第2話 自我《パーソナル》たち

「・・・というわけだ諸君。これで本日のブリーフィングは終了だ」

"教授"がホールを埋め尽くす少年少女たちを見渡しながらそう告げると、ホールにいたメンバーが一斉に立ち上がった。この部屋にいる全員が男女のペアだった。年齢はほぼハイティーンに限られる。大脳書き込みブレインライターシステムの負荷に耐えられるのは若い頭脳だけだ。男子の頭脳から読みだされた自我パーソナルは素体の頭脳に書き込まれる。入れ違いに素体の頭脳の中にある自我パーソナルは男子の頭脳に書き戻されないといけない。この複雑な負荷に耐えるには脳は十分に若くなくてはならないのだ。かといって、幼い脳では容量が足りない。勢い十分成熟しているが、可塑性があるハイティーンの頭脳が活用されることになった。

 インシデントの存在が明らかになったのはこの大脳書き込みブレインライターシステムの開発の副産物だった。AIで作成したバーチャル自我である自我パーソナルの脳内への書き込み実験の最初の被験者たちがインシデントを目視したのが始まりだった。最初はシステムの負荷に耐えられない結果生じた妄想としてかたづけられた 。それはそうだろう。一部の人間が自分たちにしか見えない怪物が町を闊歩していると言い始めたらいいところが集団妄想だと思われるところだ。下手したら精神に異常を来していると思われかねない。だが、ほどなく、それは妄想では無いことが分かった。インシデントが実際に人命を奪っていることが分かったからだ。

「シン」

自分のパートナーとなっている少女と肩を並べて出ていこうとするシンを”教授”が後ろから呼び止めた。シンはゆっくりと振り返った。”教授”は年齢不詳の存在だ。40代か50代の見た目なのだが、OBやOGたちの話では彼らが最初に”教授”と出会ったときからそんな見た目だったという。以来、白髪が増えることもしわが増えることもないまま、何十年も経過している、という。そんなバカなことがあるか、とシンは思う。一種の誇張された伝説のようなものだろう。同時に”教授”の本名を知るものはいない。彼女はいつも”教授”と呼ばれてる。それ以上でもそれ以下でもない。”教授”が目の前に歩いてくる。シンの体が緊張で硬直した。この人に悪く思われたくない、という想いがシンを不安にする。

「先日の日中にインシデントが、しかも二体も現れた、という件なのだが」

「はい」

シンは喉がからからになるのを自覚しながら答えた。どうか声が上ずったりしませんように。

「インシデント自体には何か特徴はなかったかね?」

”教授”が首をかしげながら訪ねた。

「いえ、特に」

シンは首を振った。

「戦闘は行わなかったのかね?」

”教授”がじっとシンの目をのぞき込んで尋ねた。彼女はきっと若かった頃は美人だったのだろうな、と思わせるような整った顔立ちをしている。スタイルも中年らしきところはまるでなく、シルエットだけなら20代でも十分通用しそうだ。彼女が見た目4,50代という印象なのはその落ち着き払った物腰と”教授”という呼称、そして組織における地位の高さから少なくともそれくらいでなくてはならないから、という点に依ることが多い。

「行いました。ですが、二体のインシデントを相手にするのは得策ではないと判断し、早期に撤退を」

”教授”が頷いた。シンの心の中に不安が沸き上がった。”教授”はなぜデザイアのことに触れないのだろう?なぜ、シンにそのことを前もって言わなかったのか?想定外の自我パーソナルが現場で出現したらどれくらい問題が起きるか”教授”はよく理解しているはずだ。

”教授”は単純に言うのを忘れているのか?まさか。あるいは、わざと隠して反応を見ている?少なくともシンの方からデザイアのことについて口火を切るのはためらわれた。”教授”が何を考えているのかはっきりするまでデザイアは「いなかった」ことにする。一体、いつの間に書き込んだのか?定期メンテナンスの時だろうか?だから、デザイアの機転で首尾よく逃げ出したこともシンは報告していない。”教授”が何を考えているのか、シンの何を試そうとしているのかわかるまではうかつに口にできなかった。

「よろしい。貴重な情報をありがとう。今後は日中にインシデントが出現する可能性と二体同時に出現の可能性を考えよう」

”教授”はそれだけ口走ると踵を返して戻っていった。シンはホッと緊張を解いた。とりあえずは、この場はやり過ごした。後ろからそっとその時具現していた自我パーソナルであるフレイアがシンの肩に手を置いた。

「シン、行きましょう」

フレイアがいう。シンは頷いた。フレイアが具現しているときがいちばん素体が可憐な感じなのでシンはフレイアが一番気に入っている、というか話しやすい。シンは頷くとドアに向かって歩き出した。”教授”と話し込んでいる間に多くのメンバーたちは退出してしまったが、それでもまだ何人かの組が残っている。自我パーソナルのヨリワラとなるべき素体の少女たちは交換可能だから、別に誰でもいいのだが、さすがに毎回変わるのは混乱するのである程度長期でレンタルしている奴が多い。シンは気にしないタイプなので、今の素体も今朝借りたばかりの素体だ。細身でスレンダーな体形。髪型はショートカットのボブで、鼻がツンと上を向いた感じ。漫画やアニメだったらさしづめ「小生意気そうな」と形容詞が付きそうな容姿だし、素体の本来の性格はそうなのかもしれないが、今は中身がおしとやか系のフレイアなので立ち居振る舞いから小生意気な印象は全くない。

肩を並べて歩くフレイアの方をシンはそっと盗み見た。フレイアは体の前、腰の高さくらいのところで、両手を握りしめ、穏やかな笑みを浮かべながらまっすぐ前を向いてしずしずと歩いている。フレイアはいつも冷静なタイプ。時に怯えを見せることもあるが激高したところをみたことは一度もない。

「シン、またインシデントが二体同時に出てくることはあるのでしょうか?」

フレイアが正面を向いたまま、シンに向かって落ち着いた口ぶりで尋ねた。いつものフレイアだ、と安心しながらシンは答える。毎日見た目が変わるのに中身は同じなので最初はどうしても違和感が残る。

「あり得ると思う」

「でしたら私たちはチームで動くべきなのでは?シン」

フレイアは優し気なまなざしをシンの方にまっすぐに向けて問いかけた。可憐な雰囲気とはうらはらにフレイアは気丈で芯はしっかりしている。シンは頷き返した。

「そうだな、フレイア、他の自我パーソナルとも相談してみるよ」

フレイアは頷き返すと正面に向き直った。他の自我パーソナルと相談するといっても簡単ではない。いくら可塑性に富む若者の頭脳と言っても大脳書き込みブレインライターが可能なのは日に3回が限度だ。4回目になると危険が伴う。自我パーソナルの消失だ。だから、シンがもっている全自我パーソナルと話すには三回の召喚機会をフルにつかっても丸二日はかかる。うまく順番に出て来てくれるとは限らないからもっとかかるかもしれないが。

 自我パーソナルはAIが生成した疑似的な自我に過ぎない。その起源は遠く、2022年に発表されたChatGPTにまでさかのぼる。ChatGPTが発表されたとき、世界は騒然となった。まるで人間のようなやり取りをし始めたからだ。ChatGPTに自我があるのかどうか喧々囂々たる議論が沸き上がった。今でもその決着はついていないともいえる。だが、それを問題にするのはいまや基礎研究の研究者だけだ。ChatGPTが自我を持っていようがいまいが、それは人間にとって自我があるように感じられるならそれは同じことだ。ChatGPTはGPT-3あるいはGPT-4をベースにした技術だが遠く時代が下ってGPT-10ベースで作られている自我パーソナルたちは人間そのものと言っていい。

 メンバーの中には自我パーソナルの消失を気にかけず、四回目の召喚を敢行するものもいる。自我パーソナルは所詮はAIが作り出した疑似生命体に過ぎないし、自我パーソナルが消失しても殺人罪に問われることは無い。実際、緊急時にはメンバーには四回目の召喚が許されていた。

 シンはそういう考え方が嫌いだった。いくら疑似知性でも自分にとって人格をもっているとしか感じられないものを消去して平然としていることはできない。だから、シンはまだ一度も四回目の召喚を敢行したことは無い。

「シン?」

考えごとにふけっていたシンはフレイアの呼びかけに我に返った。

「いや、なんでもない」

シンはフレイアに向かって笑いかけた。フレイアが笑い返す。

「心配事があったらいつでも言って下さい。私たちは一身同体ですから」

言いながらフレイアは手を延ばすとシンの手をぎゅっと握って来た。シンも握り返しながら答える。

「ありがとう、フレイア。そうするよ」

フレイアの健気さにはいつも救われる、とシンは思った。


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