第21話 帝国は腐っている

 ◆◆


 ――たぶん、誰からも愛されてこなかった人生だった。


 スタンリーは長い廊下を歩きながら、漠然とそんな風に思う。


 オークス公爵の爵位は二年前に急逝した父から継承した。それと共に、代々オークス家が担っている帝国主席補佐官の立場の引き継ぐ事となった。


帝国補佐官とは皇帝を補佐する職務である。


そして、帝国補佐官の役職を与えられている者は五名もいる。だが、その中で唯一、帝国主席補佐官の地位を与えられており、帝国補佐官のトップとして取り纏めるだけでなく、必要な時にはいつでも皇帝に会うことができるなどの特例権限が与えられている。そして、帝国補佐官だけでなく、皇室業務を実質的に取り仕切る職務でもあり、皇室事務局職員のトップに立つ。


 依然として、身分制度が色濃く残る帝国では、政治における幹部は公爵か伯爵が叙勲された上級貴族が親から子へと継承されていく。つまりは、皇帝陛下の第一子息が次期皇帝になる様に、内閣は能力ではなく、産まれによって最初から決まっているのだ。



 ◆◆



「どうして軍政省はああも無能ばかりなんだ。そんなに戦場だけが重要か? 王国の状況も情報もまるで把握していない。そもそも、討伐の話が軍政省からではなく、外務省から報告されているのが可笑しな話だ」


 わたしは誰もいない廊下を隣に歩く、帝国主席補佐官第一秘書であるラコウスに思わず愚痴る。愚痴らずにはいられなかった。


「仕方ありませんよ。貴族はもともと軍勇を挙げた者への褒章ですから、どうやったって、幹部の全員が貴族院議員が占めている軍政省では他国に出没したモンスターよりも戦場に重きを置かれます。」


 ラコウスは極めて冷静に軍政省の状況を分析する。


「もちろん、公国との戦争が最重要である事は認めるが、それにしてもお粗末ではないか? どうして、戦争しか能がないのか」


「やはり、戦争で武勇を挙げて出世したという過去の成功体験が影響しているのでしょうか?」


「その結果が、戦争以外の仕事を部下に押し付けるだけの状況か」


 ラコウスは何も言わずに苦笑を浮かべていた。


 だが、わたしの唾罵は止まる所を知らない。


「戦場しか知らない、伯爵共の馬鹿息子たちの巣窟になっている。それでいて派閥争いばかりで公国との戦争でも司令系統はバラバラ、作戦も各隊によって異なるが為に統率も取れていないという。組織は既に空中分解している様な状況と言っても差し支えないだろう」


「貴族院議員の立場が他の省庁と比べれば強くなります。依然として、貴族院議員しか議員の職には付けないのですから」


「やはり、半強制にでも、軍政省は幹部に庶民員を採用する様にするべきか?」


 そんな愚痴をこぼしている時に、不意に声を掛けられた。


「よお、オークス! 相変わらずの名司会ぶりだな」


 おちょくった様子で声を掛けてきたのは、パワー家の次期当主であり、スーアンコ公爵の継承権第一位子息であり、現在ではロスコッキング伯爵を継承しているローキングリー・パワー貴族院内総務幹事長補佐であった。家柄としては、同じ公爵家ではあるが、序列が四番目と貴族の中でもトップクラスの歴史と権威を持つ名家である。たまたま、同期として在学した事と、歳が近く幼少の頃から接点があった事も相まって気兼ねなく話すことができる、数少ない人物でもあった。


「ここでは、スタンリー帝国主席補佐官と呼んで下さい」


 わたしの彼に対する第一声は決まってこの言葉だ。だが、わたしの忠告なんて無視をする様に、彼は必ずわたしをオークスと呼ぶ。


「相変わらず頭が固い奴だな。誰だって爵位で呼び合っているだろ。そんな事を言うのはお前だけだよ」


「知っているはずだと思いますが? わたしが貴族院議員制度に否定的である事も、現在の世襲制に近い身分制度が嫌いな事も。わたし達は貴族としてではなく、この国の為に務める国政員としてこの場にいるべきなのです。だから、爵位ではなく、名前と役職で呼ばれる事は当然であるかと」


「君が同じ貴族院議員から嫌われている理由がよく分かるよ。それと、別にここでは誰も聞いていないんだし、いつも通りため口でいいんだぞ」


「まあ、そうだな。では、遠慮なく。ところで、顔の広い貴方なら知っていると思うのだが、軍政省の報告では優勢で進んでいると言っているが、実際のところはどうなんだ?」


「ここだけの話、優勢どころか劣勢も劣勢。北部の一部は公国に事実状支配されているそうだ」


「そういう都合の悪い話を報告しないのは公爵としてのプライドか?」


「まあ、そうだろうな。最悪、貴族の地位を失いかけない様な失態だからな。皇帝陛下が知らないうちに内密に処理したいと、躍起に思うのは自然な事だろう」


「それが、王国の問題が置き去りになっている理由か」


「まあ、北が大変な状況だからな。東に人員を回す余裕はないのだろう」


「その所為で経済は停滞して、財政が悪化している事なんて知らないんだろうな。その所為で軍事費が削られて、益々不利な形勢が強いられるというのに」


 ――本当に憐れな奴らだ。


「まあ、戦争だけが仕事だと思っているのだろう」


「その戦争でも結果を残していない事も問題だがな。しかし、公国はそれ程までに強いのか?」


「強いというよりも、随分と統率が取れているという噂だ。俺も戦場は行ってないし、行きたいとも思わないから知らないがな」


「正直、公国の様な絶対王政の方がトップダウンで指示が出せるから、戦争になったら有利だよな」


「優秀なトップがいればの話だがな。それにしても、絶対君主制に否定的立場であった君がそんな事を言うなんて珍しい。」


「まあ、完璧な政治体制なんてないって話だよ。必ずいい面もあれば、悪い面もある。だが、今の我が国は立憲制度と貴族院議員制度の悪いところを遺憾なく発揮している。この国の政治はとっくに腐食しているよ。こんなんならば、絶対君主制の方がまだマシかもしれない」


 パワー貴族院内総務幹事長補佐は特に何も言わずに、ははっと乾いた笑いを発するだけだった。だが、その代わりと言わんばかりに提案をして来る。


「そうだ! この後、時間があるか? 一緒にランチにしないか?」


「そんな時間がある訳ないだろ。皇帝陛下にここまでの会議内容の報告と公国と王国への今後の対応についてのレクだよ。毎々の事だから知っているだろ?」


「帝国主席補佐官はお忙しいですね」


「まあ、勝手に忙しくなっているだけだがな」


 そんな自嘲を言う。


「いい加減、人に仕事を振る事を覚えたら? 君は優秀だけど、要領が悪いからな」


 そんな忠告を言う。皮肉かもしれない。自身でも自覚しているが、パワー貴族院内総務幹事長補佐に言われると、妙な程、腑に落ちる。それと共に、わたしも忠告したい事があるのだと思い出した。


「ああ、そうだ。同期のよしみで忠告しておくが、あの予算計画では財務省は首を縦には振らないぞ。少なくともわたしは棄却した」


「君は財務省長が誰か忘れたのか?」


「――ああ、そうか。そうだった」


 帝国で二十年近く財務省長として在籍しているリッチ・ガーデン公爵は政界の金庫番と言われており、 特に庶民員議員の就任については一貫して否定的な立場である。その為か、一部の貴族院議員からは絶大な支持を得ているが、その反面では絶対的な地位と権力を利用して、政治資金を個人運用している事は貴族院議員の間では周知の事実となっており、その政治姿勢には否定的な者が一部はいるものの、多くは一緒になって共犯をしている様な由々しき状況でもあった。 


「しかし、来年度のインフラ整備費用と同等程度の金額がどこに必要なんだ?」


「さあ? 計画書を作成した俺が言うのも何だが、どれだけが政治的利用に回されるかは分かったものではないがな」


「君のところが政治資金の流出と、汚職の温床になっている事はどうにかならないのか?」


「君は男爵しか継承していない俺に、帝国のフィクサーと言われているゴッドランド公爵と政界の金庫番に噛み付けって言うのかい?」


 ローキングリー・パワーの直属の上司にあたる、アーティア・ロシアンルーレット幹事長は皇族の次に権力を有する序列一位の公爵家であり、その圧倒的な権力と

だが、この二人が手を組んで資金の流用をしている。


「……本当に腐りきっているんだな」


「幹事長は人事にも口出しをできるからな。今の地位にいたいのなら、逆らわない事が身の為だぞ」


 そんな有難い忠告を受けている時に、新たに誰かがわたしの名を呼ぶ。


「オークス公爵、ご報告したい事がありまして、少々お時間を頂きたいのですが」


 そう声を掛けてきたのは、王国大使秘書であるジャールだった。


「構わないが、ここでは、スタンリー帝国主席補佐官と呼んでくれ。それと――」


 そこまで言い言葉を呑み込みながら、パワー貴族院内総務幹事長補佐を一瞥する。


「俺はお邪魔かな?」


 パワー貴族院内総務幹事長補佐も察した様で席を外そうとする。


「いえ、スーアンコ公爵であれば特に問題はありません」


「一応、俺はまだ継承していないからロスコッキング伯爵と呼んで欲しいのだけど」


「は、失礼いたしました」


「それで、報告というのは?」


 おおよその検討は付いている。このタイミングで王国大使秘書が報告をしたい事は、間違いなくカントン平野に住み着いたモンスターの件だろう。


「本日、王国からの使者からカントン平野に住み着いた〈大いなる毒烏〉ポイズン・クロウの討伐に成功したとの連絡がありました」


「やはり、外務省からの報告は誤報ではなかったか」


「因みにだが、帝国の軍事力でそのモンスターを討伐する事は可能なのか?」


 わたしは、パワー貴族院内総務幹事長補佐に問う。


「さあね、今の軍政省が客観的かつ正確な、自軍の軍事力を算出できるとは思えないね。つまりは、軍政省からの情報もデータもすべては都合のいい出鱈目なんだから、他国と比較する事自体が困難だよ。少なくとも、万が一同等レベルのモンスターが住み着いたら、討伐ができようができまいが、今日の様に成功したという報告は受けるだろうがな」


「ははは。間違いない……すまない。少々、話が逸脱したな。ジャール王国大使秘書、話を進めてくれ。それと今の失言は忘れて欲しい」


「はい、承知いたしました。それと、討伐した者は正体も消息も不明との事です」


「「――はぁ?」」


 わたしとパワー貴族院内総務幹事長補佐は声を揃えて、気の抜けた声を漏らす。


「どういう意味だ?」


「恐らくはそのまんまの意味かと……王国でも何者かが討伐した以上の情報がないのだろうと……」


「フェイクニュースか虚偽の情報を掴ませる策謀という事は……」


 わたしは思わず呟く。


「合理性がないだろ。そんな嘘の情報を流す」


 パワー貴族院内総務幹事長補佐は呆れた様にわたしの言葉を否定する。


「不躾ですがフェイクニュースというのも……王国から正統な伝達で報告を受けておりますので……」


「じゃあ、誰かが人知れずにBクラスモンスターの群れを討伐したという事か?」


「え、ええ、そう連絡を受けております」


「俄かには信じ難いが……正確な情報が欲しい。王国の本件の担当は誰がしているんだ?」


「はい、少々お待ちください」


 ジャール王国大使秘書はそう言うと、手に持っていたメモ帳を忙しなくパラパラと捲る。


「しかし、奇妙な事になってきたな」


 わたしは思わず呟く。


「いよいよ、偵察を怠っていた軍政省の失態だと言わざるを得ない状況になってきたな」


 パワー貴族院内総務幹事長補佐はどこか嬉しそうに言う。


「それを言うならば、王国の失態でもある」


「――よろしいでしょうか?」


 ジャール王国大使秘書は、こちらの顔色を窺う様にそう訊いてくる。


「ああ、教えてくれ」


「軍事責任者はジャック・ダウン東部参謀指揮官であります」


 聞いた事がある名前だ。確か、若くして軍隊幹部まで上り詰めたやり手の軍司令官だと聞いている。


 そして、年齢や貴族制度ではなく、仕事の成果で出世できる王国の制度に羨ましくも思う。


「至急、ジャック・ダウン東部参謀指揮官にコンタクトのアポイントを取ってくれないか?」


「既に帝国に向かっているとの事で、明日にも最西部のカールネスト町から帝国に入国するとの事であります」


――なんと、それは仕事が早い。優秀で助かる。


「では、カールネスト町での会談を取り持ってくれ」


「分かりました」


 ジャール王国大使秘書は


 そして、わたしも会談に向けて準備する必要がある。早速、ラコウスに指示を出す。


「君、外務省ソーヴァリアント副省長と、軍政省の本件を担当していると言った……」


「軍政省副省長第四補佐官のカルエシウ殿ですか?」


「そう、彼らを呼んで来てくれ。明日、カールネスト町に到着できるように至急、出立する必要があるだろう」


 それに、わたしも――


 だが、午後からの会議はどうしたものだろうか?


 そんな事を考えている時に、パワー貴族院内総務幹事長補佐が提案をする。


「午後からの司会は変わろうか?」


 パワー貴族院内総務幹事長補佐はニヤリと笑う。


 持つべきものは友だ。しかも、優秀で空気の読める――


「ああ、そうだ、カールネスト町は畜産と燻製技術に長けているそうだ」


 パワー貴族院内総務幹事長補佐はわたしの答えを待たずして、独り言のように呟く。だが、何が言いたいのかはすぐに分かる。


「……土産にベーコンを買って来いと」


「嫌なら無理にとは言わないが……」


「いいや、ベーコン専用の馬車を用意しよう。一生分を買って来てやろう」

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