第29話 狡猾に溺れる
大胆な発言をしたのは、まだ若いレクテューレだった。
「むこうの出方をただ待っているというのも性に合わない。こちらから攻撃してもいいんじゃないか?」
名を
「そんな悪魔を制御できないような素人同然の小僧、俺一人で充分だ」
「まったく。くだらん人間がグリモワールを手にするべきではないな。なんなら、私も出てもいい」
牧田が言葉尻に乗っかり、虚勢を張った。その様子を三影は冷めた目で見る。
くだらない人間だと? その中にはおまえらも含まれていることに気づいていないのか? 家柄の力だけでのし上がってきた無能が、さも選ばれた者気取りでグリモワールを語る。醜い豚が……。まったく反吐が出る。
「私のスクラーヴェ、ドゥニチバァルの力を持ってすれば、暴走した悪魔など一蹴してくれる」
調子に乗るとはこのことだろう。牧田はそれこそ制御が効かなくなったように饒舌になり、自分の力を誇示した。
『ほう。私を一蹴か。それは面白い』
その場にいた全員の頭の中に、少女の声が響いた。心地好いほど美しいのに、心臓が縮む恐ろしさも内包していた。
「だっ、誰だっ!?」
牧田が腰を浮かした。一気に空気が張り詰めた会議室の壁が、音もなく斬り崩された。
「ひっ、ひいっ!?」
中腰のまま固まっていた牧田は、再び腰掛けることになった。椅子がなければ、床に尻餅をついていただろう。
「おまえはっ!」
七宮の驚愕の声に、シュヴァイツァーは不敵に笑った。
『我が名はシュヴァイツァー・ヴィーテルブラッド。管理者の立場を利用し、増長を続けるおまえらに天誅を下しに来た』
七宮たちのグリモワールが一斉に震えだした。
「出ろっ! ジィジョイフトッ!」
七宮のグリモワールから光が放たれ、魔法陣を形作った。円の中心から梟のような頭をした悪魔が飛び出した。
だが、出られたのは上半身だけだった。シュヴァの一閃がジィジョイフトを襲い、完全に顕現する前に霧のように散った。同時に七宮も崩れ落ちる。
「うおおおおっ!?」
残されたレクテューレのグリモワールから、次々と悪魔が姿を現した。栞も目撃するのは初めての悪魔ばかりだ。皆、特徴のある姿をしているが、共通する心象は「禍々しい」だ。
『どいつもこいつも不敵な面構えをしおって。だが、私の敵になるほどの実力者はおらんようだな』
シュヴァイツァーが躍り出た。文字通り舞うような軽やかさで、しかも速い。
奇襲を掛けられ浮き足立ったレクテューレたちは、冷静な判断も的確な対処もできないまま、慄くだけだった。
伊与が最初にシュヴァイツァーの実力を出しきれなかったように、戦闘態勢に入れなかったレクテューレの悪魔は瞬殺の憂き目にあった。真っ先にシュヴァイツァーの毒牙にかかったのは、牧田と川口のスクラーヴェだった。
「う、うおあっ!」
いち早く体勢を立て直したのは、
「おうっ!」
満貫のスクラーヴェは、人の姿すらしていなかった。巨大な蜘蛛を思わせる悪魔がシュヴァイツァーに襲い掛かった。
口から吐き出された粘液が糸となってシュヴァイツァーを絡め取ろうとした。しかし、シュヴァイツァーの大鎌シュテルプリヒを一振りすると、糸は千千に割かれて、紙吹雪のように舞い散った。
「バカなっ!?」
捕縛できることに疑いを持たなかった悪魔は、無造作に突っ込んだ。
シュヴァイツァーはシュテルプリヒを頭上で回転させ、勢いを乗せて振り下ろした。
「がふっ!」
満願も床に伏した。不意打ちではない、正面切っての戦いでもシュヴァイツァーには敵わなかったのだ。
瞬く間に四人ものレクテューレを倒され、残された者たちは壁際に固まった。
『残りは三人か。しかし、おかしいな。レクテューレとスクラーヴェの数が合わんぞ』
シュヴァの言う通りだった。栞と波多見は各々のスクラーヴェを出して身構えているが、三影だけのグリモワールだけは頑なに閉じられている。
「三影さんっ。スクラーヴェを出して身を守ってくださいっ」
栞の叫びに三影はますます逡巡が濃くなった。緊急事態の中での彼の不自然さに、波多見は当然の疑問をぶつけた。
「どうしたっ? 三影っ?」
「う、うう……」
『なんだ、おまえ? スクラーヴェを出せない理由でもあるのか?』
「くっ……」
『つまり、見られたらまずいということだな?』
「はっ!?」
真横から、いきなりリュストゥングがランスで襲ってきた。三影は辛うじて避けたが、そのまま動かなかったら致命傷になっていた位置だ。
「なにをっ!?」
思わず声を出したが、栞の座った目を正面から受けて三影は瞬時に理解した。
これは罠だ。巣から害獣を煙で燻り出すように、雫石家を襲った者を特定するための罠だった。雫石伊与のスクラーヴェが暴走したなどという作り話をまんまと信じた、自分の愚かしさを呪いたくなった。
すると、斬られた連中も……?
倒れている七宮や牧田たちに眼を走らせた。気は失っているものの、呼吸はしている。大鎌で斬りつけられたのに死んでいない。この悪魔の鎌は意識だけを断ち切ることができるのか?
「赤嶺さんっ。なにしているっ?」
事情を飲み込めないでいる波多見は、栞が乱心したと思ったのか、猫科の猛獣を彷彿とさせるスクラーヴェの爪を立てて構えた。
「波多見さんっ! どいてっ! そいつは敵よっ!」
叫びながら、栞はリュストゥングに結界を張らせた。この建物内にはレクテューレ以外の構成員も大勢いる。戦闘が激化して巻き込むわけにはいかない。あらかじめ避難させておく必要があった。
「えっ? えっ?」
栞の言葉に却って混乱した波多見は、滑稽なほどに狼狽えている。スクラーヴェへの意思伝達が上手く行えず、彼のスクラーヴェは攻撃をしあぐねている。
「波多見さん、どくのよっ!」
「うっ?」
波多見の様子がおかしい。額に大量の汗を浮かべ呼吸が荒くなっている。
「か、体が動かない?」
理由はわからないが、その場に釘付けとなった波多見が盾となり、三影を攻撃できない。
三影の背後が揺らめき、雄渾な悪魔が浮かび現れた。
『なにやらしゃらくさい術を使うようだな。しかしっ!』
シュヴァイツァーが突進し、波多見目掛けてシュテルプリヒを振り下ろした。
七宮たちに施したのと同様、意識を断ち切り倒れてもらおうとしたのだ。そうすれば、盾はなくなる。
『うぬっ!?』
だが、シュテルプリヒは途中で軌道を変え、支えきれなくなったシュヴァイツァーごと床に叩きつけられた。
『これはっ?』
「うぐあああっ!」
ベギンッと不安を煽る音がした。三影の前に立っていた波多見は、悲鳴を上げて崩れ落ちた。体の至るところの骨が粉砕され、立っていることができなくなったのだ。
「波多見さんっ!」
栞はリュストゥングに砲撃をさせた。シュテルネンリヒトから放たれる光はすべてを貫く必殺の一撃だ。しかし、その光さえも三影の前で強引に曲げられ、床に穴を開けただけだった。
「なにっ? なにが起こってるの?」
栞の戸惑いに、三影の口元が歪む。
『重力か? 重力を操っているのかっ』
シュヴァイツァーの呟きに、三影はさらに口角を吊り上げた。
「その通りだ。我がスクラーヴェ、ヴァルムフリッシュの能力『トリュープズィン』。重力を強化することができる。私に攻撃するのは不可能だと諦めてもらおう」
「くっ!」
栞が三影を指差すと、リュストゥングは再び砲撃を始めた。一発ではない。二発三発と立て続けに放つ連弾だ。
「人の話を聞いていないのか。無駄だと言ってるだろうがっ!」
三影が手をかざした。リュストゥングが放った光の槍は三影の前で軌道を曲げられ、床に着弾した。先程と同様、床に穴を開けただけだ。
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