をしながら答える。
決してとぼけている訳ではなく、本当に何もしていないのだろう。本当に彼にとっては一瞬だけ殺気を出しただけという認識なのだろう。だが、わたしにとっても、恐らくはこの森を統べる猛獣にとっても、過分に恐怖するだけの力――
――本当に次元が違う強者がここにいる。
◆◆
モンスターランク
Sランク――出現した際に、世界の存続が危ぶまれるモンスター
Aランク――出現した際に、大陸に甚大な被害がもたらされる可能性があるモンスター。また、目撃時には、防衛省へ報告の義務が生じる
Bランク――出現した際に、国家に甚大な被害がもたらされる可能性があるモンスター。また、目撃時には、防衛省へ報告の義務が生じる。
Ⅽランク――出現した際に、出現地域に甚大な被害がもたらされる可能性があるモンスター。また、遭遇時には、防衛省もしくは冒険者組合へ報告の義務が生じる。
Dランク――遭遇した際は、単独、複数人に関わらず、討伐を試みずに避難する様に努める事が推奨されるモンスター。また、人的被害が発生した際、もしくは人的被害を目撃した際には防衛省もしくは冒険者組合へ報告の義務が生じる。
Eランク――複数人で遭遇した際に、身体及び命に危害が加わる可能性がある。
Fランク――単独で遭遇した際に、身体及び命に危害が加わる可能性があるモンスター。
Gランク――極めて友好的で人類に対しての脅威がまったくないモンスター。
『冒険者組合 モンスター討伐に関するガイドライン・モンスターの危険性と評価基準に関する起案』より抜粋
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