6 連れ帰ったその後

 11月。

 船山はまだ私の家にいる。


 高校には二人一緒に通っていたから、住んでいることは同級生たちにすぐにバレた。大多数の男子からは、毎日、嫉妬の視線を送られている。事情を知っている女子からは船山の滞在先を確保したことに安堵の声が聞こえてきた。


「グッジョブ」


 隣席の高月にはサムズアップとともにそう言われたが、次いで、笑みを浮かべながら耳元で、


「華鈴を泣かしたら、どうなるか分かっているでしょうね」


 ドスの聞いた声で囁かれたのには苦笑いするしかなかった。

 船山の愛され具合を知らされた。


 もっとも、船山が抱えている事態は目に見えて好転したわけではなかった。むしろ、停滞していると言ってもいい。


 こじれた家庭の事情が、1か月も経たないうちに終息するとは思ってはいない。

 会社の同僚で離婚協議をしていた人がいたが、1年経っても終わりを迎えることが出来ていなかった。よく飲み会に一緒に行っていたが、最後の方は必ずこの愚痴になっていた。


 それはさておき、父の友人の紹介で話を聞いてもらった離婚問題に強い弁護士も時間がかかりそうだと言っていた。


 そう、父も、おまけに、兄も、予定外に家に帰ってきた。全ては、母の次の言葉で。


「家に綺麗な女の子が来たー」


 二人ともその週末になったら、ホイホイ家に帰ってきた。


 家に泊った父は、船山に食事の皿を出してもらい、服を洗濯してもらったことで、感激の涙を流していた。


「こんな良い女の子が家に来るなんて……」


と言って。ただ、洗濯に関しては、


「ちょっと嫌かな」


 陰で船山が零していたから、2回目以降の洗濯は私が変わった。

 父には何も言っていない。おそらく、まだ船山がしてくれていると思っている。


 なお、兄は夜になると「寝る場所が無い」と母に追い出されていた。

 その様子を見ると、兄が彼女を連れてくる時期が早まるかもしれないとも感じた。彼女も船山に負けず劣らず好い女性素晴らしい人だから、みんな諸手を上げて歓迎するだろう。


 こんな私の家族事情は脇において、船山の事情に戻る。


 船山の父親の方は塩対応と言うしかない冷たい反応しか示していない。

 妻とは1日でも早く離婚したい。船山については、彼女が18の誕生日を迎える12月以降は経済的な援助しない。成人を迎えるのだから独立して一人で生きていってほしい、と。

 その背景には、不倫相手の女性の意向が強く働いているようだ。

 小さな子供もいて、経済的余裕もないから、無い袖は振れない、とも。

 船山の大学進学用に積み立てていた銀行口座は自由に使っていいとは言っていたが、それが手切れ金代わりとも受け取れた。

 もっとも、その口座の金は船山の母親が使い込んでいて、3桁の金額しか通帳に記されていない。


 その母親の方は深刻な事態に陥っていた。

 彼女の不倫相手はすでに姿をくらませていて、その影響もあってか、非常に情緒不安定な状態にあるらしい。特に、船山への執着が強いらしく、民生委員の祖母の友人からも、


「家にしばらく近づかない方が良いかもしれない」


と言われたほど。すでに、精神科に掛かっていて、入院も検討されている。


 とりあえず、母親が病院に行く時間を教えてもらい、その留守の間に、私の母と祖母が船山と一緒に彼女の衣類などを持って帰ってきた。


 当然、そんな状況では、状況が進展するわけがない。


 では、別の分野、つまり、高校3年生である船山の今後の進路はどうなのか。

 こちらも足踏み状態なのだ。


 親からの支援が絶たれた場合の選択肢は、まずは、就職して経済的に自立するのを目指すことになる。

 ところが、私たちが通う高校は、高卒での就職の支援レベルが低いことで非常に有名である。就職3年以内の離職率が県内の高校ワーストの常連で、高卒就職を目指している生徒の間では「ここの高校には通うな」が通り文句になっているほど。

 逆に、大学への進学には強いから、進学希望の生徒は集まってくる。

 私の場合は、進学志望と家から近いことが決め手だった。船山も大学進学を最初から目指していた。


 加えて、現在の県内の雇用状況が悪い。特に、私たちが住む市内は最悪レベル。

 理由は市内に日本を代表する製造業の会社の大工場があったのが、去年閉鎖されたから。


『結村工場閉鎖 正社員150人配置転換 非正規480人は未定』


 家で取っている地元の新聞の一面トップに踊っていた見出し。

 初めて見た時は、その深刻さを理解できなかったが、


「A組の田村、高校辞めるって。工場で働いている親父さんが中国の工場への転勤を告げられたせいらしい」


「C組の太山も、工場閉鎖の影響を被ってしまうらしいぜ。あいつも親父さんが働いているからな」


「一番近い転勤先が200キロ先の工場らしいぞ」


「げ! 遠っ!」


「A組の多嶋はお母さんがパートで働いていたのを辞めるらしい。爺さんの介護があるからって」


 高校のクラスで同級生がそんな話をしていたのを小耳に挟んでしまうと、大変なことが起きていると感じた。


 家でも、兄が、


「社長とか偉い人たちが真剣な顔して相談してんだよな。昨日も会議室に籠って、なんか話してた」


と零すのを聞いた父も、


「工場閉鎖の影響がデカいよな。あそこに出入りしている業者だけでも数多いだろ。そのほとんどが売上減らすだろう」


 次いで、母と祖母も口にする。


「工場で働いていた人たちをお客にしている居酒屋なんかの飲食店も大変でしょうね」


「三丁目にある定食屋の田上さんは店を閉めるらしいよ。年のこともあるらしいけど、お客さんがこれから見込めないからだって」


 幸い、我が家では他人事のように話すことができた。

 父の勤め先は工場を閉鎖した企業とは全く畑違いで、少なくとも私が知っている限りでは、影響がない。

 兄も今は新米として蚊帳の外に置かれているが、社長さんたちがこれから上手く舵取りしていく。

 母が不景気のあおりでパート先から勤務時間の短縮を求められる程度だった。


 数年後には好転するのだが、今は冬の季節を迎えている。


 だから、高校に来ている求人票は例年にも増して数が少ない。バイト事情も厳しい。

 おまけに、船山が深夜の繁華街に一人でいたことを教師の中に問題視するのがいて、高校からの支援はほとんどない状況にある。違う高校に通っていた兄の恩師に相談しても、色よい返事は得られなかった。

 高月なんかは、高校の対応に対して露骨に文句を言っているが、こればかりはどうしようもない。


 結局、船山が出来ることは、高校に通う以外は、私の家の家事を手伝うか、私の横で一緒に勉強をするか、その2つぐらいしかない。お金もないから、友達と放課後どこかに出かけるのもままならない。


 立場が定まらない、宙ぶらりん。


 彼女のメンタル面にも悪い影響が出始めている。


 ある朝、私がトイレに行こうとしたら、ちょうど船山が出てきたところで、


 ――あ、ニアミスした。


 と思ったのだが、可笑しなことに気付いた。

 船山が出てきたばかりなのに、トイレの水が流れる音が聞こえない。それともう1つ。彼女の顔色が真っ青で、足取りもふらついていること。


「おい、大丈夫か?」


 慌てて駆け寄って声を掛けるが、口を開くのも億劫おっくうな様子。船山の身体を支える。

 ふと、トイレの方を見ると、便器の中が真っ赤に染まっていて、ギョッとした。


 慌てて、母と祖母を呼んだ。駆け付けた二人は、船山の様子とトイレの状態を見て、すぐに察したようだった。


 私から船山を引き取り、居間に連れていく一方で、私にはトイレの片付けを指示した。


 結局、その日は船山は高校を休んで、病院に行った。

 薬も処方してもらっていた。リビングのテーブルに無造作に置かれていた薬情報の紙を見たら、低用量ピルは先日の出血のためと考えたが、他にも精神安定剤や睡眠薬もあった。


 加えて、特にここ最近は、船山が私の側にいることが多い。それを、彼女が私に気があるからだ、と能天気に言えたらまだ良い。


 ――ライナスの毛布のような扱いになっているのではないか。


 と私は見ている。ただ、他人の心理を見抜くのが非常に苦手だから、確かではないが。


 「操作アプリ」の力で、それを信じるなら、船山のメンタルはこれ以上悪い状態にはならない、はず。

 アプリで時々彼女のステータスを確認すると、MNDはCとC-マイナスを行ったり来たりで、C-マイナスの時間が多くなりつつある。

 もっとも、現時点で、アプリの力がどの程度働いているのかを知ることは不可能。下限をC-マイナスにする設定を外すのも、アプリの使用履歴にC-マイナスより下になった時にアプリが自動で対処した記録が残らないから、出来ない。


 つまり、ある時言われた、


「あんたがうまく支えてあげなさいよ」


の祖母の言葉に従うしかない。祖母の意味深な笑みも気になる。


 とは言え、「うまく支える」とはどうすればいいのか。

 28年の人生経験でも全く分からない。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る