51 挑発
こうやって追い詰められてきた私は、それでも起死回生の一手を
求めて、探し歩いた。
ある時は、子供が生まれた高広さんに出産祝いを持って行った際に相談した。
「大丈夫です。私もそこで悩みましたが、結局、今では『案ずるは生むが易しだった』と思っています。だから、大丈夫です」
逆に背中を押される始末。
また、ある時は、諏訪さんに、戸島衣毬の主演映画の企画がスタートしたことを報告しに行って、
「なんだ? まだ、手を出していなかったのか? 『据え膳食わぬは男の恥』って言うだろ。行っちゃえ、やっちゃえ」
と、煽られた挙句、
「うん? 事務所の子に手を出すスキャンダル? そんなこと、どこでもとは言わないが、表沙汰にならないだけで聞かない話じゃない。それに遠田も清家も知ってんだろ。大丈夫。あいつらなら上手く
何の問題も無いと言われる始末。
「て言うか、船山と早田はもう手を出しているだろ。今更、今更」
それを言われると、ぐうの音も出ない。
頭を抱えた。
――どうする? どうしたらいい? ああ、もう……。
なお、どうして諏訪さんに報告するのが私になったのか、疑問だった。遠田さんから頼まれた時は、このことを相談しようと思ったから何も考えずに、これ幸いと引き受けたのだが、
「それって、『ドリームアース』のオーナーとして、康太に自覚を持たせようとしたんじゃない?」
華鈴に言われて、別の意味で頭を抱えることになるのは、また別の話。
そんな中、光花が出演する舞台が始まった。
本当なら初日に行きたかったのだが、その日は大学の講義でレポート発表を控えていたから、私はアウト。レポート発表が終わる2日目は華鈴と真野さんがそれぞれ仕事が入っていてアウト。
なので、華鈴と真野さんは初日に、私は2日目に、光花の舞台を見に行くことになった。なお、小沼さんは光花のマネージャー(見習)として、舞台上演期間中、基本毎日劇場に詰めることになっている。
そして、上演終了後、楽屋に陣中見舞いとして顔を出した。
あらかじめ、光花を通じて、楽屋挨拶に行く旨を伝えてあったので、劇場の人からはスムーズに彼女の楽屋の場所を教えてもらうことができた。
その扉の前に立つと、閉じられた扉の向こう側から、楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
確認すると、扉の脇のプレートには、光花と舞台の共演者の名前が書かれた紙が貼ってあるから、間違いない。
――楽屋が一緒になった共演者の人と話題が弾んでいるのかな。
そう考えながら、扉をノックする。
「はーい、どうぞー」
と光花の返事が聞こえたから、扉を開けて中に入ると、
「あ、康太! 来てくれたんだ」
その言葉とともに、パッと花が咲くように顔をほころばせた光花が迎えてくれた。
光花と一緒に部屋の中にいたのは、ヒラヒラと右手を私に向けて振る小沼さんと、興味深そうに私の様子を伺ってきている知らない人が一人。3人ともイスに座っている。
知らない人は部屋の外の紙に書かれていた共演者の人ではない。だけど、見覚えがあるような……。とりあえず、それは脇に置いて。
「光花、お疲れ様。お芝居、とっても良かったよ」
「ありがとう!」
光花の顔に咲いた花がさらに大きく可憐に美しくなる。もちろん、誉め言葉はお世辞なんかではなく、心の奥底からの本音だ。
前回も含めて、舞台の芝居を観るのは初めてだったが、その魅力の
舞台の上に立つ役者たちによって作られる作品の空間は、私が見慣れている映画ともテレビドラマとも違う、その瞬間限りの独特の世界だった。
「良かった」の一言では、全然この感動を伝えることができない。それでも、まず最初に伝えたい言葉を言えたことに満足する。
それを見計らってかそうでないかは分からないが、光花が部屋の中にいた知らない人に私のことを紹介してくれる。なんだけど……。
「衣毬ねえさん、紹介するね。倉野康太。私の彼氏で、知永さんの彼氏候補」
――最後のも付けるんだ。
今の私の表情はどんなものだろう。小沼さんはアタフタと慌てている。
「そして、康太。この人は衣毬ねえさん。戸島衣毬さん。事務所に入ってから、ずっと妹のように可愛がってくれているの。尊敬する私のお姉ちゃん的な人」
言われてから、ようやく気付くことができた。
確かに、彼女は「戸島衣毬」だ。
そして、興味深げに私のことを見ていた彼女が、椅子から立ち上がると、
「初めまして、戸島衣毬です。よろしくお願いします」
そう言う彼女を見て、初めて彼女の背丈が光花と比べて低く、私より頭1つ分以上低いことに気付く。
――意外と背が低いんだ。
映画を見た印象から勝手に彼女に抱いていたイメージを裏切られたことに気を取られて、彼女からの挨拶を返すタイミングが少し遅れてしまう。
「……あ、こちらこそ、初めまして。倉野康太です」
と言って、頭を下げて、戻すと、違う女性が目の前にいた。値踏みするように、私のことを足の先から頭のてっぺんまで見た後、彼女は、
「ふ~ん。あなたが
先程の挨拶とは全く違う、上から目線の口調で話す。
そんな彼女の切替に面食らってしまう。
だけど、それだけではなかった。
「けれど、その前に」
彼女が一息吐くと、また、まとう空気がガラッと変わる。
「
そう言って、深々と頭を下げた。
今度こそ、本当に呆気に取られてしまう。おそらく、口がポカンと空いているはずだ。
それに対して、戸島衣毬は下げていた頭を戻して、光花の方を向くと、胸を反らして、表情もドヤ顔になり、
「どうよ、この
言い放つ彼女に、光花は両手を前で組んで媚びるように、
「流石、衣毬ねえさん。そこに痺れる憧れる!」
少しわざとらしい。
あえて、わざとらしくしているのか?
もちろん、そのわざとらしさに戸島衣毬も反応する。
「なに、その反応。からかっているんじゃないの? 本当に、私のこと、事務所の先輩として敬っている?」
「からかってなんかいませんよ。もちろん、尊敬しています。はい」
「「……ぷっ。あっはッはは」」
最後は同時に吹き出して、笑いだしてしまった二人を前に、私はまた呆気に取られてしまう。小沼さんも同じように呆気に取られている。
小芝居をやっていたようだ。
二人の仲の良さは十分に伝わってきた。同時に、私が彼女たちの遊び道具にされたことも。
空いていた適当な椅子に腰を下ろす。本当は、ドスンと音を立てて不満を露にすることも考えたが、止めておいた。
それでも、私の様子から不満を透かし見て、「子供っぽい」とでも思ったのだろうか、二人はまたクスクス笑いだした。
こんな二人の空気に耐えられなくなって、話題変更を試みる。
「ところで、映画と女子寮の話はどういうことです?」
私の言葉に、戸島さんは不思議そうな表情を浮かべ、
「あら。倉野君って、ウチの事務所の新しいオーナーなんでしょ」
あっけらかんと言い放った。
光花と、そして小沼さんに視線をやるが、二人とも首を横に振って「話していない」と否定する。
「あ、一応、大株主ということになっていたんだっけ」
私たちの様子を見た戸島さんは、ご丁寧にも、答え合わせをしてくれる。
「だけど、香子さんに聞いたら、『あの子が新しいオーナーだよ』と言っていたよ」
その言葉に、思わず、手で顔を
――外堀が埋められつつある。
――財部さん、私に何を期待しているんです?
心の中で
「確認を取らなくても、耳聡い子は気付いているけどね。これくらい分からなくちゃ、この世界は生き残れないわよ」
とも
「だから、あなたの会社に移籍した光花のことも、『新オーナーに捧げられた
そう言って、ウインクして来る。
意味は「貸しひとつね」。いや、この場合は「貸しは返したわよ」か。
再び、顔を手で覆って、今度は大きな溜息を吐きたくなる。だけど、その衝動は抑える。代わりに、
「よろしくお願いします」
両手は膝の上に移して、戸島さんの目をしっかりと見た後、頭を深く下げた。
ここは光花のことが最優先。噂が独り歩きして、ネガティブキャンペーンに成長しないように。自分の葛藤はポイだ。
下げていた頭を戻すと、戸島さんが今度は興味深そうな顔で私のことを見ていた。そして、光花の方を向くと、
「いい子ね。光花のことが羨ましくなったわ」
としみじみと呟いた。それに対して、光花が「そうでしょう」などと言ってドヤ顔を浮かべるのかと思えば、浮かべたのは確かにドヤ顔だったのだが、
「だったら、衣毬ねえさん、康太の愛人になる?」
「は?」
戸島さんの顔が間の抜けたものになる。私も同じようなものになっているのだろう。
「だって、ねえさん、『恋がしたい、恋がしたい』って前から散々言っている割に、全然彼氏作らないじゃない」
「それが、なんで『愛人』に繋がるのよ」
戸島さんの言葉に、光花が「ちっちっち」と少し気取りながら顔の前で人差し指を横に振る。
戸島さんの顔に少し険しいものが浮かぶ。
――挑発しているな。
と思うが、光花は一切気にかけることなく、さらに言葉を紡ぐ。
「『彼氏』と『愛人』。少し違うの。今の衣毬ねえさんには『彼氏』はハードルが高いでしょ。だから、手近で手っ取り早く『愛人』になって、ねえさんの恋愛感情を刺激してみるの。つまり、康太でリハビリしてみない?」
それに対して、戸島さんは苛立ちも一緒に出すように、「はぁぁー」と大きな溜息をひとつ吐いて、
「あんたね。何言っているか、分かっているの? 私じゃなければ、怒っているよ。下手するとぶん殴っているよ」
「もちろん、誰にでもこんな話するわけじゃないですか。ねえさんだから、話しているんです」
「そうだとしても、何人目? 彼の恋人は」
私を指さして呆れながら言う戸島さんに、光花が指折り数えながら答える。
だが、この時、光花が小沼さんにも意味深な視線を送っていたことに、私は気付いていなかった。
「私でしょ。華鈴でしょ。蓉子さんに、知永さんにエリューシャ。だから6人目。あ、もしかすると、5人目か4人目になる可能性もありますよ」
「6人! まともな関係になるわけないじゃない!」
「別にいいじゃないですか、衣毬ねえさんにとっては。そりゃあ、5人の中にまともに割って入ろうとするならば大変ですよ。だけど、逆に考えるんです。ねえさんの気が向いた時だけ、恋人感覚を味わうんです。それ以外は無視です、スルーです。もちろん、私たちとスケジュール調整はしてもらう必要はありますけどね」
これでバカバカしいと一蹴してくれるなら問題は無いのだが、戸島さんの様子を見ると期待薄。
光花の言葉が進むにつれて、次第に彼女の顔から呆れが抜け落ちていったから。
今ではフラットな顔つきになっている。
「ふ~ん。けど、いいの? 当の本人である倉野君には話を振らないで、話を進めちゃって」
「いいんです! この類の話には、康太はとっても優柔不断で、とっても役立たずですから!」
グサッと光花の言葉が私の心に突き刺さる。
「とっても」のところに力が強く入っていたことが、さらに突き刺さる力を強めてくる。
戸島さんの顔に再び呆れが乗るが、その矛先は私の方を向いている。
♪~。
光花のスマホの着信音が部屋に響いた。
「あ! 華鈴からだ。……ねえさん、華鈴が仕事が早く終わったからこの後合流できるって」
「……ふ~ん、じゃあ、もう少し詳しい話を聞かせてもらおうかな」
「そういうわけで、康太。私たちはこれから夜遊びに行ってくるね。蓉子さんもこっちにくるから、今晩は一人で寂しく寝てね」
光花がまくし立てる言葉を、私は「ふんふん」と聞くばかり。
グサッと突き刺されたまま、心も頭も動かない。
そして、
「じゃあ、行ってきまーす」
の言葉とともに、戸島さんの「ばいばい」と手を振りながら出て行く。二人の様子を見送ると、部屋の扉が「がしゃり」と閉ざされた。
その音で、置き去りにされたことを悟る。
右手で顔を覆い、「はぁぁーー」と思わず特大の溜息を漏らしてしまう。
「どうするの?」
その声で、まだ小沼さんが部屋に残っていたことに気付く。
右手の指の隙間から、彼女の方を見ると、イスに座ったまま、案の定、呆れた顔をしている。
「戸島さんのことですか?」
「もちろん。彼女も愛人にするの?」
「断るに決まっているじゃないですか」
彼女の問いかけには、決まりきった言葉を返す。自分でも「白々しい」と思う。
だから、もちろん、こう返される。
「ふーん。じゃあ、聞くけど、断り切れるの?」
「今度こそ、断ります」
「なら、正面突破で押し切られずに、逆に押し返せるの? 情に
これまでの選択ミスを責められているような感じがする。もっとはっきりと声を上げて断っていれば、こんなに「愛人」が増えることは無かったんだ、と。
「もちろん、押し返します。絆されません。恩を着せることもしません」
苛立ちが少し言葉に乗ってしまう。
だけど、それに対して、小沼さんは少し顔を下げて、
「ふーん」
と言うだけだった。
部屋を覆った沈黙が重い。
俯き加減になったことで、照明のせいか、小沼さんのメガネのレンズが反射して、彼女の目が見えない。
引き締められた口元が不気味だった。
短い時間にもかかわらず、永遠にも感じられる時の長さを感じた。
そして、沈黙が破られる。
「決めた」
顔を上げた小沼さんの目がしっかりと私を捉える。そして、イスから立ち上がり、かつかつと靴音を立てて私のそばに来ると、
「行くわよ」
その有無を言わさない言葉に
「……どこへ?」
「ラブホに決まっているじゃない」
――理解できない。何がどうなったら、その結論に至るのか。
それが言葉に出てしまう。
「……なぜ?」
「『なぜ?』? あんたがそれ言う?!」
でも、この言葉がしっかりと小沼さんの地雷を踏みぬいてしまったらしく、彼女の顔は引きつったものに変わる。
「いつでも押し倒されてもいいように、とっくの昔に覚悟完了しているの! だけど、あんたはいつまでもウジウジウジウジ。そんな宙ぶらりんの状況で、さらにまた一人増える? マジ理解できない! 我慢も限界! こっちは『OKだ』と言ってんだから、つべこべ言わずに押し倒せ! いい!?」
まくし立てられる言葉に圧倒される。そんな中でも、光花が挑発していたのは小沼さんも入っていたことを理解してしまう。
「華鈴ちゃんも光花ちゃんも、蓉子もエリューシャもOKと言ってんだから、周りのことなんか気にすんな!」
――今、挙げた全員、将来有名税がかかってきそうなんだが。
と内心思ってしまうのだが、それを明後日の方向で察せられたらしく、
「人数が多い? トラブルが起きそう? そんなことトラブルが起きてから考えればいいの! 明日は明日! 今は今! 分かった!?」
ここまでくると、もう首を縦に振るしか選択肢がない。
「よし! 行くわよ!」
右手を掴まれて、引きずられるようにして、外に出た。
ただ、この時点ではイケイケだった小沼さんはラブホの入口に来ると途端に熱が冷めて躊躇してしまい、今度は逆に私が手を引くことになってしまったりするのだが、それはまた別の話。
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