7 からわれている……?

 船山が私の側にいることを望んでいるのならば、いやすいようにすることにした。

 家では自分の部屋に籠らずに、リビングで勉強するようにしたり。

 どこかに外出する時は、行先をはっきり示すようにしたり。

 高校ではあまりうろうろしないで、教室にとどまるようにしたり。


 そうしたわけでもないだろうが、休み時間の度に彼女は私の教室に来るようになった。と言っても、私に話しかけてくるわけではない。


「「京子高月、来たよー」」


 同じクラスの柏木三奈と一緒に来て、私の隣席の高月と3人でダベっているだけ。

 それまでは船山たちのクラスで集まっていたのが場所を変えた形だ。

 柏木がいなくて高月と二人でだべることもあれば、高月もいない時は高月の席に座って自分のスマホを弄っていることもあった。


 その彼女は私との距離の取り方が上手い、と感じている。

 私に余裕が無い時はあまり近寄らず、余裕がある時は近づいてくる。

 じわじわとパーソナルスペースが浸食されているのだが、上手い具合に慣らされていて、不快に感じない。

 例えば、自宅などで彼女が私の横に座る時、初めは最低でも握りこぶし3つ分は距離があった。それが、いつの間にか、こぶし2つ分に縮まり、今では1つあるかないかになった。

 逆に、私が彼女の横に座る時には、今でも最低握りこぶし3つ分は距離を置いている。そうするように心がけている。

 が、気付くと、距離が近くなっている。彼女の方が寄ってくるのだ。


 こうやって、同じ屋根の下に暮らす日々が続けば、情も湧けば、好意も抱く。

 ただ、それはLoveではなくLikeだ。そうするように心がけている。


「ねえ、倉野って、女に興味が無いの?」


 ある時、高月に聞かれた。船山を抜いた柏木と二人でいるのは珍しいパターン。

 ちなみに、柏木は10年後の同窓会には参加していなかった。関西の女子大を卒業した後、順調にキャリアを重ね、その時は外資系企業に勤めていて、世界中を飛び回っている、と高月から聞いた。


 だが、彼女の質問の意図が分からない。

 そのままさらに、畳みかけてくる高月と柏木に面食らう。


「だってさ、高校の間に倉野の恋愛話、聞いたことが無いから」


「もしかして、同年代には興味が無くて、年下か年上しか興味が無いとか」


「三次元には興味が無くて、二次元だけとか」


「女の子ではなくて、男に興味があるとか。あ! それでも大丈夫。変な目で見たりしないし、内緒にするから」


「「ねえ、どうなの?」」


 ようやく一区切りがついたから、一呼吸おいて、口を開いた。


「あー……普通に女の子には興味があるが。もちろん三次元だ。が、どうして、そんなことを聞いて来るんだ?」


「だって、華鈴と同棲どうせいしていて、何もないって信じられないもの」


 「何もない」。つまり、ラッキースケベはしないように、これでも気を使っている。

 トイレに入る時は必ずノックをしたり。船山が風呂に入っている間は自分の部屋から出ないようにしたり。エトセトラ。

 ちなみに、私の兄がこれラッキースケベをやらかした。

 再び家に戻ってきた時だったのだが、即座に、母から追い出された。船山がいる間は「家に帰って来るな!」とも言い渡されて。

 同時に、母は同じく帰ってきていた父にも太い釘を刺していた。

 閑話休題。


「同棲って、私の親も祖母もいるんだが」


「だけど、手は出していないでしょ」


「あのな、同じ屋根の下に住んでいるだけだぞ」


「えー、私が男だったら絶対に手を出すのに」


「三奈は女の今でも手を出すでしょ」


「いやいや、あの時の華鈴には手を出さないわよ、流石に」


「まあ、そうよねー。実際、どんな手品を使ったの?」


 高月と柏木、二人で勝手にやり取りしていたのが、こちらに再び矛先が向いてきた。それまでのはからかい混じりだったのが、今は純粋な真剣さのみの矛先だった。


「手品って?」


「華鈴のこと。倉野の家に行くまでは、すんごい不安定だったのよ。ちょっとしたことで、泣いたり、変な笑いをしたり、怒ったり。感情の浮き沈みが激しくて、見ていられなかった。それが、最近は普通に笑顔を浮かべて、普通に過ごせているの。どんな手品を使ったの?」


 心当たりがない。


「家では、確かに情緒不安定なところをたまに見せているが。泣いたり、怒ったり、と。だけど、特別なことはしていないぞ」


 うざったいと感じてしまうこともあるが、船山の置かれている状況を考えれば、彼女の様子も理解できる。病院で処方された薬を飲み始めてからは、不安定な時が減ったような気がする。

 しかし、先日、自身の母親と電話で話した後の、船山の様子は特にひどかった。


「じゃあ、特別じゃないことって、何しているの?」


「何も?」


「何もしていることは無いでしょ。その時、倉野はどうしているの?」


「普通に彼女の側にいるだけだが」


「怒っている時も?」


 頷く。


「泣いている時も?」


 頷く。

 こちらの反応に、高月は期待していた答えが得られず、不満そうだった。

 対して、柏木は、


「じゃあ、その時、ボディタッチは何もなかったの?」


「ボディタッチ?」


「そう。何もなかった?」


 記憶をサルベージするために、視線を高月たちから外す。


「……そういえば、船山が泣いている時になだめようと、頭をポンポンと撫でたことがあったな」


「「ほうほう。他には?」」


「……他には……、手を伸ばしてきた時があったから、握り返したり……って、近いわ、二人とも!」


 すぐ近くまで二人が迫っているのに気が付いて、驚いた。

 私の言葉で前のめりになっていた身体を引いた二人は顔を見合わせて、


「「いやいやいや。ねー」」


 声をハモらせる二人の姿は、正直言って、気持ち悪かった。


「……だったら、話を戻すけどさ。なんで倉野は彼女を作らないの?」


 まだ顔をニヤつかせている高月からの問いかけに、少し考える。


 自分の時間が取れなくなる。距離感のとり方が分からない。デートに金がかかる。エトセトラ。

 一言で言えば「面倒臭い」。

 これを正直に言うと、彼女たちからボロクソに言われるから口にしない。

 これは28年の私の人生でほぼ一貫した考えだが、例外が一度だけ。

 彼女が出来た時がある。大学生の時、先輩にそそのかされて、合コンの酒の勢いで告ったら、OKをもらえた。それまでは、面倒臭いと言っていたのだが、手のひらを返して舞い上がった。


 ――我が人生最高の時。


 と思った。

 しかし、3か月後に地獄に叩き落された。

 彼女にしてみれば、私は「6人目、兼、財布」だった。

 その3か月は今でも黒歴史。


 その後、地獄に落とされた憂さ晴らしで、童貞を捨てようと思い立った。風俗店に行ったのだが、行為を始めようとしたその瞬間に、ふと、


 ――なんでこんなところにいるんだろう?


 という疑問が頭をよぎってしまった。

 そうすると、何が起こったというと、勃たなくなった。女の子の前で。

 その時は、


「いいの、いいの。そんなこともあるよ」


と女の子に慰めてもらい、時間一杯、私を「6人目、兼、財布」とした女の愚痴を聞いてもらった。

 それで少し気持ちは晴れやかになったが、男としては最悪のトラウマだった。


 これらも含めて、この年は女難の年であった。

 黒歴史以外では、まず、バイト仲間の女の子の大失敗をなぜか私が尻拭いする羽目になった。しかも、その子は失敗をほったらかしにしたまま、バイトに来なくなった。もちろん、尻拭いした礼の一言も言われていない。

 それから、客で来た変なおばさんに絡まれ続けた。最初は些細なことだったのが、絡まれるうちにエスカレートして、モンスターと化したため、私もそのバイトを止めることになった。

 私の対応に問題があったかどうかは、もう考えない。


 結果、私のポリシーは元に戻った。


 それらをひっくるめて、こう言いつくろうことにする。


「……まあ、相手がいないから」


 それに余裕もない。

 船山のこともあるが、今の私にとって最重要は大学受験。

 先日の模擬テストで第1志望の地元国立大学の合格判定はA判定を取ることが出来た。ただ、ギリギリのA判定だったから安全圏はまだ遠い。


 ――2度目は地元に残りたい。


 その気持ちが強い。

 1度目は、東京に行ってもいいか、と軽く考えていた。東京への憧れだ。

 それも「東京の大学、東京での就職」は1度体験したから、もう十分。

 地元なら、気心の知れた友人たちが多くいるが、東京は一人だ。物価も高い。

 遊ぶところ、話題になっているところは数多くあるが、地元からでも行こうと思えば行ける。

 就職先も、今は氷河期で極端な買い手市場だが、大学を卒業する4年後には、逆の状態、引く手数多になる。今でも東京での就活はキツイが、地元ではもっとキツイ。それが地方でも選り取り見取りな状態になる。


 そのタイミングで、なぜ、1度目は地元に戻らなかったのか。

 理由はただ1つ。戻りたくなかったから。


 大学在学中に祖母が死んだ。

 ちょっとした骨折が切欠で、急に衰えてしまった。

 その年の正月に戻った時は元気ハツラツだったのに、夏休みに戻ったら寝たきりになっていた。

 その後、介護施設に入所したが、年を越す前にあの世に旅立った。

 原因は施設側のミス。

 スタッフが祖母を介護している時に「床に落としてしまった」らしい。

 しかも、そのまま手当ても何もせず、放置。

 翌朝、たまたま営業先が近くだった兄が様子を見に行ったことで、異変に気付いた。病院に緊急搬送されたが手遅れだった。


 私は何も出来なかった。

 むしろ、足を引っ張ったと悔いた。

 予定外に学費の高い東京の私立大学に進学したことで、家に経済的負担をかけた。それが無ければ、祖母はもっと質の高い施設に入れたのではないか、と。

 地元に残っていれば、祖母の介護を手伝うことが出来て、施設への入所を避けることが出来たのではないか、と。


 祖母の葬儀の後、4年ほど、家に帰らなかった。

 最後は、上京した母と兄に、文字通り、首根っこ掴まれて連れて帰られた。


 だから、今度こそは、と意気込んでいる。

 これに、船山のことも、大人たちに丸投げしてしまっているが、抱えている。


 ――もう、私のキャパは一杯一杯だ。


「船山に告ればいいじゃん」


「そうそう。今だったら簡単に落ちるぞ」


「いや、船山は告白されてもイエスと言える状況にはないだろ、今」


 二人があおってくるのを「無責任」と感じる。

 が、表に出さない。出したら、反感を買うに決まっているから。


「そんなこと言っているから、倉野は彼女が出来ないんだよ」


「いつやるんだ? 今でしょ!」


 また身を乗り出してきた二人から逃げるように、身を反らして視線も逸らす。

 が、これが良くなかったのか?


「あ! 私たちが無責任なこと言っていると思っているでしょ」


 柏木の言葉に、高月もジト目で睨んでくる。


「そんなことないぞ」


「じゃあ、何を考えていたの?」


「……船山に釣り合えるほど格好良くないだろ」


 ジト目で追及してくる二人から逃げるために、なんとか答えを絞り出す。

 その答えに満足したのかは分からないが、高月が頷いて言葉を返してきた。


「まあ、確かに少し前の倉野だったら釣り合わなかったかもね。格好良い悪いという訳ではなくて、性格の不一致?」


「と言うよりも、『ザ・モブ』って感じだったからね」


「ちょっと、三奈。せっかくフォローしているのに台無しにしないでよ」


「いいじゃん、本当のことなんだから」


 明け透けな二人のやり取りに苦笑いしか浮かばない。

 だが、続く言葉にドキッとしてしまう。


「だけど、最近は落ち着きが出てきたのかな? 今のだって、私たちの会話を聞いて、何も悪い反応していないもの。なにか、年下の妹のように見られている感じ? 同年代ぽくなくて、年上と話しているような気がする時があるんだよね」


「親戚のお兄ちゃんとか?」


「そうそう」


 柏木と高月は明るく笑っているが、こちらは全く笑えない。

 彼女たちの観察力が良いのか、私の演技力がド下手なのか。

 確実に後者だろう。最近は、10年遡ったことを取り繕うのを忘れていたから。


「もっとも、華鈴にとってはそれだけじゃないものね。ね、『白馬の王子様』」


「わ、王子様って柄じゃないでしょ、倉野は」


「じゃあ、なんて言えばいいのよ?」


「うーん……やっぱり王子様? ダメ、可笑しすぎる!」


「でしょ。やっぱり『王子様』」


「ダメ! 三奈が言うとシャレにならない。私を笑い殺す気!」


 笑い転げている高月が言っているのは、柏木に原因がある。

 と言うのも、この高校での「元祖・王子様」が柏木だから。

 その長身とハスキーな声で女子生徒から根強い人気を集めている。特に、1年生の時の高校の文化祭で男装したのをきっかけに、人気が沸騰した。

 以降、毎年、文化祭では男装した彼女が一種の名物キャラと化している。終了後には女子生徒からのラブレターが大量に送られて、他校からのも含まれている、とか。


 そんな柏木がわざと普段より低い声で「王子様」と言い始めたのが、高月の笑いのツボにはまった、ようだ。


 私も、笑いのツボにはまりそうなのだが、どうして「王子様」と言い始めたのか分からなくて、今度も笑えないでいる。


「意味が分からないって顔をしているね」


 柏木からの問いかけに頷く。

 その表情はすました顔のままだが、目に浮かんでいた茶目っ気は無くなっている。そして、低い声のまま、気取った口調で言葉を紡ぐ。


「助けを求めている時に手を差し伸べる。それを『王子様』と呼ばずに何て呼ぶ? 寒くて暗い夜に一人でいた時に、温かいご飯と眠る場所を提供する。それもすぐに出ていく必要が無い安全で安心できる場所。自分の手に負えない難題に切り込む勇気。希望の見えない暗闇の中に差し込む一筋の光。本物の王子様だよ。少なくとも、華鈴にとっては」


 面映ゆい。

 過大評価だと否定したくなるが、柏木の真剣な眼差しに口を開くことが出来ない。笑いが収まった高月も柏木の言葉に頷いている。


「だから、ここでぎゅっと抱きしめるのさ。そうしたら、華鈴は落ちる。もうこれでもかと言うほどデレル、絶対に。デレタ華鈴を私たちに見せてくれ、倉野。そうしたら、二人がかりで思いっきりからかってやるから」


 さっきとは一転、呆れてしまう。しかも、2つの意味で。

 1つは完全に自分の欲求を露にしていること。もう1つは……。


「三~~奈~~」


 柏木の背後から船山が彼女の肩を掴んだ。

 さっきまでの柏木の低音とは、また別の意味での低い声を出しながら。

 高月は、ちゃっかり他人の振りをして、自分に被害が及ばないように距離を取っている。


 本人を前にしてあのようなことを言える柏木の勇気は、評価し……出来ないな。


「あんた、何ふざけたこと言ってんのよ!」


「痛い! 痛いって、華鈴!」


「痛くなるようにしているから、痛くて当然よ。さあ、何を吹き込んだのか全部話してくれるよねー」


「話す! 話すから手を放して」


「イ・ヤ!」


 始業のチャイムが鳴った。


 結局、この後、私が船山を抱きしめるようなことは無かった。


 「ヘタレ」と言うな。

 数日後に、高月と柏木の二人から散々「ヘタレ」呼ばわりされるのだから。




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