第11話 眼前の死
電車の中で小岩について調べたら、東京都の最東端にある駅だとわかった。隣の千葉県にはママチャリでも十数分で行けそうだ。
小岩駅で下車し、南口から駅を出た。初めて訪れたが、どことなく雑然としている。洗練さに欠けているように思えた。それなのに、駅前には高層の真新しいビルがいくつか建っている。町の情報サイトでは、今は駅前再開発の真っ最中と記載されていた。新旧が混在した眺めは、必死に時代の流れにしがみつこうと頑張る意思が具現化されたみたいで、どこか滑稽でもあった。
駅前から通りが扇状に広がっており、どちらに進めばいいのか迷った。地図検索サイトでトーク画面に記された住所を検索したところ、とりあえず右方向に進めば近づけるらしいとわかった。
中途半端に屋根が設けてある商店街を通り、その途中でさらに右に折れた。細い路地に入ると一気に住宅街となり、方向感覚が怪しくなっていく。
歩き進めて、第一印象が正しかったことを知った。駅前の主幹道路を軸にしているせいか、街全体が斜めに広がっている感じだ。細い道が入り組んでおり、わかりづらい。何度も行ったり来たりを繰り返した。増築に増築を重ねた家のような町だ。
途中で、駐車スペースぴったりに収まっている自動車を見掛けた。折り畳まれたサイドミラーと壁との隙間が五ミリもない。だが、擦った跡はなく、また、長年放置されている様子もない。つまり、この自動車の運転手は、毎回ギリギリの駐車を繰り返していることになる。凄いテクニックだ。
「すげえな。どうやって入れたんだ?」
また、ビルトインガレージを改造して丸ごと犬小屋にしている住居も見掛けた。引き戸の上半分が窓になっており、そこから大型犬が嬉しそうに舌を出しながらぴょんぴょん跳ねていた。明らかに通り掛かった伊与に反応し、構ってもらいたがっている。だが、窓が高すぎて犬は跳ねても頭を出すのがやっとだ。犬の体長を計算に入れて、窓を設けているフシがある。歩行者に飼い犬をいじられるのが嫌なのか、それとも、万が一にも噛んだりしないようにとのトラブル回避のためなのか……。
どちらにせよ、縋るように必死に跳ねる犬を見るのは、忍びない気分にさせられた。
「……それにしても、わかりづらいな」
歩きながらスマートフォンを弄るのは好きではなかったが、この時ばかりはマップを表示させたまま、何度も確認しながら進んだ。
馴れない雰囲気にわかりづらい道。伊与がストレスを感じ始めた頃、ようやく目的の場所を探り当てた。思わず安堵のため息をついた。時刻を確認すると、電車に乗っていた時間より遥かに長い時が過ぎていた。
財満の住居は、住宅街の中にはめ込まれたように建っていた。二十坪ばかりの狭い土地に建てられた三階建ての、いわゆる狭小住宅というやつだ。
勝手にアパートかマンションを想像していたので、意外だった。そして、メッセージの内容には部屋番号まで記されていなかったことを思い出した。
ここには独りで住んでいるのか? 人伝の話が間違いでなければ、結婚はしていないはずだけれど……。
伊与はインターフォンを押そうとして、はたと動きを止めた。異臭がしたからだ。異臭と言っても、嗅覚で感じ取る匂いではない。空気やその流れ、その場の雰囲気というものに、ひどく禍々しいものを感じた。途端に、目の前の扉が一歩でも踏み込んだら引き返せない境界線に思えた。
伊与は頭を大きく振って逡巡を振り払った。これまでの経緯からして、こちらが退いても、その分むこうが寄ってくる。境界線なら、とっくに越えているんじゃないのか?
覚悟を決めて、インターフォンを押した。来訪を告げるチャイムが、扉越しに聞こえた。しかし、人の気配はしなかった。
もう一度押してみた。しばらく待ったが、やはり反応はなかった。
「留守か?」
普通なら無駄足だったと踵を返すところだが、今の伊与はそうではなかった。先ほどから気が張って仕方がない。鼓動も速くなっている。
この緊張感はなんだ?
なんか変だ……。なにかが……???
いつもならしないことだが、吸い寄せられるようにドアノブに手を掛けた。
カチッ。金属的な音が手の中に収まる。
扉はあっけなく開いた。今時、玄関に鍵を掛けないなどと呑気過ぎないだろうか? 嫌な予感がますます深まった。
「……お邪魔します」
伊与は誘われるように財満家に入り込んだ。頭の中では「これって不法侵入じゃないか?」と行動を抑制しているのだが、意に反して足が勝手に動いてしまう。そして、先程から高まる鼓動はますます速くなり、息苦しいくらいになっていた。
家屋そのものが小さい割には玄関は広めのスペースで、備え付けのシューズボックスも大きかった。きちんと揃えて置かれている靴は一足しかない。やはり財満一人で暮らしているのか。
住宅が密集している地域の西側に面しているせいか、日中にも関わらず屋内は薄暗い。一階は狭い洋室だけで、おそらく間取り図では納戸と記されているくらいの広さしかなかった。ただ、この部屋には家具も調度品も置かれておらず、一年のうちに数回しか出入りしていないことは明白だった。
カーテンが射し込む日光を遮断し、電灯を点けなければならないほど暗い。
「………………」
伊与は折り返し階段を上った。体にまとわりつく嫌な空気が、重く濃厚になっていく。
「ううっ!?」
二階はリビング兼ダイニングキッチンとなっており、そのほぼ中央に倒れている財満を発見した。
「財満先生っ!?」
伊与は駆け寄ろうとしたが、財満を中心に広がっている血溜まりに足が急ブレーキを掛けた。
財満の倒れた体が、隆太を想像させた。あの時とまったく同じだ。違うのは、財満から生き物なら当然あるべき生命の発露が感じられないことだった。
「おい……、嘘だろ?」
伊与は、血で汚れるのも構わず財満の前で跪いた。
「先生っ! 財満先生っ!」
必死に肩を揺らすが、財満からはなんの反応も返ってこない。
「し……死んでる?」
襲ってきた衝撃は、先日の比ではなかった。薄暗い部屋の中に、死んだ人間と生きている自分がいる。
しかし、隆太の時の経験が伊与を素早く行動させた。スマートフォンを取り出し、電話機能を表示させる。
「一一九番……いや、この場合は一一〇番か?」
数字をタップする直前、伊与の脳が警戒信号を発した。
この家に入り込んでから、たったの数分しか経過していない。だが、ドアノブはもちろん、壁にも自分の指紋を残してしまった。血の足跡でも、性別や身長なんかが割り出せるかもしれない。なにより、栗田に財満の住所を訊き出そうとした。この状況、自分は立派な容疑者ではないか?
混乱の中にあっても、しっかりと保身は考えている。あまりの薄情さに、自分で驚いている。
それでもやはり、このまま去るなど論外だった。警察には、ありのままを話せばいい。きっと大丈夫だ。
伊与は刹那の迷いから脱して、改めて一一〇を押そうとした。
『おまえがレクテューレだったか……』
ゾワッと体中の毛が逆立った。理由などわからず、本能だけで財満から飛び退いた。財満の腕がボンッと飛ぶ。
「うあっ!?」
『またもや避けたか。その勘の良さ……。グリモワールの影響か?』
財満の遺体の向こう、薄暗い空間が奇妙に歪んだ。そして異形の者が姿を現した。伊与にはその姿に見覚えがあった。先日、隆太を襲った怪物だ。間違いない。
頭に響く声に得体の知れない影。伊与の頭は、混乱を通り越して現実を受け入れるのを拒否した。
しかし、相手が向けた明確な殺意は容易く伊与の体に入り込み、手足を萎縮させる。
『死ね……』
「うわああああっ!」
伊与は床にへばりついた足を無理やり剥がし、駆け出した。テーブルの上に置いてある本が目に入った。伊与が預けた本だ。
「くっ!」
ひったくるように本を掴み、階段を駆け下りた。靴下に財満の血がしみ込んでいたが、そんなことはお構いなしに靴を履いて家から飛び出した。
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