50 「王子様」

 大会から2日後。この日はエリューシャの初練習日。


 初めての場所に行くエリューシャのエスコートも兼ねて、私が同行することになった。目的地までは地下鉄と私鉄を乗り継いで行く。


 どうも、出掛ける前の華鈴と光花の意味深な笑顔を見ると、私とエリューシャを二人きりにするよう、華鈴たちに仕込まれたように見える。それはともかく。


「どうして、康太は蓉子たちを受け入れないのですか?」


 彼女とどんな会話をするか考えあぐねている間に投げかけられた問いで、思わず固まってしまった。


 エリューシャは心底不思議そうな表情を浮かべている。


「……どうしてそう思ったんだ」


 リスタートに辛うじて成功した私の言葉に、エリューシャはその表情をさらに深めて、


「蓉子たちを見ていたら、パートナー以外に見えません。寝る時だけ自分たちの部屋に戻り、それ以外、家にいる時は一緒にいます」


 ――確かに、そうだが……。


「単純にルームシェアしているだけ、とはとらえられないか」


「本当にそう思っていますか」


 エリューシャの目が据わり、少し気圧される。


「康太は残酷です。蓉子たちのことを見ていません。康太が華鈴や光花にキスしている時、蓉子たちがどんな顔をしているか、知っていますか」


 ――それを言われると辛い。


 それを知っているがゆえに、キスする時は出来るだけ真野さんたちがいない時にしているが、華鈴たちは気にしない。

 最初は、真野さんたちに見せつけているのかと思った。

 けれど、今は逆に、私の尻を叩くための方がその目的の割合が大きくなっているのではないだろうか。つまり、真野さんの生気が抜け落ちた表情、小沼さんの辛そうな顔をしたあと目を背ける様子を、私に見せることで。


 ――いつかは踏ん切りをつけないといけないのは分かっている。

 ――だけど……。


「普通ではないぞ。華鈴と光花二人同時に付き合っている時点で普通でないが、さらに真野さん、小沼さんと付き合い始めたら、もっと普通から遠くなる」


「……そんなに普通でなければいけないですか」


 再び、エリューシャが不思議そうな表情を浮かべるが、その不思議さのベクトルは先程のとは少し違う。


「康太の言葉を借りたら、フィギュアスケートは『普通』と『普通でないこと』を両立しなければいけません。ルールという『普通』とオリジナリティという『普通でないこと』です。そうしなければ、評価されません。表彰台に上れません。『普通でないこと』はそんなにいけないことですか」


「……その言い方だと、私たちはルールから外れているんじゃないか」


「確かに結婚のルールからは外れていますが、恋愛のルールからは外れていますか? そもそも、恋愛のルールとは何ですか?」


「……一対一で誠実に付き合うことでは」


「『誠実に付き合うこと』には賛成しますが、『一対一』を加える必要はありますか。パートナーを裏切らないため、は分かります。ですが、そのパートナーが認めていたら、どうですか」


「……」


「結婚のルールは法律が決めています。けれど、恋愛のルールは誰が決めます? 私たちではないでしょうか」


「なら、エリューシャはどう思っている? 自分だけを見てほしいとは思わないのか」


「確かに、自分だけを見てほしいという気持ちが全くないと言ったら、嘘になります。けれど、蓉子から、あなたにすでに正妻がいると言われた時の絶望感と比べたら、とてもとっても小さいです」


「いや……そもそも、なぜ君は私と初めて会った時、まだ名前も知らない時から、あんなに好意を示すことができたんだ? 過去にどこかで私たちは会っていて、私がそれを忘れているのか」


「いいえ、私たちは成田空港で会った時が初対面でした。一目惚れもあります。ですが、それよりも……」


 しばらく言いあぐねた後、意を決したように彼女は話し始めた。


「私は幼いころから『いつか王子様が迎えに来てくれる』と思っていました。流石に、成長すると、そんなことはない、いえ、ないだろう、と思っていました。それが、1年前くらいから『私の王子様が現れた』と確信しました。理屈ではありません。直感です。その人が日本にいることも分かりましたから、日本語も学び始めました」


 エリューシャが一度言葉を切る。


「それとほぼ同時に、不思議なことが私に起き始めました。それまで苦戦していたスケートのジャンプが飛べるようになりました。周りの人を観察していると、その人のことが分かるようになりました。何を考えているのか、何か問題を抱えているのか、とかです。良いことも悪いこともありました。ですが、使わなかった時よりも、私の運命は良い方向に向かっているのは確かです。感謝しています」


 ――「今は使わないのか。必要な時ではないのか」と聞くのは意地悪だろうか。

 ――意地悪だろう。


 と考えていた私のことを察したのだろうか。エリューシャの言葉が一時的に早口になって、


「あ! 今は使っていません。その能力のONOFFを出来るようになりましたから、必要な時、大切な時しか使わないようにしています」


 そして、一度、私から視線を外して、また戻す。


 真っすぐに私のことを見つめてくる。彼女の蒼い瞳に私の顔が映っている。


「そして、あなたに会いました。会えました。一目見てすぐに分かりました。康太が私の王子様だと。運命の人です」


 彼女の言葉に、


 ――重いな。


 と思ってしまう。


 ――王子様なんかではない。運命の人なんかではない。


 とも思ってしまう。思ってしまったがために、少しひねくれた言葉が口をついてしまう。


「その王子が、何人もの女の子と付き合っている悪い王子でも?」


 だけど、エリューシャはキョトンとした表情になってから、笑みを浮かべた。そして、


「むしろ私は運が良いと思いました。私にもあなたのそばにいられるチャンスがある、と。これが、華鈴か光花、どちらか一人だけなら、私もあきらめました。そして、一人涙を流したでしょう。ですが、両方と付き合っていて、さらに、蓉子と知永も加わろうとしている。なら、私にもチャンスがあります。そうですよね」


 最後の一言には、エリューシャの強い意志を感じさせられた。


「私たちが恋人としてうまくいくかどうかは、わかりません。ですが、私は、3年以上うまくいっているポリアモリー、一人の男性と二人の女性が付き合っているカップルを知っています。逆に、2日で別れたモノガミー、男性と女性が一人のカップルも知っています。もちろん、うまくいっているモノガミーのカップルも知っています。ですから、始めてみないとどうなるかは分かりません」


 そして、しれっと私の逃げ道をふさいできた。夢見る乙女の一面ではない、したたかな一面を私に垣間見せてくる。


「それと、私が競技に復帰したら、国境を越える遠距離になります。競技生活を何年続けられるかは分かりません。1年もないかもしれません。数年続くかもしれません。出来れば、引退した後も、フィギュアに関わる仕事をしたいです。そうすると、日本にとどまることを選ばない限り、あるいは康太が行動を共にしてくれない限り、ずっと遠距離になります。そうすると、康太にパートナーが多くいるのは結構いいかもしれません。時々、私が帰ってきた時、私の居場所が康太のそばにあったらそれで十分です」


 そう言って、少し寂しそうな笑みを浮かべて、弱い一面も見せてくる。


 彼女に絆されはじめている自分を認めるしかなかった。


 それでも、往生際が悪い私は、エリューシャのことを知る時間が欲しい、と彼女にお願いする道を選んでしまうのだった。

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