キャビネット7 「虹色ムカデと鬼哭啾々」

 キャビネット7 「虹色ムカデと鬼哭啾々きこくしゅうしゅう


 虹色ムカデは妖しいまでに美しいムカデだった。その名の通り、色鮮やかな体色で、頭と胴体は青く、触覚は白く、脚は七色をしている。


 虹色ムカデは山間にある昼なお暗い森の中、じめじめとした岩場や地面に住んでいた。


 普段は物静かで大人しく、昼間は草むらや落ち葉の下にじっと潜んでいる。


 夜になると、主食としている小型の昆虫や、蜘蛛、蚯蚓を探して、大きさに似合わぬ素早い動きで、かさかさと動き出す。


 がっちりとした脚が何本もついた平たく細長い体を上手い事使って、落ち葉や岩場の隙間を突き進む。


 常に前進するのみで絶対に後退しないから、木の上まで登る事もあるし、岩肌を這って飛び降りる事もある。

 

 見た目こそ夜の闇に華やかなぐらい美しかったが、顎の力が強く、何でも噛み砕く上に、牙には毒を持っている。


 前進した先で昆虫が触覚に触れれば、すぐさま脚で捕まえ牙から毒を注ぎ、身動きを封じた上でばりばりと噛み砕く。


 外骨格が非常に硬く、並大抵の事では傷一つ付けられないので、その辺の昆虫では歯が立たず、一度捕まったら死あるのみだった。


 虹色ムカデは外見が美しいだけではなく、戦いとなれば、それこそ前進するのみで、絶対に後退しなかったから、強く、気高く、誇り高く見えた。


 だが、虹色ムカデは、毎日、つまらないと感じていた。


 なぜか——昼間は落ち葉と地面の間で身動ぎ一つせずじっと過ごし、夜になれば、熾烈な戦いの果てに、味気のない食事を摂る。


 その上、いつも独りぼっちなのだ。


 試しに、昆虫や、蜘蛛、蚯蚓と仲良くなろうと、いくらか歩み寄ってみた。


 だが、彼らは皆、虹色ムカデの姿を見ると、一目散に逃げ出すか、わざわざ立ち向かってきて、すぐに戦いになってしまう。


 虹色ムカデは、ここじゃないどこかに行けば、きっと仲間がいるに違いない、と昼なお暗い森から、出ていく事にした。


 夜更けに平たく細長い胴体と強力な顎を使い、落ち葉と地面の間を突き進み、障害物となる石ころを噛み砕き、森の中を先へ先へと行く。


 ふと、いつの間にか血と肉の匂いが、周囲に充満しているのに気づいた。


 ——何だろう?


 疑問に思った途端、傍らの岩場から、何者かが飛びかかってきた。


 虹色ムカデは咄嗟に全身を鞭のようにしならせて、何者かを跳ね返したが、相手は軽い身のこなしで宙返りをし、見事に地面に着地すると、すぐに体勢を整え、噛み付いてきた。


 虹色ムカデは再び体を鞭のように使って相手を吹き飛ばしたが、相手もまたしつこく飛びついてきて、噛み付いてくるではないか。


 今度こそはと、渾身の力を込めて、ぐるぐる巻きにして、力任せに締め上げた。


 ようやく血反吐を吐いて、身動き一つしなくなった。


 見れば、体長が二尺ほどもある大鼠だった。


 ここは、大鼠の狩り場だったのだ。


 ——また、仲良くなれなかった……いつも、独りぼっちだ。


 虹色ムカデはため息混じりにその場を後にすると、気分転換に岩場で一休みする事にした。


 すると、突然、大地震でも起きたように、岩場がぐらぐらと動き出したではないか。


 大きな岩だと思っていたものは、大きな蝦蟇の背中だったのである。


 大蝦蟇は機嫌が悪いのか、八尺ぐらいはある巨体を揺らし、大きく口を開け、虹のような煙を吐いた。


 大蝦蟇の虹のような煙を吸った者は金縛りに遭ったように動けなくなり、舌先にひょいと捕らわれ、飲み込まれてしまうという。


 だが、虹色ムカデは自分自身、毒を持ち、多少の毒には耐性があったので、普段と変わらない素早い動きで、大蝦蟇をがっちりと掴んで離さず、牙から毒を注いで身動きを封じ、ばりばり食べてしまった。


 ——また、仲良くなれなかった……いつも、独りぼっちだ。


 ため息混じりに歩みを再開し、夜の帳が下りた、曲がりくねった黒い道を進んで行く。


 ふと見れば、うねうねとした黒い道の向こうに、まるで血のように赤く輝く二つの月が浮かんでいた。


 よくよく目を凝らしてみれば、赤々と怪しく輝く二つの月は、なんと、大蛇の双眸だった。


 はっとした時には、もう遅い。


 さっきまで曲がりくねった黒い道だと思っていたものは、黒い鱗にびっしりと覆われた、大蛇の背中だった。


 大蛇は顎門を開き、襲いかかってきた。


 虹色ムカデは慌てる事なく、傍らの木の上にかさかさと這って登り、枝先から大蛇の目玉に向かって飛び降りた。

 

 大蛇の目玉をばりばりと噛み砕き、一気に脳天まで突き進むと、大蛇は堪らずよろよろと横たわり、そのまま静かに息絶えた。


 ——また、仲良くなれなかった……いつも、独りぼっちだ。


 虹色ムカデは朝焼けの頃、ようやく山の麓までやって来た。


 山の麓の畦道には、人間の男が一人。


 どうやら散歩していたらしい人間の男は、虹色ムカデを一目見ると、これは珍しいと、飼う事にした。


 山での暮らしが長いのか、まるで虹色ムカデの生態を知っているかのように、捕まえる時も、安易に手で触れる事はなく、竹筒を用意して優しく導き入れた。


 家に帰ってからも、虹色ムカデが住みやすいようにと、落ち葉を重ねて巣作りをしたり、食べ物として新鮮な昆虫を用意してくれた。


 虹色ムカデも住みやすい我が家に喜び、昼間は静かに過ごし、夜になると活発にかさかさと動き出し、昆虫に齧り付いた。


 男は虹色ムカデの動き一つ一つに感心したり、ムカデならではの生命力の強さを感じたり、自分自身、元気をもらっているようだった。


 虹色ムカデにある時、間違って、直接、手で触れてしまい、瞬く間、噛まれた指先に強い痛みが生じ、赤く腫れた。


 人によっては噛まれた部分を中心に痺れが広がり、悪寒や発熱、嘔吐を引き起こし、最悪、呼吸困難に陥り、死に至る事もある。


 ——また、仲良くなれなかった……?


 虹色ムカデは不安に思い、男の様子を窺った。


 するとどうだろう、男は落ち着いた様子でお湯を沸かし始め、お湯が湧いたら、十分、二十分ぐらいかけ、患部をお湯で洗い始めた。


 男はムカデに噛まれた時の応急処置の方法を知っていたのである。


 その後も何事もなかったように、虹色ムカデとともに一緒に暮らした。


 男は虹色ムカデがお気に入りのようで、どこに行くにも竹筒に入れて連れて行ったし、虹色ムカデもまた男の事が気に入ったようで、竹筒の中で大人しく過ごしていた。


 ある日、とある用事で山を越えていた時、ふと、山奥から男の名を呼ぶ声が聞こえてきた。


 それも、まるで誰かが泣き叫んでいるような不気味な声。


 男は思わず返事をしてしまったが、人けのない山奥から声など聞こえるはずがないと、奇妙に感じた。


 山から降りて、近くの村で宿を見つけ、宿屋の主人から、山を歩いている時、お名前を呼ばれませんでしたか、と聞かれた。


 はい、と返事をすると、宿屋の主人は怯えた様子で、貴方様のお命は、もうありません、と言う。


 曰く、あの山には、『鬼哭啾々きこくしゅうしゅう』という不気味な鳥の姿をした化け物がいて、不思議と旅人の名前を呼んでは、返事をした者を食べてしまうのです、と。


 ——お気の毒ですが、もう、どこに逃げても無駄です。


 宿屋の主人は、人けのない場所にある、一軒の小屋に案内してくれた。


 ここは『鬼哭啾々』に返事をした者にあてがわれる小屋らしく、男は『鬼哭啾々』に恐怖し、ぶるぶる震えながら夜を過ごした。


 男は夜中、ふと思い立ち、もう一緒に過ごす事はできないからと、虹色ムカデを竹筒の中から出した。


 ——これから、私がいなくても、虹色ムカデはちゃんと生きていけるだろうか?


 男は虹色ムカデの事を心配して涙を流したが、もしかしたら自分の事を憐れんでいたのかも知れない。


 どちらにしても男は、そのうち疲れて眠ってしまった。


 そして、朝日の眩しさを感じて目を覚ました。


 恐る恐る小屋の外に出ると、今まで見た事もないような大きくて不気味な鳥が、屋根の上に物言わぬ屍体となって転がっていた。


 あれが噂に聞く、『鬼哭啾々』なのだろう。


 ああ、そして、虹色ムカデもまた、『鬼哭啾々』だろう不気味な鳥の傍らで、息も絶え絶えだった。


 男は虹色ムカデのもとに駆け寄り、虹色ムカデは自分のもとに駆け寄ってきてくれた男を見て、残念に思った。


 ——せっかく、仲良くなったのに……。


 虹色ムカデは『鬼哭啾々』を迎え撃ち、なんとか噛み殺したものの、と同時に『鬼哭啾々』の反撃を受け、致命傷を負ってしまったのである。


 ——また、独りぼっちか……。


 いや——


 虹色ムカデの為に、男は延々、涙していた。


 虹色ムカデは死の間際、気づいたかどうか、これからはもう、独りぼっちではないという事に。


 男の胸の内で、ずっと生き続けるという事に……。

 

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