第5話 忍び寄る虞
「そういえば、私の学校の生徒でね……」
遙が、目一杯頬張った肉を飲み込みながら話し始めた。食事時の会話のきっかけを作るのは、たいてい遙だ。
「いきなり斬られて怪我した子がいるの」
妹から飛び出た心をざわつかせる話題に、伊与はすぐに反応した。
「なんだそれ? 物騒だな。でも、そんなニュース載ってなかったぞ」
奏も眉をひそめた。
「怖いわね。喧嘩でもしたのかしら」
「違うの。それがね、犯人の姿が見えなかったんだって」
「じゃあ通り魔か。後ろからやられたんだ。それにしたってニュースにもならないなんて……」
「だから違うんだって。斬られたのは正面。友達と歩いてたら、いきなり斬られて血がドバッと」
「やめなさい。食事時に」
奏に諌められ、遙は舌を出した。たしかに食事をしている時に相応しい話題ではないが、伊与は妹の話に興味を惹かれた。
「それっておかしくないか? 正面から斬られたのに犯人が見えなかったって。一緒にいた友達も見てないのか?」
「人伝の話だからはっきりしないけど、いきなり倒れたって言ってるみたいだから、やっぱり見てないんじゃない?」
「カマイタチだな」
それまで黙って肉を咀嚼していた秋孝が、するりと割り込んできた。
「カマイタチ……。それって妖怪でしょ」
伊与の問いに秋孝は頷いた。
「うむ。そいつに斬られると、血も出ず痛みも感じないという……」
「じゃあ違うじゃん。だいたい今時妖怪なんて……」
「バカモン。カマイタチ伝説は昔から語られておるんじゃ」
「だからって」
「人の話は最後まで聞かんか。ワシが言いたいのは、何十年も何百年も語り継がれておる話には、なにかしら元になった真実が含まれておるということだ」
伊与は麻生の言ったことを思い出した。彼も似たようなことを言っていた。
「でた。カマイタチって、まんまじゃん」
遙がスマートフォンを突き出した。
「食事中にスマホは弄らないで」
奏がやんわり注意する。
伊与が覗き込むと、タッチスクリーンには前脚が鎌になっているイタチのイラストが出ていた。全身で弧を描くポーズを取っている。
解説を読み進めていくと、構え太刀が変化した説があると記されており、そうなるとイタチはまったく関係なくなってくる。また、悪神の仕業と考えられている地方もあり、どうにも煮え切らない。ようするに正体不明だ。
これらの情報を仕入れたうえで、伊与には一つの説が浮かび上がった。
辻斬りこそがカマイタチの正体ではないかと思うのだ。闇夜に紛れていきなり斬りつけられれば、やられた方は一気に恐怖のどん底に叩き落とされるだろう。衣装も黒ずくめで正体を隠すための頭巾まで被れば、一見、なにもないのに斬られたと思い込む者もいたかもしれない。怖れが呼び水となって噂が広がり、カマイタチなどという想像上の妖を生み出したのだ。
今回も通り魔の犯行というのが真実なのだろう。目撃談がなかったのは、突然過ぎて見逃してしまったか、パニックに陥って視覚できなかったに過ぎない。
カマイタチの話は、その時代の都市伝説が根付いて、廃れずに現代まで続いているものだ。秋孝が言っていた元になる真実も、昔にも通り魔的な犯罪があったと推察すればぴったり収まる。では、麻生が言っていた口裂け女の元となったものも存在した可能性もあるというわけだ。
「そういえば、父さんがこういった話に詳しかったよね」
「へえ……、そうなの?」
伊与は意識もせずに父親のことを持ち出してしまった。たしか、会う度に不思議な話ばかり聞かされたように思う。顔ももうぼんやりとしか思い出せないが、その時の父はすごく楽しそうだったと記憶していた。
遙の返事は気のないものだった。彼女が生まれる前にはもういなくなっていたのだから、まあ、当然の反応と言えた。
「あいつの話はするんじゃない」
対して、秋孝の反応は冷たかった。日頃から声を荒らげることなどないのだが、父のことに関しては態度を硬化させる。どんな確執があったかは知る由もないが、血の繋がった実の息子だというのに、この反応は過剰な気がする。
家には父が使っていた部屋があるが、鍵が掛かっていて伊与は一度も入ったことがない。一度、掃除をし終えて出てきた母と出くわしたことがあったが、その目には涙が浮かんでいたので、とても気まずかった。まだ父のことを愛しているのだろうか。
それはそれとして……。
「………………」
一日に似たような話が続いたことに、伊与は奇妙な符号を感じた。
ベッドに身を投げだし、仰向けのまま古本屋で手に入れた本を眺めた。文字が読めないので、眺めるだけだ。
どこの国の文字なのかだけでも調べようと、部屋にあるデスクトップパソコンで検索してみたがわからなかった。次に写真を撮って画像検索をかけてみた。似たような文字はいくつか上がったが、これといった決定打にはならなかった。結局、わからずじまいで終わった。
「どこの文字かさえわかれば、内容も翻訳できると思ったんだけどな……」
ページを捲っていくと、やはり気になるのは魔法陣を彷彿とさせる図形だ。本自体が古めかしいせいか、黒魔術を想像してしまう。
黒衣に身を包んだ魔女が、これと同じ図形を地面に描いて悪魔を召喚する。生贄となった哀れな屍が炎に照らされて怪しく揺らめき……。
「お兄ちゃん」
いきなりドアが開き、伊与は自分の想像に心臓を突かれた。
「なんだ、脅かすな。というかノックはちゃんとしろっていつも言ってるだろ」
伊与の慌てぶりが、遙にはウケたようだ。
「なによ、そんなに慌てて。あ、お兄ちゃんエッチなことしてたんだ」
「なにを言ってんだ」
来年には中学生になる遙は、ここのところ急にそっち方面に興味津々となっている。元が物怖じしない性格なだけに、兄としては心配の種の一つである。
「なんの用だ?」
「借りてた漫画、返しに来た」
「もう読んだのか?」
「うん。面白かった」
遙は漫画が収まっていた本棚のスペースに本をしまいながら、伊与が手にしている本を指さした。
「なに? その汚らしい本」
「ああ、今日の帰りに神保町に寄ってきたんだけど、なんか珍しかったんで買ってきた。本屋のおじさんの話では、昔の人がお遊びで作った同人誌じゃないかって……」
「へえ……。見せてもらっていい?」
「いいけど、面白くないぞ。なんにもわからないから」
伊与は本を差し出した。
「どういうこと?」
遙はパララとページを捲り、伊与が言った意味を理解した。
「なにこれ。一言もわからない。どこの文字よ?」
「言ったろ。ネットで検索しても引っ掛からなかった。お遊びで作ったんなら、製作者が作ったオリジナルの文字かもね」
「う~ん……」
「もしかして、数十年後には希少本として凄い価値が付いてるかも」
「でも、私この本嫌い」
遙は伊与の冗談をきっぱり跳ね返すと、放り投げて返した。
「なんだか、気味が悪いんだもん」
遙の言っていることには一理あったし、反対もしなかった。やはり、見た者に不安を感じさせる外見をしている。少なくとも、年頃の女の子の興味を惹くものではない。
「まあ、ちょっと不気味かもな」
「……そんなんじゃなくて、なんか……」
伊与は、遙の様子がおかしいことに気づいた。本を見る目がおかしい。あからさまな嫌悪が含まれている。叩き潰されたゴキブリの死体を見てしまった時みたいだ。
「おい……、大丈夫か?」
「ごめん、ちょっと……」
遙は口元を押さえて出ていってしまった。
「なんだよ……。いったい」
伊与は遙の様子を気にしながらも、持っている本の表紙をまじまじと見つめた。
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