第13話 騎士と少女

 シュヴァイツァーが構えを取った。見えない刀を抜くような構えだ。


『む……』


 緊張が高まったことに、怪物も剣を構えた。


『いでよっ。シュテルプリヒ!』

『………………』


 気合いのこもったシュヴァイツァーの呼び掛けとは裏腹に、なにかが飛び出したりなんかせず、シュヴァイツァーの構えは途端に間の抜けたものに見えた。


『んぱ?』


 シュヴァイツァーは、再び珍奇な声を漏らした。


『クカカカカッ。なんだそれは? なにをしたいんだ?』


 怪物が攻撃を仕掛ける。


『おわっ!』


 シュヴァイツァーは慌てて構えを解き横にズレた。先ほどよりも動きが大きく、今度は避けることができた。しかし、見ている伊与は気が気ではない。


「おいっ! ふざけてんじゃないっ!」

『ふざけてるのはおまえだろうっ! ちゃんと戦わんかっ!』


 伊与の叱咤に、シュヴァイツァーは鋭い睨みで応えた。


「戦ってるのはきみだろうっ!?」

『……おまえ、本当にレクテューレか?』

「危ないっ」


 怪物は躊躇なく襲ってくる。鋭い斬撃は、命を刈り取る肉食獣の牙だ。

 シュヴァイツァーはなんとかかわしたものの、紙一重の差で腕が斬られてしまった。


『うぐっ!』

「いっ!?」


 シュヴァイツァーの顔から余裕がなくなった。伊与の腕に熱い痛みが過ぎり血が噴き出た。伊与は瞬時に理解した。彼女が傷つくと、自分も同じ個所にダメージを負う。一心同体とはこのことか?


『これは……、まずいな』

「そんな、今さら……」


 シュヴァイツァーの焦燥に、伊与の弱気な声が重なった。


『少年。おまえ、資格は持っておるのだろうな?』

「なに? なんだって? 刺客?」

『レクテューレの資格だ。反応の鈍い奴だ』

「資格……なんてないっ。英検だって受けたことないっ」

『なんと。吸い寄せられる感覚があったからおまえを選んだというのに。私も焼きが回ったな』

『襲っている俺を無視して、アホな会話をしてんじゃねえ。あばよ。下級悪魔のレクテューレになっちまったことを恨みな。これも運命ってやつだ。おまえは俺以上に運が悪かった。それだけのことだ』


 怪物はとどめの一撃を食らわせようと剣を天に向けて振り上げた。

 シュヴァイツァーはもう動けないのか、かわす素振りすら見せない。しかし、その目から闘志は消えておらず、しっかりと怪物を見据えていた。


「くそっ! やめろっ! ちくしょうっ!」


 伊与は怪物に向かって駆け出していた。頭が真っ白になり恐怖さえ吹っ飛んだ。シュヴァイツァーを守らなくてはならない。その考えだけに支配され、体が勝手に動いた。


『おお?』


 シュヴァイツァーの全身から、うっすらと光が立ち昇った。特に左手からが顕著で、空間からぼんやりと棒のようなものが現れつつあった。連動するように伊与も掌が熱くなり、なにかが発生してくる感覚を覚えた。


『こいつの代わりにおまえが斬られるか? 俺はどっちでも構わないぞ。結果は同じだからな』


 このまま突っ込めば斬られるのは必至だった。それでも、伊与は雄叫びを伴って怪物に向かっていった。


『ただの軟弱者だと思ったが、なかなかどうして。底力があるではないか』


 シュヴァイツァーから放たれる力強さが、ますます濃厚になっていった。だが、このタイミングでは、避けるのも反撃するのも遅すぎた。


『どっちでもいいから、斬られろ』


 怪物が枷を外したバネ仕掛けの細工のように、剣を振り下ろした。溜めに溜めた力が、剣先に宿り必殺の一撃となる。

 伊与はシュヴァイツァーに覆い被さった。


『おいっ?』


 シュヴァイツァーは心底意外な声を出し、バランスを崩した。異形の化け物よりも、伊与の行動に唖然としている。

 伊与はぎゅっと目を閉じ、最期の感触になるかもしれない衝撃に備えた。

 しかし、歯を食いしばって待っても斬撃は襲ってこなかった。


「???」


 伊与は固く閉じていたまぶたを開けた。

 怪物は、アーモンドのような目をこれ以上ないほど開き、驚愕のまま固まっていた。剣を握っている右腕が深く抉れ、千切れそうになっている。


『うっがあああああああああっ!』


 一拍遅れて放たれた絶叫は空気を震わせ、伊与の腹の奥にまで響いた。


『腕がっ、俺の腕があああぁっ!?』

「契約を交わしたレクテューレと悪魔は一心同体。あんたの腕も相当のダメージを被ったはず」


 どこから現れたのか、いつの間にか伊与の傍らに一人の少女が立っていた。

 長く艶のある黒髪を風にたなびかせ、怪物を睨む双眸は凛としている。一目見ただけで、強い意志の持ち主だとわかるくらいに、堂々とした出で立ちをしていた。


「きみはっ!」


 伊与には、少女に見覚えがあった。隆太が襲われた際、助けようと引き返した時に会っている。伊与の声を無視して遠ざかっていった、二人組の片割れだ。

 改めて見ると、彼女の後ろには中世の騎士のような人物が立っていた。全身をプレートアーマーで覆い、その手には長いランスが握られていた。しかし、写真で見るような雄々しさはなく、どこか禍々しいデザインの騎士だ。


「あなたが粘ってくれたおかげで、捕まえられたわ」

『おまえかっ? この間から俺をコソコソつけ回してた奴は? うがああっ! よくも俺の腕をっ』

「つけ回してたんじゃない。コソコソってんならあんたの方でしょ。あんたがゴキブリみたいに逃げ回ってたんじゃない」

『なめた口をきくなぁっ!』


 怪物は自らの爪で少女に襲い掛かった。爪と言ってもナイフの刃くらいはある。あんなものをまともに食らったら、肉が削げ落ちるどころではない。細い手足くらいなら簡単に切断されてしまう。

 予想外の敏捷な動きに、伊与の方がびびった。


「逃げっ……」


 伊与が言い終わらないうちに、少女から放たれた一閃が怪物の脚を吹き飛ばした。


「なめた口をきくのは、あんたが格下だと確信したからよ」


 伊与の背筋に電流が走った。怪物には叫ばずにはいられない恐怖を感じたが、この少女は内臓に氷を詰められたような胸騒ぎを感じた。

 こんな化け物相手に啖呵を切るなんて、どう考えても普通の少女ではない。


『おまえのような小娘にぃぃぃっ!』


 烈火のごとく怒り狂い、暴力を音に変換したような台詞を吐きながらも、怪物は身を翻して逃走の姿勢に入った。

 しかし、怪物が翻った方向に少年が立ち塞がった。こちらにも見覚えがあった。少女と一緒にいた少年だ。


「残念。こっちは通行止めだよ」


 優しい顔ながら瞳から発せられる光は好戦的だった。そして、彼の後ろにも異形の者が立っていた。こちらは爬虫類を人型にした姿をしている。顔は蛇か蜥蜴を思わせるが、頭部にブラックバックに似た角を生やしている。少し抵抗感を覚える容貌だ。


「栞さん。ここまで追い詰めといて逃がさないでよ」

「逃がすわけないでしょ」


 少女が呟くと、彼女の後ろに控えていた騎士がランスを構えた。


『ひいっ!? ひいいいっ!』


 ロックオンされた怪物は、伊与を追い詰めた時の余裕など欠片さえなかった。まさに這う這うの体だ。


『やめ、やめろっ! やめろおぉぉぉっ!』

「撃て」


 少女の冷酷な命令。

 その言葉はトリガーとなり、騎士のランスから眩い閃光が放たれた。

 その衝撃は凄まじく、力の波に巻き込まれたブランコがギシギシと揺れ、公園を囲んで植えられた木々の枝が、折れそうなくらいしなった。


「うおおっ!?」


 伊与も例外ではなかった。高波をまともに受けたような重たい衝撃。見えない壁を叩きつけられたみたいだった。

 頭を守りながらうつ伏せになり、なんとかやり過ごした。口の中に砂が入り込んできたため、慌てて閉じた。

 伊与が目を開けた時には、怪物は跡形もなく消えていた。その代わりに、一冊の古びた書物が落ちていた。伊与が持っている本とそっくりだ。


「す、すごい……」


 あまりの威力に、伊与は呆けてしまった。そして、その本の持ち主の結末を想像した。シュヴァイツァーと名乗った少女が傷を負った際、自分も同じ個所にダメージを負った。つまり、閃光に包まれ消し飛んだ悪魔を呼び出した者は……。

 なにもかもが夢の中で起きたことのようだが、とにかく助かったらしい。緊張しきっていた心と体が弛緩していく。


「あ、あ、ありがとう」

「べつに、あなたを助けたわけじゃない」


 伊与は起き上がりながら礼を言ったが、少女は眉一つ動かさなかった。少年が伊与の前を横切り、落ちていた本を拾った。砂を払い落とし、鞄の中に入れた。


「それに、礼を言うのは早い」


 そして、騎士がランスの先端を伊与に向けた。


「え? ち、ちょっと……」


 伊与は後じさり、危機が去っていないことを悟った。この異形の者が放つ攻撃の凄まじさは、目の当たりにしている。

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