第2話 シコシコシコシコオオオオオオオオオオオオォォォ

 ◆◆



 乱れる息遣いだけが響く室内――俺は今、シコっている。


 その一文だけで情景が浮かばなかった人のために、分かりやすく、端的に、人の目を気にせずに、おおぴろげもなく言えば、自身の男性器を自身の右手でシコシコしているのだ。つまり、オナニーの真っ最中である!


 ――何故かって? 愚問だな! それが気持ちいいからだ! そう、気持ちよくて気持ちよくてやめられないのだ!!


 さて、未だかつて主人公のオナニーで始まる作品があっただろうか。俺が知らないだけであるかもしれない。ただ、稀有なことは間違いはないだろう。


 読者諸君――いきなり何を読まされているんだと後悔しているだろう。確かにいつまでも自慰について描写しても仕方がない。仕方ないというか、他者の自慰行為に対して興奮する稀有な人以外にとっては有意義でないだろう。苦痛かもしれない。だが、残念なことに、ずっとこんな感じだ! 苦痛に感じる皆さん、処女の皆さん、男性に免疫のない皆さん! ここには男の、いや、俺の欲望と色欲に塗れた男汁だらけの汚らしい場所だ。貞操が守られる保証はない! しかと覚悟せよ!!


 えー、さてさて、もう少しでイキそうなので、オナニーはやめません。そのため、しばしご歓談と言いたいところだが、少し嗜好を変えて、果てるまで俺の自論にお付き合い願いたい。


 昨今、巷で囁かれる蛙化現象をご存じだろうか。


 異性の些細であり、平凡な言動で恋が冷めてしまう、なんとも理不尽な現象の事である。


 世の女性に言いたい。男が最も惨めで無様で無防備な姿とは、オナニーに勤しんでいる時であると。つまり、君の好きな人がオナニーをしている姿を想像して、引かない、冷めない、嫌わないと言い切れるのならば、それは本当の愛だと。それこそが愛なのだと。


 そして、叫べ! 世界中に聞かれても恥ずかしくないほど大きな声で!



「愛してるううううううううううううううううううううううううううう!!!!」



 そして、知って欲しい。男は全員、オナニーをしていると。イケメン俳優も、アイドル歌手も、君が好きなバスケ部のキャプテンも――


 だからもし、君の恋人がオナニーをしている姿を目撃しても決して責めないで欲しい。差し出がましいお願いだが、そっとその扉を閉めて見なかったことにして欲しい。


 そして、君がそんな恋人の姿を目撃しても、依然としてその愛に揺るぎがなければ、微力ながら、勝手ながら、賞賛の言葉を贈りたい。この世界の平和は君の力で守られていると! 君は素晴らしい良妻賢母になれるだろう。君は素敵な女性だ!! きっと素敵な人生になるだろう!!!



 そして、世の男に言いたい。好きな女の前でオナニーをしろ! それでも、「そんなあなたを受け入れる」と言った女は伴侶にしろ! 生涯、お前が隣にいさせてもらう女だ! 懇願しろ! 誠心誠意、頭を下げろ! 


 そして、叫べ! 世界中に聞かれても恥ずかしくないほど大きな声で!



「結婚してくれええええええええええええええええええええええええええ!!!!」



 そして、言いたい! はっきりと申し上げたい!!


「てめーーー! なに彼女がいるくせにオナニーしてるんだよおおおお!!!!!」


 嫌われろ! 彼女に嫌われて振られろ! そして、その女には俺がご奉仕してもらう! 未だに経験のない、あんなことやこんなことをしてもらうんだ!!!!!! そこを代われえええええええええええええええ!!!!!!!



 ――いやはや、少々取り乱してしまった。お見苦しい姿をお見せしたことを陳謝しよう。



 そして、俺はここに宣言する! 叫ぶ! 世界中に聞かれても恥ずかしくないほど大きな声で!!!



「オナニーさいこおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!」



 物語が始まって早々に、三十五歳のおっさんが男性器を弄っている様な惨めな姿、聞くに堪えない自論、恥ずかしいほどの愚かな宣言に対して、読者諸君に苦虫を嚙み潰したよう顔をしていることは想像に難くない。俺としてもそんな顔をさせていることが心苦しいく思う。ここは、誠心誠意の謝罪が必要なことくらいは、それなりに生きている俺なら分かる。


 だが、俺は手を止めない!! 決して止めることができない!!!

 俺たちの冒険は終わらないいいいいいいいいいいいいいいいぃぃぃぃ!!!!


「…………ハウッ!!」


 世間一般ではイカ臭いと表現されるが、俺はそう思ったことがない。だが、今はそんなこと、心底どうでもいいだろう。同感だ。




 …………さてと、まずは釈明させてほしい。今までの愚行はすべて自分の意志ではなかったということを。すべての、そうすべての元凶は、私奴の男性器にそそのかされてやったことです。


 そのうえで謝罪を欲するならば謝ろう。大いに謝ろう。額を地につけ、硬い地面に擦り付けて許しを乞う。

 何も入っていない頭部を踏まれても構わない。靴を舐めろと言われれば厭わず隅々まで舐めよう。「一生そうやっていろ」と言われれば……検討の余地を頂きたい。それと、可能であればお慈悲も――


 だが、これらの行為は若くスレンダーな美女に対して行いたい。もっと我が儘を言えば、ピッチピチのワンピースを着ていて、大きな胸が強調されていて欲しい。真っ赤なハイヒールで頭部を踏む付けてグリグリして欲しい。そして、止めにキツイ叱責に一言を頂きたい。嘲笑するような笑みを浮かべていて欲しい!


 ――よ、涎が止まらないぜ! 決して願望ではない!! 欲望だ!!!!



 ◆◆



 ――この世界の誰も知らない話をしよう。


 そう、誰も知らない世界の小さな、小さな変化について。


 英雄の精液には強大な魔力が含まれている。そして、【強大な力が開放】された時、力を敏感に感知できる一部の強者は、世界の断りに反する力に反応を示す。


 ――海中奥深くで長い長い眠りに就いている【母なる海の王リヴァイアサン】は、その力で眠りから目覚める。そして、眠りを邪魔されたことに憤慨しながらも、再び長い長い眠りへと舞い戻っていく。


 ――偏狭な地で静かに死を待つ【漆黒をした龍の覇者亜ロギ・レックス】は、自身を殺す力があると狂喜乱舞する。そして、再びその大きな翼を広げて、一面を炎の海へと化しながら、三日三晩もの時間を踊り続ける。


 ――魔界でさえ、その危険性と強大な力を危惧され、【悪魔の刑務所ディアブル】に投獄されし【世界を滅却するスルト黒き者】は、自身と同等かそれ以上の力にどちらが強いのかと妄想に耽りほくそ笑む。


――【不死の七頭龍ヒュドゥラ】は、命の危険を鑑みて、生き物の本能に目覚める。新たなる力を求める為に、後世への種の存続の為に、地中奥深くに潜り自身が一代で築いたハーレムと繁殖活動を開始する。


――この世界のすべてを見通す力を持つ大預言者ダイババは只々、恐怖の感情に身も心も支配され、感情の高鳴りが収まるまで神に祈り、小さく震えている。そして、神に懇願する。この力が人類に牙を剥かない事を願い続ける。




――消滅した魔王の心筋細胞は、その力によって再び小さく鼓動する。


 だが、世界にとって大きな、大きな変化を知る者は誰一人としていない。この力の発生源である、英雄でさえ知らないのだから。



 ◆◆



 汚れた、いや、汚した部屋を片付けながら思う。なんて生産性のない時間を過ごしていたのだと。勝手に盛り上がって、勝手に処理して、後始末という仕事を勝手に増やす。なんて馬鹿馬鹿しい。


 こんなことをしている今でも、世界の反対では飢餓で苦しむ子どもがいるというのに。

 こんなことをしている今でも、世界のどこかでは紛争で命を落とす兵隊がいるというのに。

 こんなことをしている今でも、お産に苦しむ妊婦がいるというのに。

 こんなことをしている今でも、この世界に生を享ける新たな命があるというのに。


 時計が無情にも一時間近くオナニーに勤しんでいた事を教えてくれる。そして、猛省する。俺はなんて不毛な時間を過ごしていたのだろう。


 自己処理と排泄にしか用途のない、随分と世話のかかる息子を睨む。反省しているのか、しなしなと縮こまっている。


 心底思う。こいつがいなければ、俺はもっと健康で文化的で紳士な男になっていただろう。いや、こいつがいなければ俺は男と言えるのか?

 

 まあ、そんなことはどうでもいい。本書の趣旨から逸脱すること甚だしい。


 さて、獰猛盛んな勇者からすべてを悟った賢者になる様に、俺は英雄からニートになった。それは決して比喩表現ではない。


 読者諸君はそれを退化と言うだろうか? それとも、それこそが進化だと言う、奇特な人間もいるだろう? 流石の俺もその意見には賛同いたしかねる。現実をしっかりと見た方がいい。言えた義理ではないが、ハロワへ通うことを勧める。


 だが、俺はこの変化は進化でも退化でもないと断言する。そして、この変化は転職であると高らかに宣言したい! ジョブチェンジであると! 


 そして、現在就職している自宅警備員こそが俺の天職であると断言する!!


 だが、ふたつだけこの職業に欠点があるとすれば、どれだけ勤労に努めても賃金が発生しない事だ。そして、すこぶる世間体が悪い。


 別に働かない理由はない。ただ、強いて理由を言えといわれれば、面倒くさいからだ。年齢と共にいろいろな欲望がなくなった。


 まあ、性欲だけは未だ衰えてないけどな!!!!



 ◆◆



 ――室内に三度ノック音が響く。


 突然のその音に驚嘆すると共に、処理後でよかったと安堵する。


 来客か? 珍しいな。大家には今月分の家賃は払ったし、変な勧誘とかかもしれないな……居留守しようかな。


 俺は息を殺し、その場に立ち尽くしながら扉を睨む。


「いるんでしょーーー」


 扉の向こうから若い女の声がそう呼びかけて来る。


 さて、読者諸君! 君たちなら以下の三つからどれを選択する?


 1.変わらずに居留守を決め込む

 2.未だに勧誘の可能性はある。慎重に扉を少しだけ空ける

 3.若い女だ! わーい! わーい! ドアガチャ!


 無論! 3だよな! だよね! そうだよねえええええええ!!!


 俺はスキップしながら勢いよく扉をオーーーーープン!!!!!


 声からの憶測通り、扉を開けたそこには若い女がいた。しかも、美女! 金髪! 巨乳! エルフ! ハーフパンツ! 生足! 谷間! 


(うっぴょーーーーー!! 絶世の金髪美女!!!! ラッキーーーー!!!!!!さいこおおおおおおおおおお!!!!!!! 居留守使わなくて大正解!!!!)


「――久しぶり」


 美女はそんな俺の心情とは対照的に、柔らかな笑みを浮かべ、極めて冷静にそう言う。


 そんな言動に俺も冷静さを取り戻した。と、いうか口ぶりから知人の様だ。


「あ、はい。お久しぶりです」


(誰だこいつ? 久しぶりってことは面識はあるはずだよな……)


「元気にしてた?」


「あ、はい。おかげ様で変わらずに」


(誰だこいつ? なんか馴れ馴れしくないか?)


「今なにしているの?」


「あ、はい。(自宅の)警備を少々――」


(誰だこいつ? でも、俺が働いていないことを知らないってことは、ここ十年くらい会っていない人なんだろう……)


「今は部屋で何していたの?」


「あ、はい。オナニーを」


(誰だこいつ? 男が自室でひとりだぞ! 何をしていたかなんて容易に想像が付くだろ!!)


「お、お、オナにーぃぃぃぃ?」


「あ、はい。自慰を少々」


(誰だこいつ? なんで顔を赤らめているんだ?)


「……相変わらず元気みたいだね」


「あ、はい。おかげ様で変わらずに」


(誰だこいつ? なんか急によそよそしくなったな)


「皮肉のつもりだったんだけど……一応、忠告しておくけど、そういうのは包み隠した方がいよ。特に女性の前では」


「……」


「……」


「……せやな」


(し、し、しまったーーー!!! つい、誰か思い出そうと必死で脳みそを使わずに喋っていた!! 故に正直にオナニーをしていた事を打ち明けてしまった!!!! てか、誰なんだよこいつーーーーーー!!!!)


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