第15話 今の自分に誇りはあるのかあああああああああああ

 ――検問所に勤務して三十年が経つ。


 最初に配属されたのは、南西の国境検問所だった。


 来る日も来る日も、来訪者の身体や持ち物をチェックする日々に、漫然とした不安と不満を募らせながらも、心のどこかでは、やりがいを抱いていると自分を騙して、そんな憂鬱な気持ちを忘れ様とする自分もいた。そして、安定という言葉にしがみ付いていた。


 自分は今のままでいいのかという不安と共に、自分にはこの仕事しかできなという悲観的な事実を直視する。


 不安と不満がありつつも、行動を移せないまま、月日だけが無情にも流れて行った。歳が四十になる頃には、そんな思いは諦めと覚悟に変わっていた。それなりの役職を渡され、多くもないが少なくもない給与を貰い、他人から容姿を褒められる様な事のない一つ年下の女房を貰い、三人の子宝にも恵まれた。


 今にして思えば、いろいろな物を貰った恵まれた人生だったのかもしれない。だが、自分は他者に家族に、自分自身に何を与えてきたのだろうか。引退も後三年に迫り、人生が終わりに差し掛かった今になって、ふとそんな事を考える。


 仕事を漫然と行い、趣味も特になく、大きな不幸はなかったが、大きな幸福もなかった。社会の、検問所の物言わぬ歯車として、ただただ、漫然と生きた人生――


 そんな、悲壮感の漂う気持ちを抱いていた時に、二週間ほど前からカントン部屋にBクラスモンスターの生息に伴って、一時的に閉鎖と往来に伴う特例処置が成される事となったと報告を受けた。


 緊急でカントン平野への往来に伴う検問所を三つ開設することとなり、その一つである、カントン平野第二セクション臨時検問所への、検問所長代理として着任したのが、十一日前の出来事である。役職が変わったのはこれで三度目だが、一時的な施設であり、且つ代理という立場ではあるが、それでも所長という役職には、年甲斐にも無く些か心が躍った。


 だが、そんな一時の感情もすぐに消え失せた。仕事内容はいつもと変わらない。そのうえ、冒険者組合が結成した『〈大いなる毒烏〉ポイズン・クロウ包囲網』でも、防衛省が結成した『〈大いなる毒烏〉ポイズン・クロウ討伐隊』でも、討伐出来なかったという話が出回り、とうとうこの場所に訪れる者さえいなくなった。


 仕事内容は検問から、命知らずの若者や、何も知らない国外者であろう往来希望者を断り、別の道を教える事に変わった。


 当然、この場所での仕事に対する熱意は消え失せ、訪問者の対応は部下に押し付けて、記録を取るという名目で空虚を眺め時間を潰す日々を送っていた。


 そして、退勤時間が来れば背中を丸めて帰路に付く。いつも帰り道に、意味もなくカントン平野を眺める。広大な盆地には青々とした下草が生え渡っている。この先に防衛省でも冒険者組合でも太刀打ちできないモンスターがいるのだな……と。だが、初老の自分にできることは何もない。だからこそ、万が一にでもカントン平野に住み着いている〈大いなる毒烏〉ポイズン・クロウが王国に牙を向いたなら、自分が囮になって。ここにいる若い衆に逃げる時間くらいは稼ごうと、そんな覚悟を決めていた。それが、この場所で所長補佐の地位に付いた意味なのだろうと――


 誰も来ないか、早く冒険者ランクを上げたいと生き急ぐ若者か、なにも知らない国外者に事情を説明して断るだけの、只々、退勤時間を待つ、そんな一日に今日もなるのだろう。そう思っていた。


 ふと、珍しく自分の後輩にあたる、北部検問所から派遣されたというロール・ケーキ君が声を荒げていることに気が付いたのは、そろそろ昼食かなと何も書かれていないノートから視界を上げた時だった。


 どうせ、自分の力を過信している冒険者を説得しているのだろう、そう思った彼らの会話は、最初からきちんと聞いていなかったが、自然と入って来る彼らの会話は、普段交わされるそれとは違い、どうやら、きちんとカントン平野の状況を把握したうえで、往来を希望するとの事であった。だが、それ以上に興味深い内容はSSSランクの冒険者であると自称している事であった。


 十年以上前の事である。定期的に行われる講習会にて、英雄サトウ・サイキョウ様に異例のSSSランクの冒険者を贈呈したと。もし、冒険者カードをサトウ・サイキョウ様から提示されたら、その様なランクになっている。そう、教わった。この事が活かされた事は今の今までなかった為、頭の隅で忘れられていた記憶がふと蘇る。


「――SSSランクの冒険者?」


 そう、声に出してしまったのは、記憶が呼び戻した自分自身に驚嘆したからかもしれない。


 幾年も姿を見せておられなかった、英雄であられるサトウ・サイキョウ様にお会いできるとは――


 この目で見れるとは――


 ああ、本当にこの仕事をやってよかった。本当に誇らしい。



 ◆◆



 検問所の終業間際に現れ、責任者と話がしたいと言う男はそう切り出した。


「今日、この検問所を通過した者の記録を開示して欲しい」


 わたしの対面に座るその男は、軍服に身を包んでいる事から防衛省の職員か防衛軍の軍人であることは間違いがないのだろうが、その服は街で見掛ける護衛兵とは異なり、随分と厚く丈夫そうであろ。


 だが、些か着こなしているという印象は抱かない。寧ろ、重厚そうな防備に着られているという心象さえ抱かざるを得ない。それだけ、軍人というには細身で、街でこの男を見掛けたらやり手の商人か、税務職員か、そんな邪推をしてしまう程、インテリジェンスな顔つきとは対照的な格好をしているのだ。


 わたしは、この方を知っている。防衛省・東部参謀指揮官ジャック・ダウンである。防衛省の中でもやり手として名が知られており、四十代という若さで異例の昇進を果たしたエリートである。


「――今日でありますか?」


 はっきりと聞こえていた、命令にも近い要請を訊き返す。


 そして、今日検問所を通過した方は一組しかいない。サトウ・サイキョウ様のご一行だ。だが、かの御方からは決して口外しないでくれと約束を交わされている。


 ――なるほど、サトウ・サイキョウ様はこうなる事を見通して、そう仰られたのだろう。


「左様。今日である」


「確か、検問職と防衛省は情報不介入の協定があったはずでは?」


「そんな事が意味を成していない事は、君も知っているだろう?」


 検問職と防衛省はずぶずぶの関係という表現が一番適切であると思われる。防衛省職員で大佐以上の職に就いていた者は、退職した後に検問職の相談役や所長、かなりの役職としての地位を与えられる。だが、その実情はお飾りのトップであり、中には一度も職場に来る事がなく三年間、多額の報酬を受け取っていたという話さえある。この検問所だってそうだ。カントン平野第二セクション臨時検問所所長は防衛省のОBだと聞いている。だが、一度たりともこの場所に顔を出した事がない。その為、名前さえ朧気にしか覚えていない。検問職員が昇進して最も高い役職は所長補佐とも言われている。

 

 だが、それも仕方がない部分もあるのだ。検問職は常に危険と隣り合わせである。例えば、万が一にでも開戦となれば真っ先に狙われる。また、中には武力行使を目論んで王国内へ入国しようとする者もいる。そういった国外者と戦闘となった時に防衛省の力を借りなくてはいけない。守ってもらう必要がある。寧ろ、防衛省に見放されたら、わたしたちの仕事は成り立たなくなると言っても過言ではない。


 その為、防衛省の天下り先となっている事に不満を抱く者は検問職内でも多いが、その反面、必要悪だと受け入れている者が他半数である。


 だが、線引きはある――


 検問所を通過した者、通過できなかった者に関わらず、すべての者の情報は保護される。

 検問所職員はそこで得た如何なる情報も第三者に漏洩してはならない。

 それは、防衛省であってもだ。


 そして何より、わたしはサトウ・サイキョウ様と約束を交わした。

 あの、英雄と――


「――やはり、お答えはできません」


「実は所長補佐、〈大いなる毒烏〉ポイズン・クロウが討伐された。明日にでもこの検問所は解体され、カントン平野は解放されるだろう」


「それは、おめでとうございます」


「いや、手柄はわたしではないのだよ。何者かによって駆除されていた。あれほどの強大な力を持つモンスターを恐らくは人為的な魔法で。その者の目的は分からないが、誰がやった事なのかは早急に知る必要がある。分かるだろ、所長補佐。王国の命運が懸かっているんだ。それに、君の首自身も」


「言わないのならクビにするという事ですか?」


「どう解釈して頂いても結構――ただ、知っているだろ? 検問所はほとんどが防衛省の直轄になっている現状を。そして、わたしは参謀指揮官だ。君が望む地位も立場も与える事ができるぞ。だが、その逆も」


 甘い誘惑に、厳しい脅し。


 だが、今のわたしは自分の仕事に誇りを取り戻した。検問職としての誇りを。仮にクビになったとしても、誇りを守って死にたいいいいいいいいいいいいいい!!!!


「――――や、や、やはり、おごだえは、検問職のほごりにがけて、できませええん!!!!!!」


 そう叫ぶわたしの目からは、涙が溢れ出ていた。


 クビになるかもしれない不安からか、防衛省に逆らった事への恐怖からか、それとも、誇りを取り戻した自分自身への喜びだろうか。


「そうですか、結構。君の様な誉れ高き検問職員がいるとは。わたしはこれで失礼するよ。これからの善処したまえ」


 そう言い残し、ジャック・ダウンは席を立ち、退出していった。涙で霞む視界でその様子をぼんやりと眺めるわたしは呟く。


「――助かった……のか?」



◆◆


 

 カントン平野第二セクション臨時検問所を出たジャック・ダウンは振り返りながら立ち止まる。ぼんやりとカントン平野を眺める。その視界の隅には小さな検問所も捉えていた。


 すっかりと夕日が落ちて暗くなったカントン平野からは、今にもモンスターが襲ってきそうな程、先の見えない暗闇が広がり不気味であった。


「あの所長補佐は、〈大いなる毒烏〉ポイズン・クロウが討伐されたと聞いても驚いていなかったな……」


 ジャック・ダウンは呟く。


「それに、あそこまでの拒絶」


 確信しる。今日、カントン平野第二セクション臨時検問所に〈大いなる毒烏〉ポイズン・クロウを討伐した何者かが来た。


 その者が王都に入ったのか、それとも王都から出て行ったのか。いずれにせよ、早急に調べる必要がある。


 

 ――ジャック・ダウンは明かり一つない暗闇を睨み付ける。



 

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