2 時を遡って1週間経過
28歳から18歳まで10年の時間を
遡ったことは誰にも言っていない。
言えるか? 「自分は28歳の倉野康太だ」って。
馬鹿にされるか、気が狂ったかと思われるか、精々その二択だろう。
これが赤の他人に成り代わっていたら、また別の選択肢も浮かぶ。
だが、そのまま押し通すことにした。28歳の倉野康太も自分なら、18歳の倉野康太も自分だから。
おそらく、家族は薄々気づいているのかもしれない。それでも何も言われていないのは、放っておかれているのか、証拠が無いため言い出しかねているのか。
どちらかは分からない。
それでも、家に帰宅した時に、私が21歳の時に亡くなった祖母に、
「おかえり」
と言ってもらえた瞬間は泣きたくなるほどうれしかった。その時だけは、私を18歳に遡らせたあの存在に素直に「感謝しよう」と思った。
なお、彼らを脅した今後10年間の出来事は書き出した。一杯一杯、記憶からサルベージした。
公に公開するつもりはないが、ズルをするつもりはある。
書き出すのに特に力を入れたのは、経済関連について。
日経平均株価や為替の大まかな流れ。話題になった企業や大学卒業後に勤めた会社と、その周辺の業界の動向、とか。
会社から帰宅した後、時間があれば趣味の映画を見ていたが、見る前に世間で何が起きているか調べるのが習慣だった。酒を飲まず、頭にアルコールが入っていなかったから、結構覚えている。
そして、高校を卒業してから、これらを使って、投資をしようと考えている。
得た利益は、前回ほとんどできなかった実家への仕送りにするつもりだ。
ただ、そうする前の、今、目の前のことが問題だ。
「倉野って、本当に人が変わったように、勉強するようになったなあ」
授業の休み時間の合間に、数学の問題を解いていたら声を掛けられた。
顔を上げると常葉正吾がいた。
中学からの友人だったが、大学進学で私が地元を離れてからは疎遠になっていた。10年後の同窓会では、高校までポッチャリさんだったのが真反対な筋肉ムキムキになっていて驚いた。
もちろん、今の彼の体型は、記憶の通り、ポッチャリだ。
そんな彼に言葉を返す。
「そりゃあ、この間の数学の小テストがヤバすぎたからな」
「何点だったんだ?」
「3点。しかも、それもお情けの部分点で、だ」
常葉の顔がドン引きになった。なお、テストは50点満点だった。
10年の月日は、頭の中から高校の教科書の中身を消し去っていた。数学の小テストを見た時、全く解き方が分からなかった。
テストが回収された時、答案はほとんど真っ白、頭は本当に真っ白だった。
英語は、10年後も仕事でそれなりに使っていたから、まだましだが、それでも高校英語との違いは埋めなければならない。
残りは全滅だ。
今度の大学受験は、本来は、地元の国立大学に失敗して、滑り止めに受けた東京の私立大学にだけ合格したのだが、このままでは、その唯一の合格さえ危うい。
今は9月。センター試験が行われる1月までもう僅かだ。
「それで背中に火が付いたのか」
「絶賛、大炎上中だ」
呆れた表情と納得の表情が常葉の顔に同居していた。
驚いていないのは、私が悪い点を取ったことを知っていたからだろう。テストの結果を、私は隠さずにむしろ積極的に広めていた。
そして、「こんなショックなことがあったので、私は心を入れ替え、勉強に励むことにした」としている。
本当のことだ。8割は。残り2割はカバーストーリー。
28歳の自分が18歳の自分になって、そのまま上手くボロを出さずにやっていけるとは思っていない。だが、このストーリーを使えば、
加えて、このストーリーを補強するために「SNS断ち」も宣言した。SNSにどっぷり浸かっていた18歳の自分なら思いつかない選択肢だ。
だからこそ、本気度を示したつもりだった。
が、こちらは予想外に不評で、
「そこまでやる必要はないんじゃないか」
などと友人達には言われた。
母からも、
「お遣いを頼みにくくなるじゃない」
と小言を言われた。
こちらは本気度を様子見されているようにも感じている。
それはさておき、
「週末、西高に行った桑原が遊ばないかと言って来たんだが――」
常葉の言葉を最後まで言わさずに、私は途中で遮った。
「悪い。そんな余裕は無いんだ」
桑原も常葉と同じ中学の同級生で、今は別の高校に通っている。18歳の自分なら、この誘いに乗っただろう。
「そっか。倉野がSNSを止めていたから、声を掛けたんだが。邪魔して悪かったな」
この言葉で思い出した。
桑原、常葉と他にも何人か中学の同級生と遊び歩いたことがあった。その時は、SNSで直接桑原から誘われたんだった。今回はこの流れになったのか。
「こっちこそ、折角誘ってくれたのに、断って、ごめん」
「良いんだ。勉強頑張れよ」
そう言って桑原は去っていった。彼の後姿を見ながら、
――これでよかったか。
――18歳らしくなかったのではないか。
と自分に問いかけてみるが、すでに終わった話だと割り切ることにする。
再び、数学の問題に取り掛かる。
集中していくと、教室に満ちている
この深い集中力は、実はズルをしている。
私を10年の時間を遡らせた存在から与えられた「操作アプリ」。これを使っている。
遡ったあの日、アプリを起動すると私のデータが表示された。
身長、体重、体脂肪、筋肉量、骨密度、そして、身体の各部位の長さ、太さや、内臓各部の状態、といった本人も知らない身体の詳細な情報。
さらに、RPGゲームのように、STR、VIT、AGI、DEX、INT、MNDをアルファベットのABCDEで表された私の能力。
アプリのチュートリアルによると、Cが設定した集団の平均値で、BとDがそれぞれ平均上位と下位、Aは集団の最上位クラスで、逆にEが最下位クラス。
これにプラスとマイナスを付けて、さらに細分化もできる。
母集団の設定も変えることができる。初期の設定では母集団が日本国内居住者にされていた。
STR、VIT、AGIは身体系の能力で、それぞれ筋力、持久力、敏捷力を示す。
仮に、STRをAにすると、ウェイトリフティングの全国大会に出られるレベルになり、VITならマラソンの、AGIなら陸上の短距離走の、大会に出られるレベルになるらしい。全国大会で上位入賞するレベルになるには、Aの中の上位を意味する
次いで、DEX、INT、MNDは精神系の能力で、それぞれ器用さ、知力、精神力を示す。
この中でも、VITとMNDの項目で、Eにすることは、命に関わると注意を促された。VITなら病気への抵抗力が無くなり、MNDなら自死を望む、あるいはそれに近い自暴自棄の状態に陥る、と。
私の能力は、
STR:C VIT:C AGI:C DEX:C INT:C MND:C
と見事にオールCだった。
試しに一時的に、母集団を高校のクラスにしてみると、それでもオールCだった。
確かに、高校の時の体育の成績は真ん中であったし、テストの結果も真ん中だった。
身長体重も正しい。これらすべての項目を「操作」することができる、らしい。
ただし、身体系の項目を大きく動かすと弊害が出てくるとのこと。
試しに、身長を弄ってみた。174cmの身長を2cm伸ばして、176cmに。今すぐではなく、2年後辺りをめどに。
アプリにはアドバイス機能もついていて、これだと「問題なし」と告げてきた。
さらなる試しで、身長を10cmすぐに伸ばそうとしたら「危険です」と警告してきた。この警告を無視して強行したら、成長痛で悶絶してしまうのか、それともそれ以上なのか。試すつもりはない。
加えて、特殊能力の項目がある。
例えば、AGIを上げて、[ハードル走適正:A]を付ければ、ハードル走の競技で上位を狙える、とか。
それで、私は自分に[集中力:B]を付けた。
誰かに、何かに、邪魔されることなく、気を散らすことなく、勉強に集中できるように、と。
もちろん、[高校数学:A]や[高校英語:A]といった、今、私が最も必要としている力を付けることも出来る。あるいは、INTをCからAに、段階を踏んで、いきなり上げると知恵熱に襲われるだろうから、上げる手もある。
そうしたら、学校の全てのテストで満点をとれるはずだ。
大学受験もたぶん行ける。
だけど、そうした方法をとるつもりは無い。
直接のズルはしたくない。
傍から見れば、大した違いは無いだろう。
それでも、これが、最も必要としている力を付けないことが、
――このアプリを使う私なりのけじめだ。
はっきり言えば、このアプリをフルに使えば、これからの人生、楽に生きていくことができる。これまで試した結果から、確信している。
けれど、そうした結果何が起きるか。
アプリに依存して、歯止めがかからなくなって、人間として越えてはいけない一線を越えてしまった結果、何が起きるか。
――「モンスター」が生まれるのではないか。
私はそれが怖い。
それ以外の目に見えるアプリのマイナス点は、アプリを削除できないことと、アイコンがスマホのホーム画面の一角を占めることくらいか。どういう訳か、占拠したホーム画面の一角から移動させることも出来ない。
もっとも、[集中力]の最初は失敗した。
最初はBではなくAにしていた。
その状態で、自宅で夕食を食べた後、数学の問題集を解き始めたのだが、気が付いたら、夜中の2時を回っていた。問題集は最後まで終わった。
その代償は、焼き付いたように
「何度も声を掛けたのだから、返事くらいしなさい」
などと小言をもらった。
AからBに下げたことで、こうした失敗は無くなったが、これで残り半年を切った受験に間に合うかは分からない。
[記憶力:B]も付けようか、考えている最中だ。
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