4 1度目の18歳の時とは違うこと

>>帰りに牛乳を買ってきてちょうだい


 母から送られてきたメールだった。


 私がSNS断ちをしてからは、ショートメールで連絡が来るようになった。このように頼まれるのは母か祖母からだけだから、ショートメールで事足りる。


 母と祖母の他に家族は父と兄がいるが、二人とも家を出ている。

 父は大阪に単身赴任中で、前回は来年赴任先から戻ってきた。

 兄は今年大学を卒業して、市内の会社に入り、その社員寮に住んでいる。


 だから、家族間でSNSを使ったやり取りをする際には、母か祖母のスマホを見させてもらっている。それで事足りる。閑話休題。


 この日は、予備校で大学受験を想定した模擬テスト。

 朝から昼食を挟んで夜まで丸一日、頭をフル回転させた。疲れはしたものの、十分な手応えを感じ取れていたから、心地よいものだった。


 アプリで付けた[記憶力:B]が特に暗記系の分野で力を発揮した。

 数学は公式と問題の解き方をどの程度頭の中にストックできているかで、決まる。出された問題に、ストックから取り出した解き方を当てはめるだけだから。当てはめるために、ある程度のセンスは必要だけど、場数を踏めば何とかなる。

 当然、例外はあるし、大学でも数学をやろうとしたら全く別のアプローチが必要だが、大学受験で合格できる位のレベルなら、何とかなる。そのように私は考えている。

 英語は文法と語彙力さえあれば、どうにかなる。

 国語も古文はもろに暗記系で、理科、社会の類は言わずもがな。記述系の問題だってキーワードが頭に無いと話にならない。


 テストの結果は、もちろん、まだ帰ってきていない。それでも、


 ――真っ暗だった大学受験の道筋にようやく一筋の光が見えてきた。


 そんな感じがした。


 ただ、この時のテストは1度目の18歳の時と違うところがあった。

 母からお遣いを頼まれたかどうかは覚えていないが、テスト会場が駅前にある予備校ではなかったこと。駅前から路地に入ったビルの会議室に設置された第2会場になっていた。

 申し込みをしたタイミングが違ったせいだろうか。予備校の会場ならばいたはずの知り合いがこちらでは一人もいなかった。


 だから、一人、テストが終わった後、停めた自転車を回収するために駅前の駐輪場まで、普段とは違う道を歩く。居酒屋から出てくる酔っぱらいに絡まれないように、土曜日でもまだ夜の早い時間帯だからそうそういないが、注意しながら。


 吹く風が冷たい。


 あと1ブロック進めば歓楽街に入る場所で、コンビニを見つけた。家に帰れば夕食が用意されているから、小腹を満たすのと、お遣いを果たすために、店に入ることにした。


 ちょうどお水系のお姉さんがコンビニの中から出てきたため、脇によける。


 すると、入口の脇で座り込んでいた女の子に見覚えがあることに気付く。


「船山?」


 思わず声を掛けたが、顔を伏せていたため、半信半疑だった。

 声を掛けられた彼女が顔を上げ、私の方を向くと、確かに船山華鈴だった。


 ただ、目がうつろだった。

 会社の後輩で、仕事もプライベートも滅茶苦茶になったヤツの目に似ていた。結局、彼は会社を辞めて故郷に帰っていった。


「……倉野だっけ? A組の」


 虚ろな目の焦点が私にようやく合った。


「おう。どうしたんだ? こんなところに座り込んで」


 同学年という以外接点が無い彼女に予想外にも名前を憶えられていた。

 それは喜びで思わず気持ちを前のめりにさせた。


 けれど、ツイと視線を外されて、


「……ちょっとね」


 と暗い声音で返事が返ってきたことで、声を掛ける言葉の選択肢を間違えたのを感じ取った。


 とは言え、このまま彼女を放置して店に入るつもりもなかった。


「なあ、ここ、寒いだろ。温かい飲み物をおごるから、コンビニの中に入らないか? この店、イートインコーナーもあるし」


 10月も、日中は暖かくても、陽が沈むと風が急に冷たくなる。

 加えて、船山の服装が膝上丈のスカートで、外気にさらされた両足を抱え込むように座り込んでいる姿が、一層寒々しく感じた。


 彼女の反応は鈍かった。


 それでも、私は気にすることなく、「ほら」と声を掛けて腕を掴み、半ば無理やりコンビニの中に連れ込んだ。


 手を振り払われなかったことに、内心、ホッとした。


 そして、イートインコーナーの一角に座らせると、店内でパパッと物資を調達。

 出来るだけ早く船山の下に戻って、彼女の前にコーンポタージュを置き、自分用にホットコーヒーを。それから、摘まめるように買ったプチシューの袋を開いて、


「遠慮なく食べて」


 と言ってから、立ったまま早速1つ自分の口に放り込んだ。


 席に座る。

 店内の明るい場所で船山の様子を見ると、顔色は悪く、目は落ちくぼみ、疲労感がにじみ出ていた。着ている服もくたびれている。


 コーヒーをチビチビ飲みながら、会話のネタを探し始めたのだが、


「ねえ、コーヒー、ブラックで苦くないの?」


 私が話しあぐねているのを察したのか、船山の方から口を開いた。

 こういうところが、彼女の性格の良さなのか。あるいは、その察しの良さは、「INT:B」の能力の高さゆえだからだろうか。

 そんなことを頭の片隅で考えながら、


「全然。美味いよ」


 言外に「飲んでみる?」と含みながら返したら、変人を見る視線を返された。

 心外だ。


 確かに、この味の良さが分かったのは就職してからだった。それまでは砂糖とコーヒーフレッシュが必須だった。18歳に戻ってからも、この味覚は28歳のままだった。もっとも、大学生の時に食べられるようになったトマトは再び食べられなくなった。

 不思議だ。閑話休題。


 向うが一歩踏み出してきたなら、こちらも踏み出すことにしよう。

 地雷を踏むことを恐れていたら、何も始まらない。


「今晩、行く当てあるの?」


「……私が家出しているの、知っているんだ」


「高月から聞いた。彼女、いつも船山のことを心配しているよ」


「知ってる。何度も愚痴を聞いてもらったし、泊めてもらったこともある。だけど、何日もは居られない。知ってる? 京子の家は母子家庭で弟が二人もいる。三奈の家も1LDKの狭い家に家族5人で住んでいる」


 京子は高校の私のクラスで隣席の高月のこと。

 三奈は船山と同じB組の柏木三奈。

 高校ではいつも3人でつるんでいて、「親友」と私も含めて周りは認識している。彼女たちなら船山のことを受け入れるだろう。


 が、私も含めてみんな高校生だ。親の庇護下にある。

 これが「就職して独立した」となっていれば気兼ねしない。少し譲って「大学に通うために一人暮らしを始めた」でもまだいい。


 だが、高校生で親の庇護下ひごかにあると気兼ねするのだろう。


 誰が? 船山が。


 彼女が、図々しく太々しい性格なら、誰かの家に転がり込んでも、気にしないだろう。だが、


 ――彼女の性格が良いものなら、こういう時裏目に出そう。


 そう思ってしまう。


 こうやって誰かからの救いの手を取ることが出来ずに、前回10年前の彼女は沈んでいったのだろうか。


「それで、行く当てがない?」


 私の言葉にコクリと頷くと、


「泊めてもらえそうなところはあらかた泊めてもらった。お金ももうないし、コンビニの前で一晩時間をつぶそうかな、って思ってた」


 寂しそうに、吐き出すように、言うその言葉を聞いて、決めた。


 覚悟を決めた。


 高校生だから何もできない? それで自分に枷を付けるのは止めよう。


 誰も彼女に手を差しださないのなら、私が手を差しだそう。


「じゃあ、私の家に来ないか?」


 私の言葉に船山はあまり良い反応を返さなかった。


「意外と穴場じゃないかと、自分で言うのもなんだが、そう思う。と言うのも、私以外に男がいないんだ。父は単身赴任中で、連休とたまの週末以外に帰ってこない。兄も今年就職して社員寮に入って、帰ってこない。結果として、家には私と母と祖母の3人しかいない。母も祖母も『女の子が欲しい』が口癖だから、船山が来たら絶対に歓迎する」


 実際、兄が結婚相手を連れてきた時の二人の騒ぎようは大変なものだった。

 それは、来年の夏のお盆、家族が揃った時。兄が週末の休みの時も2か月後の正月も家に帰ってこないのは、そういうことだったりする。


 ただ、船山の反応は良い物を示さない。1つだけ、父が単身赴任と言った時だけ反応を示したが、違うものに対してのよう。その違うものが何かは分からないが。


「またすぐに出ていかないように頼み込む。どうだろう? とりあえず、高校を卒業するまで、で」


 それだけの時間があれば、船山も自分の家族と腹を割った話が出来るのではないだろうか。大学か専門学校に進むか、就職を目指してバイト生活を始めるか。

 少なくとも、高校生はかせが大きい。バイトも制限される。24時間営業している漫画喫茶やカラオケも、22時以降は滞在できない。だから、彼女は夜のコンビニの前で時間をつぶそうとしていたのだろう。

 高校中退の選択肢もあるが、高卒と中退では就職の選択肢が格段に違う。


 それでも船山は首を縦に振ってくれない。

 何か、他に問題があるのだろうか。「男の家になんか止まれない」と言われたら手も足も出ないのだが。


「……どうしてそこまでしれくれるの?」


「助けが必要な人がいて、助けることができるのなら、手を差し伸べるのが当然だろ」


 と答えたのだが、どうも彼女が求めていた答えではなかったらしい。

 反応がよくない。


「それとも、綺麗な女の子を助けるのは男の甲斐性だから、とでも言おうか」


「……っ。ちょっとオジサンみたいだよ」


 心外だ。

 自爆覚悟で、わざとおどけたようには言った。

 だけど、やはり「オジサン」は非常に心外だ。


 とはいえ、


 ――18歳から見れば、28はやはりオジサンか。


 そのことに気付いてしまい、凹む。


 それでも、一応、船山が少しだけでも笑ったから良しとする。強張った顔は向かい合うだけでも疲れる。


「本当に、どうして、そこまでしれくれるの?」


 ようやく気付いた。

 彼女が遠慮していることに。迷惑を掛けないか、と躊躇っていることに。


 だったら、その遠慮をブチ破る。


「助けるために理由が必要かい?」


 そう言って、私はスマホを取り出し、電話を掛けた。


「あ、母さん。家出して行く当てがない友達を見つけたんだけど、連れて帰っても良い?」


 即OKが帰ってきた。

 こういう時、決して、私の母は期待を裏切らない。


「ありがとう、母さん。今から連れて帰る」


 電話を切ると、残っていたコーヒーを一気に飲み干す。飲めると言っても、ブラックの一気飲みは苦い。


 それでも、気合が入った。


 さあ、勝負!


「なあ、本当に嫌だったら『嫌だ』と言ってくれ。立ち去ってもいい」


 椅子から立ち上がって、船山の手を取る。


「この手を振り払うでもいい」


 彼女の手を取ったが、それは私の手の上に乗っているだけ。

 少し動かすだけで、外れる。


「自分が我慢すればいい、なんてことは考えなくていい。迷惑なんて気にしなくていいんだ。もう1回言おう。助けるために理由が必要かい?」


 船山は私の手を握り返してきた。

 言葉は無い。おずおずとした弱弱しいものだ。

 だけど、それだけで十分。船山の手を力強く握り返す。


 彼女の手を握ったまま、私はコンビニの外に出る。


 路地を歩き、大通りに出る。


 駅前まで出て、自転車を押して家まで帰る?

 そんな悠長なことはやってられない。彼女の気が変わる前に連れ帰る。


 そのために一番早い選択肢。タクシーを捕まえる。


 船山は驚いていたが、気にしない。

 この辺りの高校生なら、まず滅多に使わないよな。

 自転車かバスか。迎えに来てくれた親の車か。


 まあ、今月の小遣いはこのタクシー代でパーッと消えてしまう、どころか足りないかもしれないが、これも気にしない。

 社会人の時の潤沢とは言えないけれど、今よりははるかに豊かな財布事情が恋しいとは思う。





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ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。

「面白かった」と感じてもらえたら、何よりの喜びです。

この後も楽しんでいただけると嬉しいです。

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