第10話 さあ、語ろう栄光と苦悩の十年をおおおおおおおお

 ◆◆



 爆炎の香りと舞い上がった土煙が依然として視界を遮る中、わたしたちは帝国を目指して歩みを止めない。依然として下草はざわざわと先ほどの魔力に驚嘆にして、怯えている様にざわめいている。


 わたしも幾年もの人生を歩み、それなりに強者と対峙してきた。それなりに強者であると自覚している。


 ――だが、改めて痛感した。


 圧倒的強者の存在を――

 世界の覇者の威厳を――

 英雄の鉄槌を――


 十年ものブランクがあると言っていた。それが、本当かは分からない。だが、十年もの時間が経った今でもその強さは健在であり、あれほどの広範囲かつ高威力の魔法を随分と離れた位置から放つことができるのは、この世界で彼以外にいないと思われた。


 彼は魔王を討伐してからの十年間は「なにもしていない」と自嘲していた。だが、こうも言っていた。「警備を少々――」と。警備とは何を守っているかはすぐに察しが付く。世界の警備だろう。つまり、今も尚、この世界を人知れず一人で守っている。そんな事が可能なのだろうか? できると断言する。これだけの人知を超えた力を持っているのだから、世界を平和にすることくらい造作もないことなのだろう。


 それに比べてわたしの力はどれほどちっぽけなのだろうか――


 本当に彼が魔王側でなくて良かった。もし、彼が魔王の一味だったら、いや、彼が魔王だったら世界を征服して、人類の存続はないだろう――


 それ程までに彼は圧倒的な存在である。だが、それでもわたしは彼に及ばなくても、自分にできる最大限の努力をしよう。圧倒的な力を前に打ちひしがれた過去の自分とは決別している。わたし以上の強者、決して手の届かぬ強者――そんな存在がこの世界にいる。「モンスターが出たら頼りにする」か……とんだ笑い話だ。ここまでの強者が助けを求めた時に、わたしなんかが助けられる訳がなかろう。


 ふと、自身が如何なる努力を惜しんでも届かぬ世界があると実感している時に彼から疑問の声が飛んで来た。


「君はどうしてたの?」


 主語のない疑問文――


 彼とは魔王の討伐という偉業を共に成し遂げた掛け替えのない旧友であり、多くの時間を過ごした掛け替えのない恩人でもある。彼のことはよく理解しているつもりである。


 だが、会わなくなって随分と時間が経った。完全に彼という人間を理解できている様な阿吽の呼吸は持ち合わせていない。つまり、彼が何を疑問に思ったのかが、わかしには分からなかった。


「どうしたって?」

 

 素直にそう訊き返す。


「魔王を倒してからの十年間はなにをしていたの?」


 どうやら、さっきわたしが彼に訊いたように、彼もわたしの会わなかった期間の事が知りたいようだ。


(魔王を倒してからの十年はわたしにとって、魔族との戦争とは異なる戦いであり、戦争でもあった。本当に思い出したくもないほどの――)


「十年間ずっと戦っていた。わたしの人生はいろいろなものと闘う人生なのよ」


 そんな自嘲を言ってみる。だが、本当にそれが運命さだめの様にわたしの心中は常に荒ぶっており、心労が常に付き纏っている。その所為かはわからないが、顔は日に日に疲労がたまり形相を変えてゆき、最近では自身の顔を覗く時、こんなに険しい顔をしていただろうかと疑問を抱く。そして、ほうれい線も少しだけ浮き出ている様に感じる。


「戦うって?」


 彼は不思議そうな顔でわたしを覗き込む。その顔は十年以上経った今でも、あの頃と変わっていない様に思えた。いや、少し老けただろうか。髪の毛に若干の白髪が混じっており、やはり年相応には加齢をしているのだろう。


「ほら、エルフって人間種の中では未だに迫害というか、差別意識があるでしょ」


「ああ、同情するよ」


 と、言葉少なく、同調する。だが、本当は彼はそんな事を知らないのだろう。


「王国に住む多くのエルフは、あなたたちに出会う以前のわたしの様に、飢餓に苦しみ、住む場所や働く場所を求めて、同じ仲間のエルフを求めて、困窮し苦しんでいた。今も世界のどこかに苦しんでいる同胞がいるかもしれない。だから、エルフである彼ら、彼女たちを保護する活動をしていたの。エルフという理由で迫害されている彼ら、彼女らを――」


「そうか、随分と立派になったんだなあ」


「あなたのお陰よ。弱かったわたしに力をくれたのも、魔王を倒して国から多額の報酬と数々の名誉のおこぼれが、わたしの活動にどれだけの支えと原動力になった事か」


「そんな事はないだろ。君の努力の賜物だと俺は思うけど……」


「いいえ、誰かを救うには志だけじゃ足りないの。それだけじゃ誰も救えないの。もちろん、救いたいという熱意と志が重要だけど、それと共に、いや、それ以上にお金と英雄の仲間だったという名声と肩書が重要だったの」


「世の中は世知辛いね」


「ねえ、奴隷として売られたエルフを合法的で平和的に心身を保護する方法は何だと思う?」


「……奴隷商をぶっ飛ばす?」


 平和を愛する彼らしからぬ物騒な回答が返って来る。


「売られている奴隷を買うこと。たくさんの競売にかけられたエルフを買うだけの資金力と、買い取ったエルフたちが暮らせる居住地、生活するだけの金銭は必要不可欠ったの。つまり、綺麗事では誰も救えないって事ね」


「そうか? まあ、君がそういうのならそうなのかもしれない」


「王国にいる多くのエルフを保護して、一つの町ができるくらいには大きくなったけど――」


 それと共に問題は噴出している。と、理想とはかけ離れた現実に直視しているが、口にはしなかった。


「それは、凄い! さすがはエグレだな! よく頑張ったな!!」


 わたしの十年間を惜しげもなく感嘆と称賛の言葉を口にする。彼は本当に変わっていない。誰かの功績や努力を自分の事の様に一緒に喜んで、励まして、褒めてくれる。


 誰かに褒められたのは久々な気がする。


 多くのエルフから賞賛や感謝の言葉は受け取るが、褒められる様な事はなかった。確かに、褒めるという行為は目上の者が目下の者に対して行われる。それだけ、わたしは人を導く様な存在になったという事だろう。立派な大人になれたという事だろう。


 だが、なんだか、十年前の苦しくも楽しかった無邪気な冒険が懐かしく感じる。


「まあ、同じ種族とはいえ住んでいた場所も環境も違うから、どうしても考えや思想に相違があっていざこざも多いのだけど」


 それでもわたしはエルフを守る。報酬で得た多くの資金と、英雄の仲間であったという代え難き人間種にとっての恩恵と肩書を利用して――


 ――世界中にいる、ひとりでも多くのエルフを助ける。



 ◆◆



 防衛省・東部参謀指揮官である、ジャック・ダウンは愕然としていた。


 数時間前に結成した〈大いなる毒烏〉ポイズン・クロウの討伐隊である毒鳥協同作戦を決行してカントン平野に訪れたのは今から一時間前の事である。


 防衛省と冒険者は不仲な事は周知の事実であり、その事については別に自然な事に感じる。だが、今日に限っては、防衛省であるわたしの立案した作戦に素直に従ってくれている。その証拠に、時間にルーズだと聞いていた冒険者は誰一人遅れる事がなく検問所の前に集まっていた。そして、その事に対して心から感謝もしている。


 集まってくれた彼らの前でわたしは演説する。


「――『毒鳥協同作戦』の為に集まってくれた勇敢ある冒険者の諸君らに感謝の言葉も見つからない。知っての通り、王国は未曽有の危機に見舞われている。そして、討伐に名乗り出た多くの者が負傷した。重度の怪我を負った者もいる。死んだ者もいる。それなのに、この場に多くの者が名乗りを上げたことに感謝する。それとともに、君たちのことを誇りに思う。我々はより多くの国民が安全で、文化的な日々を送るためにも、諸君ら尽力は必要不可欠である。必ずや〈大いなる毒烏〉ポイズン・クロウを討伐して、この地に平穏を齎そう!!」


 すべての者がわたしに注視して、傾聴してくれている。その顔は誰もが逞しく決意した戦士の顔であった。そして、ほとんどがおっさんであった。


「それと、討伐にあたっての報酬は弾むと心得て欲しい。なんでも、望む者を授ける様に王と掛け合うことを、防衛省・東部参謀指揮官である、ジャック・ダウンの名の下に誓う」


 冒険者だけでなく、東部護衛兵、国境警備隊、王都兵、志願兵からもけたたましい歓声が上がる。


 そして、ここにいるすべての者が死を覚悟して、カントン平野に赴いた。


 縄張り意識が強い〈大いなる毒烏〉ポイズン・クロウは、縄張り内に侵入した時点で敵対行動と見做して攻撃してくると報告を受けていた。そのため、縄張り内と想定されている範囲内に侵入しても、依然として敵襲がない事に対して、緊迫感と共に、不安と安堵の気持ちが交互に訪れる様な気が気でない心情であった。


 そんな心情に恐怖が加わったのは、下草が燃え焦げ、焦土が広がる大地が出現してからだ。


 しかも、その範囲は広大で、ここら一帯に火災が生じていたとしか考えられないほどである。


 そして、〈大いなる毒烏〉ポイズン・クロウを最初に発見したのは、焦土の中央付近と思われる場所であった。


 ジャックダウンがはじめて視認した〈大いなる毒烏〉ポイズン・クロウは資料の通り素早く滑空している姿でも、報告で聞いた黒く大きな鳥モンスターでも、想像の通り獰猛で好戦的な姿でもなく――


 焼け焦げた死骸であった。それも、一匹だけでなく、恐らくは群れを成していたすべての〈大いなる毒烏〉ポイズン・クロウと思われる、無数の死骸がそこには転がっていた。


 周囲に広がる焦土が何を意味しているのかは分かっている。


 だが、問題は誰が何の目的でこれ程の惨状を起こしたのかだ――


 もし、これだけの強大な力を持つ他のモンスターがこの地に住み着いたのなら?

 もし、被害が生じる可能性を憂慮した他国の何者かが、これだけの魔法を放ったのならば?

 もし、大災害の前兆だとしたら?

 もし、依然として確認されていない強大な力を持った敵対勢力によるものならば?


 想定される最悪のシナリオが幾つも脳裏に過る。


 だが、〈大いなる毒烏〉ポイズン・クロウを駆逐して、ここまでの広範囲を焦土に変えるだけの力を持つ者が確かに存在する。


 その事実にどうしようもない程、恐怖する。


 危機は脱した。だが、新たな危機が、いや、もっと驚異的な危機に王国は直面しているのではないだろうか?


 防衛省・東部参謀指揮官である、ジャック・ダウンは生唾を呑む。その顔には一筋の汗が左頬を伝っていた。


 防衛省・東部参謀指揮官である、ジャック・ダウンは願う――この惨状が王国の新たな英雄の誕生によるものである事を。

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