第12話 宿場町は温泉と赤字を慣れ流すううううううううう

 町の入り口には大きな看板で『ユノナカ宿場町』と書かれていた。


 ようやく着いた。ここが今日の目的地である宿場である。


「宿場町は平時と同様に営業しているんだね」


「ええ、ここまでは〈大いなる毒烏〉ポイズン・クロウの縄張りではないからね」


 宿場町と聞いていたこの場所はあちらこちらから白い煙と共に、ゆで卵の様な独特な臭いは硫黄が原因である事は、慣れ親しんだ匂いという訳ではないが、一度嗅いだら忘れられない独特なインパクトがある為か、すぐに分かった。そして、久しく温泉なんて入っていなかった俺には、気持ちを高揚させ、ノスタルジックな気持ちにさせる。


 あーーー広い風呂で足を伸ばせるーーー!!!


 想像するだけでワクワクする。別に家にいる時だって風呂はあったし、なんから大衆浴場へ行けば、この宿場町よりも大きな風呂があるかもしれない。


 だが、それでは味気ないというか、面倒くさい。風呂を入るために外出するのは面倒くさい。だが、旅の宿場であれば、旅という本来の目的があり、それに対して付随形でなし崩し的に宿泊、入浴という行為が必要となる。すこし、回りくどい言い方をしたが、つまり、風呂の為に外出するのは嫌だけど、旅の道中に風呂でリラックスするのは大歓迎という事だ。


 旅の目的とは宿泊ではないだろうか?


 まーた馬鹿な事を言い出した。と、思っている読者諸君! 思い出して欲しい。

 修学旅行で一番の思い出は? と訊かれれば、それ相応の観光名所やアクティビティを思い出すかもしれない。だが、修学旅行で一番印象に残っている事は? と問われれば、友人と布団を被りながら、恋バナや怪談、馬鹿話に花を咲かせいつもより夜更かしした、興奮して寝付けなかった、あの夜ではないだろうか?


 ――え? 友達がいなかったからわからない? それならば、今から友人を作り旅行に行けばいい。何なら俺が一緒に行ってあげてもいい。候補地は伊豆、軽井沢、北海道、沖縄あたりで如何だろう? だが、残念なことに金銭的な余裕はない。支払いはそちら持ちでもよろしければ、の話ではあるが。


 王都から離れたこの場所は辺鄙な立地にも関わらず、建造技術や文化はここまで伝来している様で、王都と同様に木材を使用した建造物が並んでいる。しかし、ここに建ち並んでいる建造物には既視感がある。その光景は、差し詰め旅館であり、まるで現世での温泉街を彷彿とさせる。


 だが、現世のそれと異なる点は、人通りが少ないことだ。少ないという表現でもよく言い過ぎてしまっている。正しく言えば、俺たち以外に誰もいないのだ。


「今日の宿泊場所はどこだい?」


 俺はルンルン気分で問う。


「決めていないけど、この状況なら、ねえ」


 エグレは言葉を濁してはっきりとは言わなかった。だが、なにを言わんとしたのかは分かる。俺もこの町に来てからずっと思っていた事だ。


 だからこそ、俺ははっきりとこの惨状を言葉にする。


「――これは、さすがにお客さんは少ないね」


 王国の最西端に位置する宿場町でもある『ユノナカ宿場町』は、本来であれば、帝国との国交の正常化に伴って、両国の商人や運搬車、冒険者などなど多く両国間を往来する宿泊客で賑わっている。と、聞いていた。


 だが、この町でも〈大いなる毒烏〉ポイズン・クロウの影響によるカントン平野の事実的閉鎖により、客足が遠のいているようだ。少なくとも、カントン平野を横断しなければ来る事ができない王国からの集客は見込めない。ならば、帝国からの集客はどうかと言えば、正直な話、王国まで行く道中の休憩所程度の認識であろう。こんな辺境な地まで面倒な検問をして、わざわざ訪れる物好きはいない様に思われる。


 つまり、今の『ユノナカ宿場町』は、予約なしでどこの宿泊施設に行っても二つ返事と宿泊が可能である。


 だが、他人事ながらこの町の経営と財務状況が心配になる。それ程までに、お客さんが一人もいない。俺たちしかいない。その惨状を憂う――


 なんだろう。この既視感は、どこかで見た様な……そうだ、鬼の出る映画に日本での映画興行収入ランキングで抜かされて二位になった事が記憶に新しい、毎年夏になれば金曜ロードショーで放送を繰り返される、長編アニメーション部門でアカデミー賞を受賞した、あの作品の冒頭シーンの様ではないか。


 と、いう事は、この辺りの屋台で俺の両親は劇中でも、再放送でも、何を食べているのか分からない肉らしき物をしょくして、豚にされているのだろうか? 


 まあ、そんな訳はないが、そんな不安な気分にはなる。が、逆に考えればこれは好機である。


 寧ろ、よきかなー。で、ある。


 だって、旅館も浴場も俺ひとりなんだぜ。独り占めなんだぜ。個人客での貸し切りなんだぜ。これ以上の贅沢があるだろうか? VIP対応があるだろうか? 気分は大統領だぜ!


 ――そういえば、この十年間、贅沢なんてしてこなかったな。只々、最低限の食材と生活用品だけ買い込んで、家に籠っている日々だった。


 こうなったら、この様な貴重な機会を存分に堪能しようではないか。十年ぶりの旅なのだから存分に豪遊しようではないか。金ならある!!


「――エグレ、提案なんだが……」


「ん、なに?」


「この町で一番高い宿に泊まらないか?」


「……無職のクセに生意気」 


 俺の燃え上がった心中とは裏腹に、エグレは冷たくそう言い捨てた。


 ――よきかなー。


 そんな事を考えている時に、エグレは素っ頓狂な声を上げる。


「――あれ?」


「ん? どうした?」


「どこも営業していない」


 周囲を見渡す。確かにどこも、臨時休業の紙が入り口に貼られている。



 ◆◆



 ユノナカ町はかつて盆地の立地を活かした麦や果樹を栽培するほとんどが農民であった。


 だからこそ、水は切っても切れないほど貴重であり重要であった。だが、丁度、今から百年ほど前の話になる。井戸の水が枯渇する可能性が生じている事に気が付いた町民は総出となって地下水を掘るために、五拠点で地面の採掘を行った。


 そして、ある一つの掘削場所から温泉が噴き上がった。それが、『ユノナカ宿場町』の始まりでもあった。


 その話を聞きつけた王都や帝国東部の人々が温泉を目当てにこの町に訪れる様になった。それから、町で資金のあった地主や一部の農家、温泉の利権を持つ者らが、畑を捨て宿場を開業する様になった。こうして、『ユノナカ宿場町』は誕生した。天然の温泉は今でも貴重な観光や集客資源ではあるが、かつては今以上に天然の温泉を堪能できる場所は少なく、王国だけでなく帝国からも重宝される、有名な旅行スポットとなった。


 貴重な天然温泉を武器にこの町は益々発展するを信じて疑わなかった。だが、帝国による度重なる領土侵犯やカントン平野の領有権主張により、『ユノナカ宿場町』も帝国領土だと実行支配になどの危機に瀕していた。国境付近のこの町がいつ帝国と王国の激戦区になってもおかしくはない状況に、多くの町民は王都へ避難する様に疎開していった。残った数少ない町民のほとんどは、この場所で戦火に怯えながら細々と営業を続けるしか選択肢は残されていなかった。つまりは、資金を宿場しか持っていなかったのだ。


 だが、『ユノナカ宿場町』が戦火の炎に見舞われる事はなく、帝国との国交正常化に伴い、再び多くの者が国家間を往来する事で、かつてない集客と収入を得てから五年ばかりの月日が流れた今、客足は完全になくなった。


『ユノナカ宿場町』で最も最高級と名高い『温泉の宿 鐘俱屋かねぐや』は未曽有の経営危機に瀕していた。


 原因はカントン平野の事実上の閉鎖である。Aランク以上の冒険者がいないと通行を禁ずるお達しが出ていることは、この町に住んでいるすべての人間にとっては周知の事実であり、死活問題でもあった。

 さらに、AランクやSランクの冒険者で結成された討伐隊が派遣しても討伐出来なかったと聞いた時はどれだけの絶望を強いられた事か。 


 四代目を務める支配人は決断が迫られる。


 現状では赤字を垂れ流す状況であり、これ以上、現状での営業を続ける経済的合理性はない。

 それでも、『ユノナカ宿場町』で最高級且つ、『ユノナカ宿場町』の目玉である宿場としてのプライドで客がいない現状でも営業は続けた。いつ、いかなる時でもお客様がいらっしゃっていい様に。


 だが、カントン平野が閉鎖されている以上は王国からの集客は見込めない。帝国からもわざわざここまで旅行に来るお客様がどれだけいるだろうか? こんなちっぽけなプライドに、微々たる努力にどれだけの価値があるのだろうか。


 ちらりと対面に座り帳簿を睨む若女将を一瞥する。


 わたしのもとへ嫁ぎ、我が『温泉の宿 鐘俱屋かねぐや』で若女将になって三年が経過した。就任直後は不安視する声や就任に対して疑問を呈する声もあった。しかし、毅然たるその態度は瞬く間に従業員とお客様の心を掴み、今ではわたし以上に、『温泉の宿 鐘俱屋かねぐや』に欠かせない存在になりつつある。


 そんな彼女は頼もしく、誇らしくも、愛らしくも感じる。だが、そんな思いだけでは、集客が見込めないのもまた事実――


「ああ、この宿場はもう駄目だ」


 わたしは思わずそんな弱音が漏れ出てしまう。


 今日で何日連続で宿泊客がゼロだったろうか。数えるのも億劫になる。だが、数えなくても知っている。五日である。五日前からも記録的なほど宿泊客は軽減していた。が、とうとう五日前にゼロになり、その不名誉な記録は今も尚、続いている。


「なにを弱気になっているんですか。いつかまた、お客様は戻ってきますよ」


 若女将が鼓舞する様にそう言う。本当に逞しい。


「ただ、冒険者組合の決死の討伐隊でもモンスターを排除できなかったんだ。カントン平野が開放されるのに、どれだけの月日が必要だろうか。やはり、一時的でも 営業を続けるよりは、ウチの宿も休業するべきでは――」


 その判断が正しいとは思わない。だが、長期的にも短期的にもモンスターの討伐に見通しのない現状では不安でしょうがない。


「それでは、働いている従業員の給与はどうするのですか? お金は残っても従業員の信頼は二度と取り戻せませんよ」


 そうかもしれない。でも、このままだと宿も従業員もわたし達も共倒れとなりかねない。それくらいには危機的状況になりつつある。


 ――だったらやはり、一時的に休業に、、、と堂々巡りである。


 そんな事を考えて頭を掻きむしっていると、襖が開き仲居として雇っている従業員の若い女性が顔を出す。名前は、まあ、今はいいか。


「――失礼します」


「どうした? 今は若女将と今後の経営について大切な話をしているのだが?」


「はい、宿泊したいというお客様がいらしてるのですが……」


「……客? 今日の話か?」


「はい、今の話です。それで、支配人にお話がしたいと」


「わかりました。すぐに向かいます」


 宿泊客が来た。それだけで幾分か心が軽くなる。


「――さあ、君も一緒にお出迎えしよう」


 先ほどまで話していた若女将の方を振り向きながら笑みを浮かべて言う。


「ええ、分かっております」


 若女将もは微笑を浮かべていた。

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