第13話 いざ行かん! 遊郭ええええええええええええええ

 ◆◆


 久々の客人は中年と思われるが、随分と顔に幼さが残る印象の男性、若いエルフと思われる耳の長い美人な女性であった。


 随分と奇妙な組み合わせだな? アベック? いや、夫婦かもしれない。しかし、エルフは純血を守るって聞いた事があるが、人間と結ばれる事は可能なのだろうか。


 だが、そんな事はどうでもいい。貴重で有難いお客様には変わりはないのだから。


「よくぞいらっしゃいました。帝国からですと、随分と遠かったのではないでしょうか?」


「いえ、俺たちは王国から来ました」


「お、王国? カントン平野には危険なモンスターが出現すると聞いておりますが……」


「らしいですね。まあ、幸運にも遭遇することがなくて」


「さ、さようでございますか」


「それで、この度のご来訪はご宿泊の


「ああ、その通り。一番高い部屋と食事を用意して頂きたいと思いまして。その前に支配人と一度お話しをさせて頂きたいと思い、待たせてもらっていた」


 その言葉に内心では小躍りをする。


 だが、お客様の前。グッと奥歯を噛み締めて喜びの感情を我慢する。


「そ、そうですか。いや、そうですね。宿泊なら当宿場最高の『黄金の部屋』をご案内できます。お食事は――」


 支配人は若女将に目配せする。


「お食事は最高級の食材を仕入れておりますので、十二分に非日常的な贅沢をご堪能いただけるかと存じます」


 そう若女将が答える。さすがは三年間も共に宿場を経営しているのだ。この辺りの連携はお手の物である。


「そうですうか。それは楽しみだ。それで、費用的にはどれくらいになる?」


「そうですね、最高級の部屋に最高級の食事ですから――き、金貨で三十三枚と銀貨七枚くらいになるかと」


 逡巡した。普段の定価で提示するべきか、客がいない今だからこそ、申し訳ないが少しでも多くの金額を提示するべきか、それとも、安くてもお金を落として頂くべきなのかを。


 そして、定価に少しだけ上乗せした、繁忙期の時期よりも安いが平時よりも気持ち高めの金額を提示した。


 その金額を聞き、ずっと押し黙っていた若いエルフの女性が口を開く。


「ね、言ったでしょ。やめておこうって」


「まあ、そうだな。金貨三十三枚と銀貨七枚は――」


 ――まずい! 五日ぶりのお客様だ。次にいつ来て頂けるか分からない。しかも、ここでみすみす逃すわけにはいかない。


 客のいない今。正直、部屋はどこに泊まったって変わりはない。最高級の黄金の部屋だろうと、座敷だろうと、ベンチだろうと。ならば、正直な話、赤字を垂れ流すよりは、安価でも一人でも多く宿泊してもらった方が、今の経営状況を鑑みれば御の字だろう。


 ちらりと若女将を一瞥する。目には金貨三枚と書かれている。それが、食事に掛かる原価なのだろう。そこから、諸々の経費を算出すると――


 損益分岐点は金貨七枚くらいだ。


「では、おひとり様金貨三十枚で如何でしょう?」


「――うーーーん」


「ではでは、金貨二十七枚と銀貨五枚では??」


「――うーーーん」


「ではではでは、金貨二十五枚では???」


「そうですねーーー、やーはーり、俺たちの身分には、相応しくない宿場の様ですねーーー」


 そう言って去ろうとする。だが、本人たちは幸運とは言え、今のカントン平野を進むだけの勇気と相当腕のある冒険者である事は間違いがないだろう。何より、検問所が許可を出したのだから、Aクラス以上である事は間違いがない。それならば、金がないとは思えない。


「お待ちください。では、どれくらいのご予算をご希望ですか?」


「一応、ひとり当たり二十枚くらいで考えていたのですが」

 

 今は一人でも多くのお客様に泊まって頂きたい。だが、あまりにも安く最高級の部屋に宿泊させれば『温泉の宿 鐘俱屋かねぐや』の傷がつく。


 金貨二十枚――絶妙なラインだ。黄金の部屋に泊まり、最高級の食事を出しても十二分な収益が見込める。そのうえで、看板に傷をつけることはない。だが、黄金の部屋に宿泊した金額としては、過去に例のない最低金額かもしれない。しかし、今は背に腹は代えられない。


「分かりました。では、ご希望通り二十枚で如何でしょうか? お食事も当然、最高の料理をご提供いたします」


「そうですか。では、その内容で――」


 客人の男はそう言ってほくそ笑む。すべては計算通りの様に。だが、それでも構わない。平時では有り得ない格安ではあるが、苦しい経営状況で金貨四十枚もの収入は大き過ぎる――


「では、こちらの帳簿にお名前の方をご記入頂けますか?」


「それは、二人とも書かないといけないか?」


 男性のお客様が疑問を呈する。基本的に宿泊者全員に書いてもらう様にお願いしているが、実は『温泉の宿 鐘俱屋かねぐや』では、団体のお客様がいらした時などは、全員から名前を頂戴するとフロント業務に支障が生じる為、代表者の一人だけでも構わないことは従業員の中では周知の事実であった。だが、団体の客のみ特例という訳にはいかない為、少人数で来られたお客様でも「代表者だけでもいいですか?」と問われた時のみは、帳簿への名前の記入は御一方でもチェックインの手続きを可能としている。


「あ、いえ、代表者の御一方で結構ですが……」


「じゃあ、君が書いてくれ」


 男性のお客様がそう言うと、女性のお客様は何も言わずにペンを取った。その顔に疑問や不服はなく、それがも当然の様に平然とした表情であった。


 この男性のお客様が帳簿に名前を書かない理由は、面倒くさいとか、この決まりに不満があるとか、そういう理由ではなく、どこか自身の身分を明かしたくない、名前を書きたくない。そして、女性のお客様もその事情を知っている。そんな意思を感じたのは、毎日のように移ろい往く様々な客人を持て成す中で、多くの人々を見てきた宿場の支配人としての勘であった。


 女性のお客様が名前を書き終わるのを見届けて、部屋までの案内をする。


 二人を先導する様に歩きながら後ろを振り返る。金貨二枚、銀貨三枚と書いた目で、見送っている若女将を一瞥する。それくらいの予算で料理を提供しろという指示である。


 若女将も流石は察している様で、微笑みながら小さくうなずいた。



 ◆◆



 ――気まずい。


 支配人がわざわざ最上階まで部屋を案内してくれるそうだが、気まずい。


 なんでも、黄金の部屋に泊まる客だけは支配人自らが案内する仕来りだそうだが、気まずい。


 老舗と言われる由緒正しき宿場である『温泉の宿 鐘俱屋かねぐや』の支配人に部屋まで案内される事は、名誉な事であるとは分かっているが――気まずい。


 とても気まずい。とっても気まずい。


 社会に出ると見ず知らずの他人と二人っきりになる状況が幾度となくある。例えば、不動産屋で賃貸マンションを借りる時の内見で、候補地まで行く道のりは不動産屋が運転する車に揺られて行く訳だが、その車内では何を喋ればいいのだろうか。

 例えば、タクシーで運転手と二人っきりの車内では何を喋ればいいのだろうか。

 例えば、友人の知人とふたりっきりになってしまった時に何を喋ればいいのだろうか? 世の中では友人の友だちは友だちだという暴論を言う者がいるが、そんなことを言う奴とは友人にはなれない。断言しよう! 友人の友だちは他人であると!!


 俺は知らない人と二人という状況がとても苦手である。エグレがいるとはいえ、今がまさにそんな状況である。支配人に部屋まで案内をされている道中はそんな気まずさで耐え難い心中であった。


「それにしても、ほとんどの宿場が営業をしていなくて面を喰らったよ」


 そして、俺はとうとう気まずさに耐えきれず、そう口火を切ってしまった。当たり障りは恐らくないと思われる話題。丁度いいテーマではないだろうか。


「仰る通り、今はカントン平野が閉鎖されている影響でお客様が少ないですから、老舗と言われる四つほどの宿しか営業しておりません」


「いろいろな場所から煙が上がっているから、変わらずに営業をしていると思ったのだがね」


「それは、この辺は天然温泉なので源泉かけ流しの所が多いんです。人が来なくても浴場には勝手に温泉が流れ続けます」


 ――それはそれは、金が勝手に沸き上がっている様で羨ましい。


「しかし、人っ子ひとりもいない状況で営業を続けるなんてさすがは老舗ですね」


 おべっかを言う。だが、本心でもあった。


「ウチも一時的に休業にしようか考えているところです。お恥ずかしい話、今の状態で営業しても余計な経費がかさむばかりで赤字を垂れ流している状態です」


「ほう、そうしない理由は」


「老舗として、『ユノナカ宿場町』で最高級の宿場としてのプライドと、あとは仕事を失う従業員の事を考えると」


 どうやらこの世界には有給という価値観はない様だ。社畜万歳!! と、いう訳で、この世界は随分と雇用主が強く、従業員は弱い立場なのだろうが、この宿場はそういう訳でもなさそうだ。


 そんな事を考えていると、エグレが珍しく口を挟む。


「あなたがこの宿場を営んでいる目的は何なの?」


 その口調は厳しく、エグレ自身も多くのエルフの先頭に立つ身として、どこか重なる所があるのだろうかと邪推する。


「それは、代々続いて来ているので、長くこの宿を守っていく事です」


「赤字を垂れ流すくらいだったら、プライドとか従業員の事は考えずに休業するべきじゃない? 目的の為の最善を尽くすのがベストでしょ。それに、目的の為なら手段を選ぶべきでもないわ。仮に他人を犠牲にしてでも」


 エグレは舌鋒鋭く、そう進言する。


 だが、俺はその意見を肯定する事ができなかった。寧ろ否定的である。


「いや、短期的に見れば休業も立派な選択かもしれないが、従業員があっての経営でもある。つまり、長期的に見れば、多くの人が支配人に付いて来てくれる事にもなる。俺にはその方が目的に近しい考えだと思うけど」


「いいえ、目先の利益を重視しする事こそが、細くても長く継続できる方法よ。先の事なんて誰にも分らないのだから、今を重要視するべきなの」


「誇りある生き方が大事な様に、誇りのある経営方針も大事だ。一度でも腐った果実はもとに戻らないのだから」


 とは、言うものの俺自身は誇りのある人生も糞もない。ただただ、単調で生産性のない日々を生きていた。


 それにしても、無関係の俺たちでもここまで意見が割れるのだ。張本人であり、決定権を有する支配人の悩みは如何ほどなものだろう。想像も付かない。


 支配人は俺たちの言い合いに仲裁する事も、助太刀する事もなく、困った様に苦笑を浮かべていた。


 そうこうしていると部屋まで着いた。


 ◆◆


 一通り部屋の案内をしてくれた支配人はお茶を淹れ、足早にこの部屋を立ち去ろうとする。ここまで至れり尽くせりなのは、一流の宿場故だろう。だが、そんな忙しいであろう支配人を俺は呼び止める。


「支配人! ひとつ訊きたいのだが?」


「はい、なんでございましょうか?」


 一応、口元を隠す。エグレに聞かれない様に。まあ、遊郭に行きたがっている事を知っているのだから不必要な配慮かもしれないが。


 それでも俺は、コッソリと支配人以外の誰にも聞かれない様に問う。


「――この町に遊郭はある?」


「ありますが……営業しておりません」


「なぜ?」


「カントン平野が閉鎖されている影響で」


 俺は愕然とした――憎むべきモンスターよ。

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