第3話

 

 電車が駅を一つ通過する。奏恵はいつもこの電車は各駅停車にしか乗ったことがなかったから、普段停まる駅を飛ばす様子は少し新鮮だった。



 確か次の駅も通過するはずだと思い、少し身を捩って、後ろの窓から外を見てみる。



 速度をわずかに落とし、駅へと突入する車両。看板の文字はかろうじて読めず、人の表情もわからない。駅半ばほどを越えた辺りで、あっと声をあげ、立ち上がりかけた。



 車両はそのまま駅を通り過ぎ、再びスピードに乗る。



 車内にいるわずかな視線が自分に集まるのを感じて、素知らぬ顔で誤魔化しながら座り直す。



 化粧ポーチを出そうとバッグを探る。奏恵にとってのルーティーンだった。化粧が、ではなく、バッグを漁るという行為自体が。



 趣味の悪いブローチを跳ね除け、百合柄の刺繍が入ったポーチを取り出す一連の中で、彼女の心は幾分か落ち着いた。



 勘違いだ。服装が似ていただけだ。



 あのホームに立っていたのは弓塚秀ではない。



 頭の中では結論を出せたが、ポーチを持つ手は、まだ少し震えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る