第3話 戦闘
「あー、だるい。もっとこうパッパッと行かないもんかねえ」
頭の後ろの手をまわした状態で、軽く背伸びをし長く伸びた列の先頭の方を見ながらレイが愚痴た。素体はついさっきまでフレイアが入っていた小生意気系の外見のそれのままだ。さっきまで召喚されていたフレイアは用が済むと
「それでは私はこれで失礼します。私ばかり外に出ていては不公平ですから、シン。他の
と言ってからにっこりとほほ笑むと、そっとシンと唇を重ねた。本音をいうとずっとフレイアといたいところだが、そうも行かない。
レイの専門は情報科学、というか、プログラミングだ。プログラミングと言っても昔ながらのChatGPT出現以前のコードをシコシコ書くプログラミングではない。レイの得意はプロンプトエンジニアリングだ。自身の中身がGPT系のアプリであるレイがGPTを駆動するためのプロンプトエンジニアリングを駆使する、というのはある意味でシュールだが本人に言われば
「何言ってんの。本人だからうまくできるんじゃん。自分のことは自分が一番わかっているんだよ。センスないなー」
ということなのでそういう物なのだろう。フレイアに取って代わって召喚されたレイはさっそく有名ショップのアイスが食べたいから連れていけ、とのたまった。レイはフレイアと対照的で自由奔放で豪快に笑うタイプの
「まったく、アイスくらいどっかの誰かさんが買っておいてくれないもんかねえ?」
レイが横目でシンを見ながら言った。そんなこと言われても次に出てくるのがレイかどうかもわからないのに、無理な話だ。シンが反論しようと口を開いたのと、レイの表情が急に険しくなったのは同時だった。
「来たっ」
レイがシンの背後を指さした。シンが振り返ると、ちょうど巨鳥型のインシデントが舞い降りるところだった。
「行くっ」
というが早いかレイが飛び出した。こうみえてもレイは優秀だ。シンが担当している
巨鳥型インシデントの専門は音楽だ。巨鳥型インシデントが発するクエリーは音楽で、それを上回る品質の音楽を返さないと
巨鳥型インシデントが美しい音色の音楽のクエリーをレイに向かって投げる。レイはすかさず、音楽生成系AIモジュールにプロンプトを投げ、それを上回る音色の音楽を作成し、投げ返す。壮大な音楽が鳴り響いて巨鳥型インシデントの右の翼が丸ごと吹き飛んだ。苦痛の叫びをあげる巨鳥型インシデント。
「よし、行ける!」
シンが叫ぶとレイは自信ありげに頷き、攻撃を続行した。さらに数手のやり取りが続き、巨鳥型インシデントはみるみるうちに弱り始めた。シンが楽勝、と思った瞬間、それは起きた。
(!)
シンは聞くに耐えない騒音を耳にして思わず耳を両手でふさいだ。レイが作った音楽だった。レイは自分の作った音楽が騒音になったことに気づいていない。だが、すぐに巨鳥型インシデントにダメージがなくなったことで異変には気付いたようだった。
「うわっ、まっず!」
口調こそお茶らけているが、みるみるレイの顔から血の気が引くのが解った。
ChatGPTが世に放たれた時、その人間と見まごうばかりの流暢なやりとりと裏腹に、ありもしない虚構を事実とないまぜにしていかにももっともらしく語ってしまうことが大きな問題になった。あまりにももっともらしいのでその道の専門家でないと真偽の判断が難しいことが多かったからだ。GPT-10になっても
(まずい!)
シンはとっさ前に出て、レイが作った戦闘空間に飛び込んだ。
「シン・・・」
いつも自信満々なレイが心細げにシンを見やった。
「大丈夫だ!」
シンはレイが生成したプロンプトを横取りし、精査した。もたついている暇はない。レイのプロンプトエンジニアリングとしての専門能力はもろ刃の刃だ。レイは通常だったら専門外の音楽のクエリーで大きなダメージを受けることはない。だが、音が育成性AIモジュールを召喚している今のレイはみなし専門で音楽家の属性を与えられている。音楽クエリーでダメージを食らったらひとたまりもない。巨鳥型インシデントの音楽クエリーがレイを直撃した。
「ゲホッ」
レイが盛大に血反吐を吐いて膝をついた。勿論、これは現実の素体が血をはいているわけではなくイメージにすぎない。だが、あくまでダメージそのものは本物だ。
「シン、助けて・・・」
顔面蒼白のレイが、両膝をついた姿勢で、シンに向かって息も絶え絶えに手を差し伸べて助けを求める。いつも活気に溢れたレイのそんな姿はことさらシンの胸をえぐった。
(落ち着け、間に合う!)
シンは必死にパニックに陥りそうな自分の意識を抑え込んだ。あと二撃も音楽クエリーの直撃を食らったら、レイはライフを全部削られて消滅してしまうだろう。焦るな、焦ったら負けだ。
(あった!)
シンは即座にレイのプロンプトの問題を見つけた。間違ったファインチューニングモジュールをタグに入れ込んでいる。シンは
「レイ、クエリー!」
シンがさけぶと、とたん、再び、レイのプロンプトが生み出す音楽の音色は荘厳なオーケストラが奏でてもここまでではないというほどの音楽になった。
「こん畜生!」
レイの渾身の一撃。それを食らった巨鳥型インシデントの頭がまるごと吹き飛ぶのが見えた。ブーンと音を立てて戦闘空間が消滅する。巨鳥型インシデントは跡形もなく消え去っていた。シンは地面に片膝をついているレイの手を引いて立ち上がらせた。レイは苦しそうに腹のあたりを抑えている。仮に、吐血がイメージにすぎないとしてもそれはレイにとってはリアルなダメージだ。レイが息を切らせながらシンに向かっていった。
「ありがとう、シン」
すっかり殊勝な感じになったレイにシンは笑い返した。それにしても危なかった。なんだかだんだんインシデントの戦闘能力が最近上がっているように感じられる。
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