第28話 嵐の前の騒がしさ
「栞の推測が間違っていなかったら、母さんと遙が危ない」
「それは大丈夫。もう伊与の家族に危害は加えられない」
「どうして? なんで、そんなことがわかる?」
「落ち着いて」
栞はゆっくりとした動作でベンチに腰掛け、伊与にも座るように促した。
ふうーっと大きく息を吐いて、伊与はおとなしく従った。たしかに、冷静さに欠いてはなにも上手くいかない。
「敵が何人なのか知らないけど、ビブリオテークのレクテューレは一人だけで、残りは取り憑かれた者ね。やり方がスマートじゃなかったもの。……今回、敵が仕掛けてきたのは見定めるためよ。伊与が味方になるか敵になるか。伊与が正式なレクテューレではないと知って、取り込める余地を考えたんだよ。飽くまで揺さぶりを掛けるのが目的だった。でも、レクテューレとスクラーヴェの関係に慣れてしまっていたそいつは、悪魔の持つ殺戮の衝動を甘く見ていた。伊与のお祖父様を死なせてしまったのは、敵にとっても計算外だったはずよ」
「じゃあ……」
「もう、伊与を仲間に引き込もうなんて考えないわね。次は最初から殺すつもりで来るよ」
「上等だ。斬り刻んで肉片にしてやる」
栞は、伊与からユラッと立ち昇る炎を見た気がした。
最初に会った時と随分雰囲気が違う。なんでも他人事で、当事者になるのを避けようと、常に一歩退いた位置に立っている少年だと感じたが……。
家族を傷つけられ、殺されたのだ。それでも他人事のように振る舞う方が問題ありだが、それだけでなく、シュヴァの冷酷さが流れ込んで影響を及ぼしているのではないかと思い、ゾクリと背筋が冷たくなった。
「敵の正体を見極める方法はないのか? ビブリオテークにいるとわかっているなら、やりようはあると思うんだけど」
「無茶言わないで。現在、ビブリオテークに所属しているレクテューレは、七宮さんや私も含めて十三人いる」
「一人一人尋問していくってのは?」
「全員をランダムに尋問していったら、真相に行き着く前に犯人の耳に入ってしまう。最初に当たりを引けば尋問って手段も有効だけど、そんな幸運は期待できない」
『いっそのこと、全員倒してしまえば手っ取り早いぞ』
シュヴァイツァーが横槍を入れた。口元は笑っているが、眼光は彼女の得物である大鎌のように鋭い。先程の対峙で、彼女の中のなにかが抑えきれなくなっているのか。
「あなたは黙ってて。悪魔らしい野蛮な発想だわ」
『高貴な私を悪魔呼ばわりか。所詮、人間の娘よ。物を見る目が浅い』
「なんですって?」
『なんじゃ』
互いに睨み合い、矛先は伊与に向けられた。
「伊与。この娘にもうちょっとましな教育をしてあげなさい」
『伊与は関係なかろう。すぐに男に縋ろうとする。それも人間の女の悪い癖だ』
「だっ、誰が縋ってるですって?」
『伊与。この小娘に言うてやれ。縋りたいのならもっと可愛げを持てとな』
「あなたねぇっ」
『伊与?』
加熱する女同士の言い争いのさなか、伊与は顎をつまむ仕草のまま俯いていた。
『どうした? 伊与』
「全員を倒す……」
「えっ?」
「それ、いいアイディアかもしれないな」
「ち、ちょっと、あなたまでなに言い出すの」
さすがの栞も慌てた。家族を襲われた恨みで暴走してしまったのか、それとも、やはりシュヴァイツァーの影響を受けてしまっているのか。
「栞。ビブリオテークのレクテューレに招集を掛けることはできるか?」
「あなた、本気?」
「いいから答えてくれ」
「……今、海外や地方に行ってる者もいるから、全員は難しいわね」
「ああ、それは無視していい。現在、都内で活動している者に絞ってくれれば」
「それなら、五〜六人ね。招集は七宮さんに頼めば可能だと思う。でも……」
「七宮さんにも詳細は伝えず、うまくやってほしい」
「………………」
「君だけが頼りだ。シュヴァの言う通り父さんが俺とシュヴァを結びつけたのなら、俺が決着を付けなくてはならない。俺にレクテューレの能力があるのも、シュヴァに巡り合ったのも、きっと逃れようのない運命なんだ」
『なにか面白いことを思いついたようだな』
躊躇う栞とは逆に、シュヴァイツァーは乗り気だった。
「栞。これから俺が言うことをよく聞いてくれ」
これまでにないくらいの真剣な声で、伊与は一つの計画を語り始めた。
雫石家が襲われた翌日、ビブリオテークで緊急招集が開かれた。雫石伊与が乱心して行方を眩ませたとの報告を栞から受け、事態を重く見た七宮がレクテューレを集めたのだ。
中には予定を変更しなくてはならず苦い表情を遠慮なく晒す者もいた。レクテューレが集められるなど、これまでに例のない招集にいずれも緊張は隠しきれない様子だ。栞と七宮も含めた七人が会議室でテーブルを囲んだ。
栞の報告を聞き、最初に声を上げたのは
「赤嶺くん。君は本気でそんなことを言ってるのかね?」
牧田家は古くから続くマーギアーの家系で、いわゆる由緒正しい家柄だった。ビブリオテークとの関わりも長く、組織の中では古参に入る。だからと言って、マーギアーとしての能力が高いとは限らない。栞の見たところ、牧田の実力は三流とまでは言わないが、せいぜい二流止まりだ。
「暴走した悪魔が一匹、このビブリオテークに襲撃してくる? しかも、その悪魔は我々全員を倒せるほどの能力の持ち主だと?」
「そうです」
「はんっ。どんな悪魔と会ったのか知らんが、大げさすぎるのではないか? 焦って相手の実力を水増ししているのではないかね」
暗に栞の経験の浅さを仄めかし、ここぞとばかりに自己顕示に必死になっている。元から好きなタイプではなかったが、嫌悪感に輪が掛かった。
「悪魔は狡猾です。人間のちょっとした油断を突いて暗躍します。百年前のヘルツォークの災厄は、一部の人間の怠慢が招いたことです」
「きさまっ! 私を悪魔を脱走させた愚物どもと一緒にするのかっ!」
牧田が吠えた。しかし、栞は動じなかった。この程度の怒張声は予想の範囲内だ。
「赤嶺くん。仮に君の言う襲撃があるとしても、百年前とは事情が違う」
今度は、牧田の隣に座っている男が口を開いた。
「管理体制も防衛システムも、あの頃とは段違いだ。たった一匹の悪魔がどうこうできるものでもあるまい?」
まるで百年前のビブリオテークの様子を見てきたような言い方だ。川口の諭す物言いに、牧田は満足げに頷いた。
「ですが、完璧ということはありません。悪魔はその僅かな隙を見逃さないと言っているんです。ここ最近の取り憑かれた者の増加。偶然であるはずがありません。近々大きな動きがあることは充分に考えられます。おそらく、暴走した悪魔の目的は、ここに保管されているグリモワールです。悪魔が軍勢にまで育ち、ヘルツォークの災厄の再来を防げなかったら、私たちの汚名は後世まで受け継がれてしまうでしょう」
「もういいっ! 小娘の世迷い言はたくさんだっ」
食い下がる栞に、再び牧田が激昂した。まるで、そうしなければ平穏な生活が脅かされると言わんばかりだ。怖がっているのだ。この小心者は。
「静粛に」
七宮が初めて口を開いた。牧田より若くはあるが、声の質の落ち着きと重さが違う。人は年齢だけでは計れないという好例だ。
「たった今より、悪魔の襲撃に備えて警戒態勢に入る。皆さんにはレクテューレである雫石伊与の捕獲に協力してもらいたい。悪魔が赤嶺くんの言う通り強力だとしても、グリモワールさえ回収してしまえば、なにもできないただの少年だ」
七宮の宣言を、三影は悦楽に浸って聞いていた。
なにを血迷ったのか。ここを襲撃するなど、鶏が小麦粉にまみれて油の中に飛び込むようなものだ。わざわざこの手を煩わせずとも、他のレクテューレが働いてくれるだろう。仕留められずともこれだけの数を相手にした後なら、私のヴァルムフリッシュで必ずとどめを刺せる。もちろん、目撃されないようにだ。やはり、グリモワールはそれに相応しい人物が扱うべきなのだ。あんなどこの馬の骨ともわからぬ凡人が手にして良いものではない。
それにしても、先ほど赤嶺栞がヘルツォークの災厄を引き合いに出したのは好都合だ。上手く事を運べば、すべての罪を雫石伊与に被せることができる。ヘルツォークの災厄の再来。それを目論んでいる者が目の前にいるとは、誰も思うまい。
移るべき行動のイメージがいくつも頭に流れ込んでくる。三影は笑みを抑えるのに歯を噛み締めなければならなかった。
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