5 彼女を連れ帰る
唐突だが、28歳から18歳に戻って戸惑ったことの1つにファッションがある。会社に入った時に、指導係になった先輩から叩き込まれた。
「清潔感があるのは大前提だ。古い
「ほどほどに流行を押さえた格好を心掛けろ。ファッション雑誌を買うのも良い。スローファッションのブランドの新製品をチェックするのも良い」
「相手に好印象を与えられたら、こっちのもんだ。自分の服装で、8割、仕事の結果が決まると心得ろ」
仕事がバリバリできる先輩で、その人の真似ばかりしていた。
そうしたら、1年後、
「俺の真似ばかりするな」
と放り出された。それからは、自分なりに試行錯誤を繰り返したが、結局、先輩の言っていた通りの形に落ち着いた。ちなみに、その先輩は同業他社にヘッドハンティングされた。
仕事の結果は8割方第一印象で決まる。
その第一印象は自分の格好で決まる。
結局、どんなにいい話であっても、印象が悪ければ、話は通らない。
これが私に叩き込まれた教訓だ。もっとも、その結論に至るまで不器用だから結構時間がかかった。
そして、18歳に戻って、自分の私服を見た時、感じたことが、
――ダサい。
女性ファッションと比べて、男性物の変化は緩やかだが、それでも10年の時間を遡ると、服が古く、野暮ったく感じてしまう。
――おい! これって小学6年の時、着ていた服じゃないか。成長期通り越しているだろ。なんでこんな服着ているんだよ、俺!
なんていう物まであった。
全部処分して買い直す衝動にかられたが、財布事情がそれを許さない。仕方なく、古い物からいくつか処分して、新しく買い直した。
それでも、デザインが少し古く感じた。
おまけに、
「あれ? 康太、彼女でもできたの?」
母から言われ、否定すれば、
「出来るといいね~」
ニヤニヤしながら言われた。まるで、彼女が欲しいから服を買ったと下心があるかのように。
それでも、船山を家に連れ帰るタクシーの中で、
「お
言われた時には、少し鼻高。
それは、彼女に「今日は何していたのか」と聞かれた話の流れだった。
会話が無い空間に耐えられなかったのだろうか。
向こうから話を振ってきた。
後から思えば、私の方が会話を弾ませるべきだった。
この時の私は、この後どうやって家にいる母と祖母を説得しようかと考えていた。船山には楽観論を話したが、否定される可能性もあった。
もっとも、話しかけられたことで、説得の算段は彼方に飛んでしまったのだが。
「ねえ、今日、デートだったの?」
「誰と誰の?」
「倉野と誰かの」
「まさか。今日は一日予備校で模擬テスト。だけど、なんで?」
「お洒落に服を決めているから、デートだったのかな、って」
と。他にも、単身赴任中の父は、次いつ自宅に帰って来るのか、母はどこでパートをしているのか、祖母は月曜はどこのサークルに参加していて、他にも習い事をしているとか、兄はどこの会社に勤めているのか、私の高校卒業後の進路希望、など、タクシーの車内で色々話をした。
彼女から聞いてきたこともあったり、私から話したこともあった。
私の家がどんな家なのか、彼女が抱いている懸念が少しでも薄くなるように。
私の家に着いて、タクシー代でペラペラに軽くなった財布に内心涙しながら、玄関を開けた。
「おかえり、康太。早かっ……て、あら? あらあらあら」
リビングから顔を出した母が、私の後ろに視線をやると、顔が「ニマー」という表情にみるみるうちに変わっていって、
「母さーん、康太が女の子を連れて帰ってきたー。しかも、とびきり綺麗な女の子! きゃー! 手まで繋いでるー!」
その大声は、開けたままの玄関の扉を越えて、隣家まで届きそうだった。
思わず、片手を顔に当てて天を仰ぎ見た。
左手は船山の手を握っているから、右手で。
結局、タクシー代を支払う時に一度繋いでいた手を放したが、タクシーから降りると、直ぐに彼女の方から手を繋いできた。
彼女の不安な心を案じて、無言で握り返したのだが、こうまであからさまに母から言われるのは想定外だった。
いや、兄が恋人を連れてきた時も、同じテンションだったから、想定が足りなかったのは私の方か。
からかおうとする母をあしらいながら、船山に家に上がるように促す。
それでも、母は私に絡んでくる。
「連れてくるのが女の子なら、最初に言いなさい。てっきり、男の子を連れてくると思ったじゃない」
「女の子を連れてくるってわかっていたら、母さん、もっとちゃんとしたおもてなしの準備をしたのに」
「いつ、どこで、こんな綺麗な子を捕まえたのよ?」
「もしかして、今日のテスト、すっぽかして、この子とデートしていたの?」
「最近、服に気を遣うようになったのは、この子のため?」
などなど。
そんな私を尻目に、船山は祖母が落ち着いて家の中にエスコートしていった。
と言うよりも、祖母はテンションマックスの母に対して私を
それでいて、しっかりターゲットを確保している。
母ほどではないが祖母も浮かれている。兄が恋人を連れてきた時と同じように。
結局、母のテンションが落ち着くのに1時間ほどかかった。
当然のことながら、用意されていた夕食は完全に冷めていた。
その間に、祖母は船山から彼女の事情を聴きだして、私の家での長期滞在許可まで出していた。母は、最初から、女の子が家にいることには諸手を挙げて大賛成だった。加えて、船山の事情を聴いた時は、同情して大号泣した。
船山の家出の原因は、一言で言えば、両親のダブル不倫。
彼女の家も父親が単身赴任していて、家には船山とその母親の二人だけで住んでいた。そこに母親が不倫相手の男を連れ込んだ。
この辺りは、私の母も船山の母親と同じパート先で働いているため知っていた。船山自身のことまでは知らなかったが。不倫相手は同じ職場の男とのこと。
最初は、船山も自分の母の行動に嫌悪感を抱きながらも、父親には黙って、我慢していた。
だが、次第に、不倫相手の男が船山にも手を出そうとし始めた。
それを母親は見て見ぬふりをした。アルコールが入っている時は、男の行動を煽るような言葉さえ口にしたらしい。
家にいられなくなって、飛び出し、父親に助けを求めた。
そうしたら、父親は父親で、単身赴任先で不倫をしていて、おまけにその相手との間に子供まで生まれていた。
冷たく断られたそうだ。
父方の親戚は、祖父母も含めて、船山が生まれた時から、皆疎遠で詳しい住所すら知らない。母方のも祖父母が他界した後は疎遠になっている、と。
結局、助けを求められる相手が一人もおらず、友人たちからの助けの手には遠慮してしまい、あてどもない日々を過ごしていた。
友人たちの親の中には、
「家にいてもいいよ」
と言ってくれる人もいた。けれど、彼らはそれ以上のこと、船山の両親と話をしたりとか、はしなかった。
そう何日も居続けることは出来なかった。
彼女の良心もそうだが、滞在した家の人たちの目が次第にきつくなってきたから。
中には、リップサービスで口にした人もいて、
「本当に居座るとは思わなかった」
と直接言われたこともあったそうだ。
だから、
「倉野の家でもそうなると思っていた」
船山がそんなことを口にしたのは後日の話。
我が家は違った。
翌日から、祖母と母が動き出した。
まずは、祖母のサークル仲間の一人に連絡を取った。船山が住む地区の民生委員をしている。その人に、船山の自宅に事情を見に行ってもらった。
次いで、母の大学の同級生で、市の福祉事務所に勤めている人にも。
祖母の別のサークル仲間の人の息子が、警察署の生活安全課で課長をしているということで、そこにも話を通して。
祖母と母の勢いに圧倒されて、私は船山と一緒に目をクルクルさせるばかりだった。ただ、船山が抱えている事態が良い方向に転がりだした予感はした。
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