49 開示
エリューシャが来た日の夜、大会が終わった後、私たちの部屋に人が集まった。
あれから、エリューシャと華鈴にもコーチの話をして、財部さんから会場に来ていた橋場さんを紹介してもらい、簡単な話をさせてもらった。
ただし、その場で即決はしていない。エリューシャは、急ぐ必要はないから、もっと他にも話を聞いて、しっかり検討したうえで決めるつもりのようだ。橋場さんも突然の話に少し混乱していたから、なおのこと。
スケートリンクについては、協会の三輪さんを捕まえることができたため、彼の紹介で確保することができた。都内のとあるスケートリンクを、週に1回、通常の営業時間終了後に2時間ほど貸し切りで。今後、本格的に活動拠点を日本に移すことを決定した時には、改めてまた話をさせてもらうことにもなっている。
それと、
「何かあったら、相談しに来な。力になるよ。
とも、財部さんから言われているが、そこは保留。
そして、場所は私たちが住むマンションに移る。
東京に来た時に華鈴と一緒に選んだダイニングテーブルの席が全て埋まる。
私、華鈴、光花、真野さん、小沼さん、そして、エリューシャ。
もともと、このテーブルは、天板を引き延ばすと4人掛けから6人掛けになるギミック付きで、
――大学の友達か、母と祖母が遊びに来た時にたまに使う程度。
と買った時は考えていたのだが、今ではずっと6人掛けのままになっている。
そんなギミック付きなため、一部構造的に
「新しく、ちゃんとした6人掛けのテーブル、イスもセットで、買わない?」
なんてことを先日言っていたのだが、保留にしている。
確かに、4人分のイスはテーブルと同じシリーズのを買ったが、残り2脚は普段使わないだろうと折り畳みの適当な安いイスを使っている。
でも、実際に買いに行ったら、6人掛けではなく、8人掛けのテーブルになりそうな、そんな予感が……。これは脇に置いて封印してしまおう。
「さあて、ウチの人に粉をかけている、って、あんた?」
早速、どういうわけか、小沼さんがエリューシャの隣に座ると同時にメンチを切るような
だが、そんな彼女をたしなめるように、真野さんがペチンと頭を軽く叩いて、小沼さんの向かい側で私の左隣の席に座る。私とエリューシャは向い合せに座っていて、私の右隣には光花、光花の向かい側でかつエリューシャの左隣の席には華鈴が座っている。なお、折りたたみイスを使っているのは、私と華鈴。
その中でも、光花は上演間近に迫った舞台の稽古で連日かなり絞られているらしく、今日も、
「康太分を補充~」
と言って抱き着いてきている。
その様子を席に座る前にちらりとだけ視線に入れてから、真野さんは小沼さんに言う。
「この中で一番遠い位置にいるのに、なんで、知永が正妻
「何よ、いいじゃない。軽い冗談なんだから」
小沼さんが膨れっ面を出す。
「大体、蓉子だって、私と同じラインじゃない」
「あら、私はこの間、直接、倉野君、いえ、康太に告白したわよ。まだ返事は保留されているけど」
「え? 聞いてないわよ」
「知永には言っていないもの。華鈴ちゃんと光花ちゃんにはちゃんと報告したわ」
「ちょっ! ずるい! 抜け駆け!」
「だったら、今したら?」
「ぅぐっ」
小沼さんの言葉が詰まる。そして、視線が明後日の方向に向くが、チラッチラッと時折私の方を向けてくる。
「はーい。じゃあ、エリューシャとは初対面の人を紹介するね」
そんな小沼さんの様子を少し伺っていた華鈴が、「タイムオーバー」を告げるように動き始めた。
「私と蓉子さんは会っているから、まず康太の腕にくっついているのが光花ちゃん。東京駅の新幹線ホームで話した『3番さん』の早田光花。私と康太とは1歳年下だけど、俳優として活躍している。くっついているのは勘弁してあげて。今日は稽古で大分絞られたみたいだから」
「初めまして。よろしくねー」
言葉に合わせて、抱き着いたまま光花が右手をエリューシャに向けて笑顔で振る。
「そして、エリューシャの右隣に座って絡んできたのが、知永さん。『5番さん』になろうかどうしようかまだ考え中の小沼知永。私たちの大学の先輩で来年春に卒業するわ」
「ねえ、華鈴ちゃん、その紹介、私に悪意ない?」
「ちなみに、私がこの間『フィアンセ』と言ったのが、華鈴と光花。私から見て、エリューシャの言葉を借りれば『正妻さん』になるのが、この二人なんだけど、華鈴たちの言葉を借りたら、それぞれ『2番さん』と『3番さん』なのよね。そのあたりの詳しい事情は、また今度にしましょう」
真野さんが華鈴の言葉をフォローするように話を付け加える。
「そして、私は、華鈴たちの言葉を使えば『4番さん』、エリューシャなりの言い方なら『妾』に立候補中の真野蓉子。この間、挨拶したけど、もう1回ね」
「ねえ、私のこと、スルーしてない?」
寂しそうに言葉を挟んでくる小沼さんに対して、真野さんは面倒くさそうに、
「いまだにグダグダ考え中で答えを出していない人はスルー推奨」
「ちょっと、蓉子。その言い方、ひどすぎる!」
「なら、今、答えを出す?」
「ぅぐっ」
真野さんと小沼さんのやり取りはいつものじゃれ合いのようにも見えるが、今日の真野さんの言葉のチョイスは少し厳しく、私には見えた。
ただ、そこに言葉を差し挟む間もなく、真野さんがさらに言葉を続ける。
「ここにいる4人が、候補も含むけど、康太の女、……恋人? 英語だと、Significant otherか、Partnerと言った方が伝わりやすいかな。この場合は複数形を使った方がいいかしら。まあ、その全員が揃っているわ。康太が他に隠していなければ、だけど」
真野さんの言葉のとげが今度は私に向かってきた。ただ、それよりも、
「いないよー。康太から他の女の匂いがしないから、大丈夫」
抱き着いたまま、クンクンと私の匂いを嗅ぐ光花の言葉の方が冷たく、背筋に氷を入れられたような怖さを感じた。
それを表に出さないようにして、やましいことは欠片もないから堂々と、上目遣いに私の顔を見てくる光花に微笑みかける。そんなことするわけないじゃないか、という意味を込めて。
「じゃ、じゃあ、その件は置いておいて。……あなたが康太に告白したのはなぜ? ああ、その前に、こんな状況でも、まだ康太の……ええと『妾』? になるつもりはあるの?」
噛みながら小沼さんが割って入って、エリューシャに問いかける。小沼さんも光花の恐怖にあてられたようだ。ただ、華鈴はもちろん、真野さんとエリューシャも顔色一つ変えていない。だから、
「もちろンです。私の気持ちハ変わってイません」
とエリューシャははっきり答えた。
「だったら、なぜ!?」
その様子に少し苛立ったのだろうか、小沼さんの口調が荒くなる。
それでも、エリューシャは全く動揺を見せない。
「康太が私にとッての
――
エリューシャの言葉に驚いたのは私だけではなかった。
華鈴と光花も目を見開き、真野さんも口をポカンと開けている。
小沼さんに至っては、
「
と毒気の抜けた顔で言葉をこぼしていた。
それに対して、エリューシャは言葉を続ける。
「康太かラ与えらレた不思議な力によッて、私は救わレました。баба(おばあさん)の病気にいち早く気付クことが出来ましタ。治療の道筋をつけることにも役立ちましタ。叔父の悪意かラ逃げることも出来ましタ」
そして、純粋で透明感を持った笑みを浮かべて、
「この力によッて、康太が私に力を授けてくレた人であることは分かりまス。私はこの恩に報イなければなりませン。そのたメには、私の全てを捧げるつもりでス」
さらに、私を除く、4人を見て、
「皆さン、そうやッて康太の下に集まられタのでしょう?」
場の空気が固まる。
それは、彼女の意志の力に圧倒されたのか、発言の意味を理解できなくてフリーズしたのか、は分からない。
私自身、どんな表情をしているのか分からない。驚いているのか?
小沼さんと真野さんは口を開けて呆気に取られている。
華鈴と光花は固まっている。
固まった空気を破ったのは小沼さんの声だった。
「いやいや、確かに康太には救われたけど。え? 不思議な力? なにそれ? 全てを捧げる? どういうこと?」
エリューシャが言っている「不思議な力」とは、恐らく、「操作アプリ」で彼女に付加した[人間観察:B+]のことだろう。
いや、恐らくではなく確実にそうだ。
問題は、そのことを知っているのが華鈴と光花だけで、小沼さんと真野さんは知らない、ということ。
――どうする?
と考えている暇はなかった。
「ねえ、康太たち、何か隠し事していない?」
真野さんの言葉に小沼さんはキョトンとして、
「蓉子? 何言っているの?」
正面に座っているエリューシャは泰然自若。私は……どんな顔をしている?
「エリューシャの言葉に、私は『馬鹿馬鹿しい』『ありえない』と思った。知永もそうでしょ。だけど、康太と華鈴ちゃん、光花ちゃんの3人は違う反応を示したわ。それは何を意味しているのか。何か隠している?」
そして、真野さんは私たちの顔を見て、
「まあ、別に知る必要がないことだったら、話す必要は無いけど」
――どうする? どうしたらいい?
彼女の言葉にこのように考えこんでしまったのは、少しだけ。というのも、
「あーあ。ばれちゃったかー」
「ばれちゃったねー。蓉子さん鋭いねー」
「やっぱり、モデルの世界で1つの頂に上ったことがあるだけのことはある?」
「そうだよねー。だけど、遅かれ早かれ、ばらすんだから、いいんじゃない」
「だよね。いいよね」
華鈴と光花が話し始めたから。
「本当は、康太の恋人になったら話すつもりだったんだよ」
「秘密の共有、ってやつだよね」
「そうそう」
「蓉子さんが気付いちゃったから、前倒し」
「ねー。ということで」
意味深に話していた二人が、今度は、唐突に漫談もどきを始めた。
「パンパカパーン」
「世にも不思議な事でございます」
光花の擬音の合いの手に、リズムよく乗っかり華鈴が気取った声音で語る。
「テケテン」
「科学の力では到底説明することができません」
「テンテケテン」
「そんな奇跡な代物が康太のスマホの中に入っておるのです」
「ジャーン」
光花の擬音を合図に二人から両手を突き出される。
が、呆気に取られていた私は、なにも動くことができなかった。
だから、責められる。
「もー! 康太、ノリが悪い!」
「ノリが悪い!」
「はい! スマホを出して。アプリを起動して」
言われるがまま、スマホを取り出した。奪われた。回された。
だけど、回された小沼さんたちは狐につままれたポカンとした顔をしている。
「……どういうことなの?」
「このアプリを使えば何でも出来るのです」
「何でもは出来ないよー、華鈴。私のおっぱい、巨乳にならなかった。うぇーん」
小沼さんの問いかけに、華鈴が答えるのだが、光花が突っ込みを入れて、最後は泣くふりをする。
「とまあ、出来ないこともあるけど、色々できる」
それを受けて、華鈴は軌道修正をする。
「ニキビを瞬時に治したり、肌や髪の艶を良くしたり、おっぱいをちょっと大きくしたり、ウェストをちょっと細くしたり」
「誰かが病気にかかっテいるのが分かっタり、もでスか?」
このエリューシャの言葉に、華鈴はニヤリと彼女に笑いかけて、
「
と答えると、
「え? もしかして、華鈴ちゃんと光花ちゃんの美しさのヒミツって、それ?」
「
「もちろん、素材がいい、というのもあるよー」
小沼さんの問いかけにも、同じように華鈴は答え、光花のフォローも入る。私は蚊帳の外。
さらに華鈴が続ける。先ほどの漫談もどきのようにもったいぶるように。そこに光花が合いの手を入れるように、補足まで入れる。
「ただし、誰にでも出来るわけではありません」
「アプリに登録しないといけないんだよね」
「登録すると二度と抜けることはできません」
「生涯、康太に添い遂げる覚悟が必要だよね」
その光花の言葉を聞いて、私は、
――そんな覚悟、必要無い。
と突っ込みたくなるが、そんなことができる空気ではない。でも、
「その覚悟は、はるか昔にできています」
「私も完了しているよー」
ドヤ顔で宣言する華鈴と光花がたまらなく愛おしい。そして、嬉しい。
「だけど、エリューシャは無断で登録しているんだ。ごめんね」
「登録した理由はアプリよりもっと不思議な理由だから、また今度ね」
「アプリの不思議さを証明してみせようか。勝手に登録したお詫びじゃないけど、エリューシャの日本語を上手くしてみせよう」
「じゃあ、ハイ、康太」
光花の言葉に、私に5人の視線が集中する。ニコニコした華鈴と光花、半信半疑な真野さんと小沼さん、そして、ワクワクキラキラなエリューシャ。
却下できる空気ではない。仕方なく、「操作アプリ」を立ち上げ、エリューシャに新しいスキルを付加する。
[日本語:下限C]
そして、私が操作を終えるのを見ていた光花が、
「エリューシャ、何か話してみて」
と言うと、エリューシャは少し戸惑った後、
「あいうえお、かきくけこ。こんにちは。こんばんは」
それまでにあったイントネーションの可笑しなところが無くなって、スムーズな発音になった。目を閉じて聞いたら、ネイティブとの違いは分からないに違いない。
エリューシャはもちろん、真野さんも小沼さんも驚いている。それを見て、華鈴と光花が口を開く。
「もともと、このことについては、康太の恋人になった時に話すつもりでした」
「蓉子さんに気付かれちゃったからねー」
「前後が逆になっちゃったんだけど、みんなはどうする?」
「どうする?」
二人からの問いかけに、エリューシャも真野さんも小沼さんも答えることは無かった。華鈴たちが開示した情報を
だから、この夜は、これでお開き。
真野さんたちが自分たちの部屋に戻る際、エリューシャも彼女たちの部屋で寝起きすることになっていたから、私はエリューシャにアプリに勝手に登録していたことを謝った。
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