第4話 動き出す模様
電車の乗り降りや階段の上り降りの際にもスマートフォンのスクリーンから目を離さない奴ってのはいったいなんなのだ? マジでイカれてるのか? 道具に支配されて自分の行動が異常だと気づきもしないアホは、この世から一人残らずいなくなるべきだ。
そんなことを考えている三影のすぐ横を、スマートフォンを弄りながら歩く者が次々とすれ違っていく。
「気をつけてくださいね」
「はあ? おめーが気をつけろよ」
突然、なんの予告もなく刺々しい言葉の応酬が三影の耳に流れ込んできた。
声のした方に目をやると、眼鏡を掛けた二十代と思しき男が警察官に捨て台詞を吐いて離れる場面だった。警察官は二人組で、男に挑発的な言葉を浴びせられた方は厳しい目で睨んでいた。必死に怒りを堪えている形相だった。
男は小太りでシャツをだらしなく着崩していた。ハーフパンツから飛び出している脛は見苦しい毛で覆われている。すぐにスマートフォンを取り出し、三影にどんどん近づいてきた。
三影に気づかないのか、スマートフォンのスクリーンをせわしなく操作しながら一直線に向かってきて、とうとう三影にぶつかった。
「むっ」
どんっと肩を突かれたような衝撃だった。三影は非難の意を込めて男を睨んだが、男は謝るどころかスクリーンを凝視したままだった。
「いてえな~……」
男は三影を見ようともせず、そのまま去ろうとした。
三影は、胃の辺りにメラッと不快ものを感じた。
警察官になめた態度を取ったのは良い。警察官にもくだらない奴はいるし、不躾な職務質問をされたのかもしれない。見苦しい外見も許容範囲だ。どんな服装をしようが個人の勝手だし、見たくなければ目を逸らしてしまえばいい。しかし、スマートフォンを弄ってぶつかっておきながら、謝りもしないのは許せなかった。
私の方を見ずにスマートフォンに目を落としたままで、口からは汚らしい言葉を吐く。内心は常に不安でいっぱいだが、自分が臆病だと見抜かれたくないから大きな態度を取っているのが見え見えだ。だからこそ余計にムカついた。
三影は背広に隠れているホルスターに手を掛けた。ベルトを通して腰に装着しているそれは、使用者からグリモワール・ホルスターと称されている。収まっているのは拳銃などではない。文庫本よりも一回り大きいサイズの本で、ケースもブックポーチに似た形状をしていた。ぴったりと収まっている本を取り出し、中央辺りをぱかっと開いた。すると、失礼極まりない男の頭上に設置されていた電光掲示板がブルブル震えだした。
何十人、何百人もの人々が行き交う場所だが、異常に気付く者は一人もいなかった。電光掲示板はさらに激しく震え、ついには支柱が天井から外れた。まるで凄まじい力で引っ張られて剥がされたようだった。
「うがっ!?」
電光掲示板はまっすぐ落ちて、真下にいた男に激突した。自身の重さに落下の衝撃が加わった電光掲示板は冷酷な凶器と変身し、男の頭を叩き潰した。
「きゃああああああっ!」
駅のコンコースに悲鳴が響き渡る。
男は鮮血を噴き出させながら、その場に崩れ落ちた。自分の身になにが起きたのかもわかっていないだろう。
「大変だっ?」
「きみっ、大丈夫かっ!?」
先程、男になめた態度を取られていた警察官たちが駆け寄り、男を介抱し始めた。
「ふうん……」
駅の利用客が足を止め、次第に人垣が層を厚くする。ある者は恐ろしさのあまり口に手を当て、ある者はスマートフォンで撮影を始めた。異様とも言える光景が瞬く間に形成されていった。
その様子を尻目に、三影は人の輪から離れた。
「ふん……。あんなものを撮影して、SNSにでも投稿しようってのか? 思考がスマホ並みに薄っぺらいな……。あの警察官、挑発的で見下された態度を取られても、すぐさま助ける行動に移るなんて職務に忠実だな。好感が持てるぞ」
三影は、人には聞こえない程度の独り言を口内で転がした。
「それにしても……」
今の攻撃は粗削りだった。見慣れた鮮やかさが鳴りを潜めていた。まるで怯えているのを隠すために、勢いでごまかそうとしたみたいだった。それでは、あのムカついた男と一緒ではないか。
「……バカな。悪魔を怯えさせる存在なんてあるか?」
ウケようと焦るあまりにスベるお笑い芸人に向けるような失笑を漏らし、三影将月はその場を立ち去った。
チカチカと頼りない街灯を手繰り歩き、我が家が近づいてくる。
伊与の家は生活道路に面した一軒家で、黒い外壁がその存在を主張している。幼い頃は黒い外壁が異様に映ったものだが、年を重ねた今は、これはこれでありだと思っている。それに、三階建てで大きなガレージと屋上があるのもお気に入りだ。
今日も何事もなく帰れたことに安堵する。自宅にいるのと変わらないよう振る舞っているつもりだが、外にいる時は気が張っているとわかる瞬間だ。
特に最近は、薄暗い空の下だと動きが強張ってしまう時すらある。日が落ちるのが早くなったからだろうか。黄昏てきたと思ったら、すぐに闇が覆い被さってくる。
黄昏……。誰そ彼……。
そういえば、奇妙な声が聞こえたのは黄昏時だった。
伊与は自分の思考に苦笑いした。
なにを考えているんだ俺は。変な本のせいで幼稚な想像をしている。麻生さんと同じだ。ポケットから鍵を取り出し、玄関のドアを開けた。
「ただいま」
伊与が靴を脱いでいると奥から「おかえり〜」と間延びした声がした。妹の
リビングダイニングに入ると、ふんわりといい匂いが漂っていた。テーブルを見ると土鍋が置かれていた。
「鍋……。まだ早いんじゃないか?」
「良いお肉が安く手に入ったの。それより伊与。遅くなるなら連絡入れなさいよ」
母の
「先に食べてていいって言ってるのに」
「ご飯は家族みんなで頂くもんです」
奏は勤めに出ているが家庭的は女性で、時々古風なことを言う。皿を置く音がカチャと鳴った。
「お兄ちゃん、メッセージ無視するんだもん。スマホ持ってる意味ないよ」
「メッセージ? 気づかなかったな」
伊与はポケットからスマートフォンを取り出し、タッチスクリーンを確認した。着信の表示はない。
「来てないぞ」
「うそ。二回も送ったよ」
「そんなことより、早く座れ。老人を餓死させるつもりか」
祖父の
「手ぐらい洗わせてよ」
伊与の家族は、祖父、母、妹、それに伊与の四人構成だ。父は伊与が幼い頃に事故で亡くなったと聞かされている。聞かされているというのは、伊与には父の葬式に出席した記憶がないからだ。全然家に寄り付かない人で、年に数回しか会っていなかったはずだ。そして、いつの間にか帰ってこなくなった。会う回数が少なかった分、一緒にいる時はうんと甘えていたような気がする。母から父が死んだと聞かされた時は、かなり落ち込んだものだ。
「いただきます」
奏が良い肉と言っただけあって、鍋は美味かった。満腹感による苦しさはない。隆太と食べたラーメンは、とっくに消化されたようだ。
ぐつぐつと湯気が昇る鍋に肉を頬張る咀嚼音。どこの家庭でも見られるありふれた生活のワンシーンだ。
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