第18話 チェックアウトゥウウウウウウウウウウウウウウウ

 浅い眠りから目を覚ます。だが、目覚めとしては別に悪くない。


 ――いや、寧ろいい。最高にいい。


 横で寝るエグレは寝ている時に布団を蹴ったのか、足元に掛布団が転がっている。

乱れた髪、無防備な寝顔、滴る寝汗――


 そして、はだけた浴衣から露わになる、ふたつのチョモランマ!

 頂上にある、ピンク色をしていると推察される二つの魅惑を、辛うじて隠し通している。


 絶景だ。眠たい眼でぼやける視界であっても、はっきりとそう断言できる。


 大胆に開いた胸元には、豊満で今にも飛び付きたくなる様な果実が二つ顔を覗かせており、見事にも山脈を形成していた。


 深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗く様におっぱいを覗く時、おっぱいもこちらを覗いている。つまるところ、そこにおっぱいがあったならば、一分一秒でもそこから目を離してはいけないということだ。


 俺はそんな、遺伝子から組み込まれていたであろうホモ・サピエンス時代からの教えに沿い、エグレのおっぱいを凝望し続ける。僅かな衝撃で柔らかく揺れる胸を前に鼻を伸ばすことしかできなくなる。 


 あわよくば頂上にあるピンクなものも見てみたいという欲望が、俺史上類を見ない程の瞬間速度で沸き上がる。だが、大胆に開かれた胸元からそれを拝むことはできなかった。


 重要な事はぎりぎり全貌が見えていないという事だ。すべてが公になっていれば興ざめをしてしまう。だが、ギリギリ見えそうで見えないからこそ、その先の姿を妄想して魅了されるのだ。マジックだってタネが分かったら興ざめする。都市伝説だって、科学的な知見が発表されてしまえば興味は失せる。冒険だってそうだ。未開であるからこそ、そこへの探求心が沸き立つのだ。そして、おっぱいもそうだ。七割くらいは見えているが、大切なところだけは見えていない。だからこそ、美しさが際立つのであろう。


 早朝からこんな事を熱弁するのは、昨晩に遊郭に行く事ができなかった所為と、そして、一晩中、同室した美女の甘く魅力的な匂いを嗅ぎ続けた為だと、そう思わずにはいられない。


 窓から暖かな日差しが室内を包み込む。


「……ん、うーん」


 エグレはそんな寝息と共に、薄っすらと目を開ける。その目は随分と長い時間を暗闇で過ごしていたのか、光を酷く嫌っている様に、


 起床したと思われる彼女に声を掛ける。


「――おはよう」


 依然として脳は覚醒をしていないのか、上半身を起こしたエグレは目を擦りながら、現実と夢の世界を行ったり来たりを繰り返している様だった。


 うつらうつらとしていたのが、急に冷や水を浴びた様に、驚嘆の表情を浮かべたのは、自身の衣類が随分と乱れている事に気が付いたからだろう。


 エグレは赤面をしながら、俺を睨み付ける。完全なる誤解を俺に抱いている様だ。完全なる誤解とは言い難いかもしれないが。


「ねえ、布団も浴衣も乱れているけど、わたしが寝ている時に変な事してないでしょうね」


「失敬な話だ。君は自身の寝相の悪さを自覚した方がいい」


 変な事はしていない。だが、変な目では見ていた。今の今まで。


「あなたの日頃の言動が悪いのよ」


 それは一理ある。いや、それこそが元凶かもしれない。久々に会って早々に「オナニーをしていた」なんて白状したり、「この町に遊郭はあるのか?」なんて訊けば、世の女性は危険なモンスターだと認識するだろう。そして、同室したうえで、一晩を共に過ごすとなれば、身の危険を感じるのは当然であろう。もっと紳士に振舞っていれば、信頼を勝ち得たのだろうか。そして、ワンチャンあったのだろうか。そんな疑念と後悔の念が込み上げてくる。


 だが、俺は英雄だ――


「失礼な話だ。女性の寝こみを襲うような事はしない。英雄の名に懸けて」


 さて、こんな弁明で誤解が、エグレが俺に抱いている印象が変わるだろうか。きっと、変わらないだろう。きっと俺の事は性力の強い危険人物という誤解を持たれ続けるのだろう。まあ、誤解でもないのだけど……。


 そんな風に思っている時、――室内にノック音が響く。


「お客様、起きていらっしゃいますでしょうか?」


「はーーーい」


 俺は必要以上に大きな声で返事をする。本当に必要以上に大きな声で。


「失礼いたします。朝食の用意ができておりますが、部屋にお運びいたしましょうか? それとも一階の大広間にご用意いたしましょうか?」


 大広間を二人で占拠するのはあまりにも心苦しい。それに、なんだか、この世界に俺たちしかいないみたいで寂しいいではないか。だが、最上階であるこの部屋まで配膳して頂くのも、それはそれで忍びない。


 だが、それでも――


「部屋に持ってきて頂ければ……」


 可能な限り贅沢をしたい。我が儘を言いたい。この宿場だけでは。


 若女将は嫌な顔を一つもせずに、朗らかな笑みを浮かべながら言う。


「承知いたしました」


 さて、ここから朝食を食す訳だが、前の話で滔々と食事シーンは描いた訳だし、このシーンは別にいいでしょ。必要ないでしょ?


 てなわけで、ここら辺で割愛しまーーーす!!!



 ◆◆



 子どもの頃から漠然と『温泉の宿 鐘俱屋かねぐや』を継ぐのだろうと思っていた。それは、幼少の頃からの夢なんて甘っちょろいものではなく、鶏からはヒヨコが産まれる様に、鹿からは小鹿が生まれる様に、蛇からは蛇が生まれる様に、只々、延々と定められている我が家系の定めであり、宿命の様なものなのだろう。


 産まれも育ちも『ユノナカ宿場町』だ。温泉と宿場しかないこの町で、栄誉と歴史のある宿場の跡取りとして育った。 


 他の世界なんて知らなかった。


 そして、当然の様に『温泉の宿 鐘俱屋かねぐや』の若旦那として十五の時から宿場を背負った。何も知らない癖にプライドと立場だけが高い当時のわたしに従業員からの風当たりは強かった。特に長く勤めていた人たちはわたしが跡取りになる事を快く思ってはいなかった。だが、そんな彼らに反発して対立するくらいには反骨心が強かったのは、幼少の頃からこの宿場の跡取りになると信じて疑わなかったこと以上に、この世界、この場所以外に居場所がないと思い込んでいた、あの時のわたしには逃げるなんて選択肢がなかっただけだと思う。だからこそ、その居場所を脅かそうとする人間に対して、攻撃する選択肢しか持ち合わせていなかったのだ。


 当時の事を知る従業員はわたしの事を「荒くれ者」だったと笑っている。そして、今のわたしを「丸くなった」、「大人になられた」と称賛する。


 ただ、彼らのわたしに対する見識は過去も今も概ね間違っていると言わざるを得ない。当時のわたしは、ただ精神的に未熟者であり、世界を知らない無知蒙昧な人間だっただけなのだ。彼らの言葉でいう荒くれていた訳でも、丸くなった訳でも、大人になった訳でもない。


 自分はどうしようもないくらい小さな町で、どうしようもないくらいちっぽけで、どうしようもない人間なのだと知った。そして、自分に、自身の人生に諦めているのだ。


 だが、多くのお客様を迎え入れ、多くの事を学び、世界はどうしようもない程、広い事を知って、


 そして、親父が引退を決めてから、当然の様に支配人に着任した。それに異論を唱える者も知る限りではいなかった。


 支配人として責任と使命感を持って今日の今日まで努めきたつもりだ。


 そして、多くのお客様に支えられていると、常々思う。


 人よりも移ろい往く世の中の中で、普通の人生よりも多くの人々を見てきた。会ってきた。本当に多種多様な様々な人がこの宿に訪れていった。この宿に訪れるその目的も様々で、観光や両国の往来の為の休息地として、中には死に場所を求めている人もいた。


 では、今、宿泊している男女の一組はどうしてこの地に赴いたのだろうか。


 長らく務めてるが、ここまで全容が見えないお客様と言うのも珍しい。


 冒険者であれば、それなりの防具に身を包んでいる。

 旅人であれば、大きなバックパックを背負っている。

 商人であれば、スーツを着こなし、商材を抱えているだろう。

 死に場を求めている程、悲壮感の漂う雰囲気もない。

 ふらりと観光に来た? いやいや、それなら、今、最も危険なカントン平野を通る選択なんてしないだろう。


 宿場の一従業員として、お客様のプライベートに対して好奇心で踏み込む事は褒められた行為ではない。寧ろ、失格の烙印を押されるくらいの大罪かもしれない。だが、彼らの一端を知りたいと思い、支払いを終え、この宿場を去ろうとする彼らに声を掛けた。


「――ごゆっくりお過ごしになられましたでしょうか?」


「ええ、食事も温泉も素晴らしかった」


「今日、ご出立のご予定ですか? それとも、もう少しこの町に滞在されるのですか?」


「長居したいところだが先を急ぐもので、これから出立する予定です」


「どちらまで?」


 愚問だろう。王国から来たのだから、帝国へ向かうのだろう。それでも、そう訊かざるを得なかった。


「帝国まで」


 男性のお客様は少しだけ不思議そうな表情をしてから、明らかに愛想笑いと分かる微笑を浮かべて、そう答える。


 帝国のどこへ行くのかを知りたかった。だが、そこまで踏み込む事は、宿場の支配人としてできない。


 内心では、もやもやとした気持ちが好奇心をくすぐる。だが、それをグッと堪えて言う。


「左様でございますか。お気を付けて」


「また、いつか利用させてもらうよ」


 そう言い残して二人のお客様は踵を返した。


 エルフの女性と人間の男性という、なんとも珍しい組み合わせのお客様は宿場を辞する。歩き去っていく二人の背中に、従業員一同で深く深く頭を下げながら、


「「有難うございました。またのお越しをお待ちしております」」

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