第18話 襲撃

 読みかけの小説をテーブルに置いて、三影は開け放していた窓を閉めた。心地好い風も深夜ともなれば寒さを感じる。

 なにか胸騒ぎがする。こんな時の自分の勘が当たることは、これまでの経験から知っていた。代々受け継がれてきたマーギアーの血脈が、漠とした危険を訴え掛けているのか……。

 三影がビブリオテークの一員となったのは、今から十三年前のことだ。日進月歩の勢いで科学が発展し、魔術がおとぎ話になりつつある現在、三影将月はマーギアーの才能を色濃く継承して生を受けた。両親はもちろん、親族からの期待は大きく、三影家に磐石の地位を確立させるべくありとあらゆる努力を強制された。落ちぶれた魔術士は、占い師や呪術師となって細々と暮らしていくのが関の山だからだ。

 三影は修業をつらいと思ったことは一度もなかった。先祖代々マーギアーの家系であるとの誇りがあったし、彼自身、魔術の持つ不思議な力に魅了されていた。普通の人々が駆使できない力を使いこなすのは快感だった。そんな三影がビブリオテークで働くことを目標とするのは、ごく自然な成り行きと言える。

 試験に合格し、グリモワール『ヴァルムフリッシュ』を与えられた時には、これまでのどんな熟練者をも超える最高のレクテューレになろうと誓った。胸に宿る炎は熱く、希望に溢れていた。


「このままでは魔術は伝説となり消滅してしまう運命にある。僕は魔術を甦らせる。現代人が電気を普通に使っているのと同じくらいに、魔術を世の中に認知させてみせる」


 しかし、レクテューレの活動を続けていくうちに、三影は魔術界が抱える矛盾に行き当たる。

 魔術を世に広めるには、当然だが実績が必要だ。生活が豊かになったとか、犯罪が減ったとか、なんでもいい。それなのに、多くのマーギアーは魔術を周知させることに否定的だった。魔術士は飽くまで秘密裏に物事を解決するものだと、頑なに信じている者が殆どなのだ。

 さらに、家同士の対立も根強く残っている。それまでの功績や魔力の強さで明確な差別が発生してくる。奇跡的な力に触れているにも関わらず、その技術や知識でより高い地位まで昇りつめようと躍起になる姿は、猿山の中でボスになろうと必死に争う猿と同じにしか見えなかった。


「所詮、人間は人間か……」


 最近では、ビブリオテークが行う活動にも疑問を抱き始めている。

 ビブリオテークはグリモワールを管理する機関だ。素質ある者にのみ貸し出されるべきものだが、それは正しく行われているのか?

 確かに試験はあるし、自分もそれを通ってグリモワール『ヴァルムフリッシュ』を賜った。当時は素直に実力が認められたと思ったが、実務を経てあの頃より広く深く物事が見られるようになった現在、そのシステムは表向きだけのものに映る。

 明らかに力量の乏しい者や人格がさもしい者にまで簡単に貸し与え、誰も疑問を唱えない。そして、貸し出される者は決まって名門と謳われる家系の者ばかりだ。


「結局のところ、マーギアーに公正に接するべきビブリオテークも、大きな力に媚びているのだ。長いものに巻かれるだけのゲスな集団だ」


 理想と現実の隔たりに、三影は焦りと苛つきが湧き出るのを止められなかった。


「………………」


 熱いコーヒーと共に自分の苦々しい回想を飲み込んでいると、なんの前触れもなく雰囲気が変わった。


「なにっ?」


 本当に突然だった。炎天下から冷房の効いた車両に飛び乗ったみたいに、急激に空気が冷えた。鼓動は速くなったが、混乱に陥るまでには至らなかった。三影とて、レクテューレとして悪魔と対峙した経験はある。

 まず思ったのは、掛札を返り討ちにしたグリモワールの持ち主だ。しかし、それは即座に退けた。彼から自分にたどり着ける道理がない。次に考えたのは赤嶺栞のことだ。昼間の一件が頭を過ぎったが、それもすぐに思い直した。彼女が自分の暗躍を察知できる要素などどこにもない。

 背筋はうすら寒いのに汗が吹き出た。不穏な空気が満ちてくる中、三影はグリモワールを引き寄せスクラーヴェを召喚した。この悪魔の能力を象徴するような暗黒の魔法陣を潜り抜け、ヴァルムフリッシュが姿を現した。

 厚いマントを羽織り冠を被った中世の王のような姿だ。耳に当たる箇所から太い角が翼の如く広がっており、盛り上がった筋骨には禍々しい文様が浮き出ている。見た目だけで強靭さを主張できる形象だ。


「ヴァルムフリッシュ。何者かが仕掛けてきた。位置はわかるか?」

『距離は二十メートル。方向は東西南北すべてだ』

「なんだと? どういうことだ?」

『言葉通りだ。七匹の悪魔とレクテューレに囲まれている』


 三影は戦慄で全身に鳥肌を立たせた。


「七匹だとぉっ!?」

『だから、そう言っている』


 さすがの三影も落ち着きをなくした。ヴァルムフリッシュの実力は認めている。悪魔の中でも上位に立ち、強大な力を有している。しかし、七匹同時となると……。いったい、なにが目的なのだ?


「ヴァルムフリッシュ。ここはいったん退くぞ。ビブリオテークに避難して応援を乞う」

『もう遅い』


 ヴァルムフリッシュが言うとほぼ同時に、窓ガラスが突き破られ一匹の悪魔が侵入してきた。人間と蝙蝠を混ぜ合わせたような姿をしている。


『カアッ!!』


 ヴァルムフリッシュが躍り出た。蝙蝠悪魔の首を鷲掴みにして、そのまま床に叩きつけた。その一撃だけで相手は気を失ってしまうほど強烈な一撃だった。


『我に牙を剥くか。痴れ者め』


 ヴァルムフリッシュが自身の能力を発揮しようと一拍置いたが、三影は押し留めた。


「構うなっ! 他のやつらを迎え撃つぞっ」


 ここはマンションの五階だったが、三影は躊躇もせずに破られた窓から飛び出した。

 ヴァルムフリッシュも追従し、落下する三影を空中で受け止める。そのまま、衝撃を吸収し民家の屋根に着地した。

 間髪を容れず、違う悪魔が接近してきた。蜂か蝿を想像させる醜い姿で、一直線に空を割いて近づいてくる。


『グオオオオオオッ!!』


 ヴァルムフリッシュが雄叫びを上げた。

 契約者である三影ですら竦み上がりそうな声の砲撃だ。

 さすがに昆虫の悪魔には響かなかったが、ヴァルムフリッシュが手をかざすと見えない壁に遮られた。弾かれた悪魔はそのまま落下していく。


「ヴァルムフリッシュッ! 後ろだっ!」


 ヴァルムフリッシュは振り向きもせずに三影を抱えて飛翔した。それまで三影たちが立っていた屋根が破壊されて大穴が空いた。

 三影は飛んでくる破片を被りながら住人の安否を考えたが、引き返して様子を見るわけにもいかなかった。


「ヴァルムフリッシュッ! 地上に降りろっ。周囲に被害が及ばない場所を探せっ。一気に畳み掛けてくるだろうが、やれるかっ?」

『造作もないこと』


 ヴァルムフリッシュが対決の場に選んだのは小学校の校庭だった。当然だが、夜の学校に人気はない。三影の指示通りではあるが、遮蔽物がない広い空間は彼を不安にさせた。


「おい、こんな場所で大丈夫なのか?」

『心外だな。我がレクテューレよ。もう少し信用してくれてると思っていたぞ』


 ヴァルムフリッシュの余裕が逆に不安を煽る。

 契約関係を結んではいるが、この悪魔のすべてを知っているわけではない。こいつは、それほどの実力の持ち主なのか?

 誘われたのは承知と言わんばかりに、悪魔が集まってきた。退けた悪魔二匹も再び姿を現し、全員で七匹。ヴァルムフリッシュが言った数と一致する。

 三影は覚悟を決めた。


「やるしかない。もうやるしかない」


 三影の精神に呼応して、ヴァルムフリッシュからの圧が高まる。臨戦態勢を取り、仕掛ける機を伺っているのだ。

 だが、悪魔の一匹が意外なことを口走った。


『待て。我々は敵ではない』

「なにを?」

『失礼だったが、あなたの実力を試させてもらった。あなたが我々を束ねるに相応しい力を持っているかを』

「???」


 悪魔同士の独自の交流手段があるのだろうか、ヴァルムフリッシュは高めていた闘気を鎮めた。そして、まるで主君のような堂々たる立ち振る舞いで、一歩前へ出て悪魔たちを見据えた。


「……………………」


 状況を把握しきれない三影だけが戸惑い、ただ立ち尽くすのみだった。ただ混乱する頭の片隅で、自分が掛札稔を拾ったのは、もしかしたら偶然ではなかったのかと考えた。

 その天啓にも似た発想は、泥水に発生する泡のように弾けた。

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