3 消える同級生

 「操作アプリ」は自分だけでなく、他人にも使える。

 アプリのチュートリアルによると誰に対しても出来るわけではない。必要なのは、相手の1年以内に撮った写真と、名前、年齢または生年月日。


 そうやって条件を揃えれば、中学からの同級生である常葉を10年後と同じように筋骨隆々の身体にすることも出来る。他の高校に進んだ桑原が悩んでいた天然パーマをストレートにしたり、隣席の高月の貧にゅ……。

 寒気がする。これ以上は止めにしよう。


 ただ、私以外に一人だけ操作した。

 本当は自分以外の誰かをするつもりは無かった。


 そのきっかけは、2日前に高月から聞かれたことだった。


「ねえ、華鈴……じゃ分からないか。3組の船山さんのこと、何か知らない?」


 船山華鈴。

 高校に入学した時から、誰もが認めるリア充で陽キャで美少女。

 それが、今では、美少女以外は全て過去形だ。


「何かって?」


「華鈴、最近、家にほとんど帰っていないの。だけど、私が聞いても詳しい事情を教えてくれなくて」


 私からの逆質問に、高月は声を潜めて返してきた。


「知っているも何も、船山さんと接点が無いんだが」


 高月は船山と1年の時にクラスが同じになって以来、仲良しだった。彼女と船山と同じクラスの柏木と3人でいつもつるんでいる。

 対して、こちらは、同学年以外の接点は全くなかった。高校3年間の間に、同じクラスになったこともない。

 ……あれ? 碌な会話を交わしたことすらないな。まあ、そんなものか。

 一応、誰であっても分け隔てなく接する優しい性格と聞いている。

 それを「外面が良いだけ」というヤツもいるが、そうであっても、相手を見て対応をくるりと変えるヤツよりは百倍マシ。それはさておいて、


「倉野のお母さん、華鈴のお母さんとパートの職場が一緒だって、聞いたから。そこから何か話を聞いていないかな?」


 これでようやく私に話を聞きに来た理由が分かった。

 このやり取りをした記憶もよみがえった。


 だから、違う答えを返すことも出来たが、過去の記憶の通りに返すことにした。

 母がこの類のことを家で話すことは全く無く、私の耳に噂話が漏れ聞こえてきたのはもう少し先のことである。

 だから、今の18歳の私が知っているのは可笑しいこと。


「悪い。何も聞いていない」


「……そう。何かあったら教えてね。華鈴の力になりたいの」


 私の返事に力なく肩を落とす高月に、少し心が痛んだ。


 ――だけど、赤の他人に何が出来る?

 ――おまけに、私たちはまだ親の庇護下にいる無力な18歳だ。


 船山の人生が明るく輝いていたのは高校2年までだった、のだと思う。

 10年後の同窓会の時には姿を現さなかった。

 もちろん、同窓会に全員が集まったわけではない。仕事や家庭や様々な事情で姿を現さなかった者も大勢いる。全く音信が取れない者もいた。

 それでも、


「あいつ、今、どうしている?」


 と誰かが口にしていたが、船山だけは誰も口にしなかった。


 彼女は高校に入学した時から話題の的だった。

 そのルックスの良さに加えて、明るくて社交的な性格は、彼女をスクールカーストのスターダムに一気に押し上げた。1学年上の先輩でサッカー部のエースと付き合い始めてからは「美男美女のカップル」と高校中から羨望せんぼうと嫉妬の的になった。


 そこから転落し始めたのは高校3年になってからだった。

 夏休み前に、船山が先輩と別れた噂が広まった。大学に進学した先輩がそこで新しい彼女を作った、と。

 その頃から、船山が高校に姿を現さない日が多くなり始めた。最初は、失恋の傷心によるものとされたが、カーストの順位は容赦なく落ちていった。


 悪い噂も立つようになった。


「夜、一人で繁華街を出歩ている」

「知らない大人の男性と歩いているのを見た」

「ラブホテルから出てくるのを見た」


 同級生ではそんな噂に耳を貸す者は多くなかったが、下の学年では様々な悪意ある噂が盛んに飛び交い始める。


 高月のように、何か手を貸すことができないか、と動いた人もいたけれど、3年生は受験と就職で手が回らなかった。


 気が付くと、船山は家庭の事情を理由に高校を自主退学をしていた。両親がダブル不倫をして家庭が崩壊した、という話が聞こえてきた。


 その後、東京に一人上京したと聞いていたが、3年後、彼女が出ているという無修正のアダルト動画が高校出身の男子を中心に出回った。在学中の彼女の人気の高さが、逆に、拡散する範囲を広げていた。

 私の所にも、その動画ファイルがアップされていた配信サイトのアドレスが回ってきた。


 面白半分興味半分で再生してみた。


 ――見なきゃよかった。


 と後悔した。

 イヤな予感がして、再生するスマホをミュートにしたが、それでもダメージは大きかった。


 確かに、映っていたのは船山のように見えた。

 容姿もそうだが、首筋のほくろが彼女のと同じだった。


 すぐに再生を止めて、ブラウザを閉じた。

 死んだ魚のように濁った彼女の眼が、耐えられなかった。

 生々しい手首の傷痕きずあとも辛かった。


 この頃には、同級生の間でも、彼女のことを悪く言う話が上がるようになっていた。私は東京に進学して地元を離れていたから、あまり耳に入っては来なかったが、地元では誰もが知るレベルで話が広がっていた。


 その後のことは、私は知らない。

 全ては根も葉もない噂で、実はどこかで幸せに暮らしていた、かもしれない。

 ただ、28歳の頃には彼女のことが私たちの間でアンタッチャブルな存在になっていたことは確かだった。


 だから、18歳まで時を遡って、高月に船山のことを聞かれた時、自分を止めることが出来なかった。


 登録に必要な写真は、高校の修学旅行の記念写真を使った。


  STR:C VIT:C AGI:C DEX:C INT:B MND:D-マイナス


 これがアプリに表示された船山華鈴の能力。

 身体データで彼女のスリーサイズまで知ることが出来たが、マナーとして見なかったことにした。


 「操作アプリ」に登録しても、


 ――では、どうすれば彼女を助けることが出来るか。


 にまでは考えが至らなかった。

 RPGゲームのように、毒とか混乱とか状態異常を示す項目はアプリにはない。


 とりあえず、MNDをCに引き上げる。

 それが、どんな効果を及ぼすかは分からなかった。


 この後も、何度か、MNDがDになっていることがあったため、その度にCに戻しておいた。


 一度だけ、Eになっていることがあった。

 それで、Cに戻したうえで、C-マイナスを下限にして、それ以上下回らないようにした。

 そんな機能までアプリにはあった。


 おまけに、アプリでどんな操作をしたのかを記録する「履歴機能」もあった。

 それによると、船山への操作のタイミングは段々と間隔が短くなっていた。


 ――彼女に誰かが救いの手を差し伸べ、彼女がその手を取ることが出来るように。


 と祈ることしか私にはできなかった。


 それが、10月も半ばを回った頃だった。


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