第5話② 威厳はあるが軽薄な爺さん 後編


 📞📞回答パート📞📞



「金は?」

 事務所に通され、真ん中のソファに座るなりわたしは言った。

 すこし距離を置いてコワモテのニイさんたちが、こちらの様子を窺っているのがわかる。

 わたしの前に座っているのは、いかめしい髭づらの爺さん。名はマッケンロー丑次郎うしじろう。ふざけた名だが、本名だ。

 わたしの問いが耳に入るとマッケンロー爺さんは悠々と足を組みかえ、ソファにふんぞり返ったままゆっくりと顔を上げた。

「金、だとォ?」

 ドスの効いた声が耳に障る。まわりの連中がにやにや見ている。ひとつ奥の部屋にはだれがいるのか知らないが、さっきから怒鳴り声がしている。ひとつ対応を誤れば、ここも似たような修羅場になりかねない。面倒な場所に呼び出してくれたもんだ。

「なあマッケンローさん……駆け引きなしだ。まずは今ある金を出してくれ。いくらあるんだ?」

 ぴくぴく、と爺さんの額に青筋が浮かんだ。

「見くびってくれるじゃねえかコラ。おめぇワシが金持ってねェとでも思ってんのか? おゥ? 借りた金も返さねェボンクラだとでも言うのかよ? あァん?」

 映画のヤクザみたいに首を捻じまげ、くゎっと目を見開いてわたしを睨む。残念ながらこれは映画ではなく、事務所にたむろしているヤクザは本物だ。


「金があるというなら話は早い。今日必要なのは30万だ。さっさと払って済ませよう」

 淡々とわたしはつづける。

「さあ、出してくれ」

 まっすぐ爺さんの顔を見て言うと、わたしを睨んでいた目が泳ぎだした。だれか助けを求める相手がいないか探すみたいに。

「ま……まあ、そう焦んじゃねえや、わけぇの。ひとつ茶でもどうだい? ……おいっ」

 とあごをしゃくって、いちばん近くに立っていた男を呼んだ。となりの相棒と談笑していた男は、面倒そうに振り返る。心地いい朝寝を無粋に起こしてくれやがったって言わんばかりの不機嫌な顔だ。

「おウ、こいつに茶……を、出し……て、やってくれ……くれませんですかね?」

 男の表情がどんどん凶悪になっていくのと、爺さんの声がしぼんでいくのとがみごとにシンクロした。

 男はぎろっとひと睨みしたあと、爺さんを無視して隣の男との会話を再開した。爺さんは恨めしそうにふたりを三秒ほど見つめて、視線をわたしの方へと戻した。さっき青筋立ててた額に、今は汗のつぶが浮かんでいる。


「えっと、茶は……」

「茶はいらない。さっき飲んできたばかりだ」

 そう言うと、あからさまに爺さんはほっと表情をゆるめた。それからあわてていかめしい顔をつくり直した。

「がっはっは。そうかい、ガキには茶の味はまだわからねェか、はっは。ワシの若い頃なんざ――」

「マッケンローさん」

 とわたしは話を止める。ずいと身を乗り出すと、せっかく取り繕った爺さんの威厳はまたどっかへ飛んでってしまった。

「金だよ。茶なんかいらないんだ。おしゃべりはやめて、金だけ出してくれればいい」

 奥の部屋では怒鳴り声が一段と大きくなっている。声の洩れ出るドアの横には重厚な机。その上にかかる額は大仰な金文字。書かれている文字は、「二代目亀仟かめせん組」。ドアのむこうでなにが起こっているかはもちろん知り得ない。だが爺さんは爺さんで、それどころではない窮地にいる。

「ああ、か、金……な。そりゃまァあれだよ、30万なんざァあっという間さ、すぐ出してやらァ、これでもワシはシノギにかけちゃに出るモンなしって言われたもんさ、さん……よん十年ばかりも前の話になるかな、だからここの若えやつらも知らねェだろうがそりゃも落とすってぐらいの勢いでよォ、切って歩きゃあだれもワシらにできなかったんだからな、ああ見せてやりてェぜ……」

 1円にもならない饒舌を、止めようとしたところで無駄ともう諦めて、わたしは社会見学気分で組事務所のなかをざっと見まわす。爺さんの言葉がそこらじゅう間違いだらけなのもどうだっていい。


 磨りガラスの窓の外で木の枝が揺れているのが見える。のどかな六月の陽ざしを浴びて、うららかに。事務所の中は空調が効いて、爺さんの語りは絶好調だ。

「……そんなことがあってここの先代がワシの才覚と意気に惚れ込んだのよ。一流の男と男さ……通ずるモンがあるんだなァうん、ならワシも応えんわけにゃいかねェだろがィ、そこで五分の盃をってわけだ」

 とここまで言ったところで、三歩の距離にいた男が急にこっちを向いて、革の靴音高らかに近づくと、いきなりテーブルを蹴りあげた。派手な音が事務所じゅうに響きわたり、爺さんは舌先まで出かかっていた言葉を引っこめた。顔は男の方を向いているが目はまともに合わせられないで、視線があちこち泳いでいる。わたしも男を見上げて、なにが起こるかと身構えた。いざとなったら窓から脱出だ。

 すると男は低い声で、ゆっくり言った。

「マッケンローの叔父貴。スジは通さなきゃいかんぜ。あんたは弟分で、先代のオヤジは兄貴分だ。間違えンじゃねェ」

 事務所内は静まりかえっている。爺さんの指先がふるえている。沈黙を破ろうとするものはだれもいない。

 さっきの饒舌はどこへ隠れてしまったのか、爺さんはわたしになにかしゃべってほしいと目でうったえる。だがそれは爺さんの役目だ。きつい役を果たさず、人に投げて自分は逃げ出す――こういう肚の据わらないところが、爺さんがこの世界で上へ行けなかった理由のひとつなんだろう。自分で言うような才覚があったかどうかも眉唾ものだが、それもどうだっていい。


 沈黙はつづいたまんまだ。わたしは咳払いした。爺さんはびくっとして、髭に手をあて、しごきながら早口にしゃべりだした。

「あ、そうだったな、そうだよそうだ、なんせ昔のことだからなァ、記憶もあいまいになっちまって――」

「それと、オヤジがあんたに惚れ込んだんじゃねえ」

 男がぴしゃりとさえぎる。

「あんたがどうしてもって泣きつくから、仕方なくお情けで盃を交わしてやったンだ。老衰で記憶がぶっとんでるってンなら、二度と忘れることないよう、もっぺんキッチリ脳のシワに刻みこんでやってもイイんだぜ?」

 追い詰め方が容赦ないのはさすがヤクザだ。それだけ、先代組長と五分と言ったのが許せなかったのだろう。

「な、てめぇ……」

 ふるえる声で爺さんが言いかけるところを、

「マッケンローさん」

 とわたしは制した。どうせそんなふるえ声では最後まで突っ張る根性もないだろうが、それにしてもトラブルは御免だ。だいいち、爺さんの身になにかあったら回収ができなくなる。

「昔話はそのへんにして、そろそろ金の話に戻らないか? わたしも暇じゃないんだ」

 また私が出した助け舟に、爺さんはまたほっとした顔になっている。

 組事務所の雰囲気で脅して返済を逃れようなどと企んだ結果が、このザマだ。油断のならないこの渡世で爺さんは、長年なにを学んできたんだとお節介にも問い詰めたくなってしまう。


 わたしがため息をついたとき、奥へとつながるドアが開いた。そういえば怒鳴り声はしばらく途切れていたと、今になって気づいた。

 部屋から出てきたのは三人だ。うち一人は手首から先を包帯で覆って、うなだれている。急いでわたしは目を逸らし、窓の外を見た。「なにも見ていない、なにも知らない、関わるつもりはない」という意思表示だ。


 やがて事務所の外へのドアが開いた気配がした。きっと包帯男を蹴り出したんだろう。

 こちらへ戻ってくる足音が聞こえるが、わたしは振り返らない。代わりに爺さんを観察する。爺さんの目は足音の主にくぎ付けになって、すこし緊張しているようだ。

 やがて足音が止まった。わたしのすぐうしろで。

「マッケンローの叔父貴。カタはついたのか? ついたらさっさと出てってくれ」

「いや、それがなァ、亀仟の」

 勢いづいてしゃべりだそうとするのを声が制した。有無を言わせぬ圧で。

「まだなんだな?」

 この声の主が、二代目亀仟組の組長というわけだ。わたしは振り返り、組長を見上げた。人を殺したことのある顔だ。あるいはまだ殺していないとしても、必要なら殺すことにきっと躊躇はしない。マッケンロー爺さんとは違う世界に棲む顔だ。

 わたしの視線に、横柄に睨み返す組長が、わたしをどう見たかはわからない。吐き捨てるようにかれは言った。

「おウ、金貸し。言えよ、いくら返せばイイんだ?」

「マッケンローさんに30万払ってもらえれば、すぐ退散するよ。こんなとこ、わたしだって居心地悪いんだ」

「ふん」

 男はかばんに手をつっこんで、掴み出した札束をテーブルの上に投げた。札束は三つだ。クーラーからの風に札束がぴらぴらさざめいた。

「今日の払いのことじゃねェ。叔父貴の借金ぜんぶキレイにするにゃいくら要るかって訊いてんだ」

 爺さんが目をかがやかせて手を伸ばすのを、さっきの男が足で押さえる。わたしはざっと計算して言う。

「一括返済ということでいいなら、これだけあれば十分以上だ。ここで手続きを済ませようか?」

「よそでやってくれ。釣りはくれてやる。小汚ェ金貸し風情に、ここにえらそうに居坐られたんじゃ虫唾がはしるンだよ。わかったらとっと出ていけ」

 背中を向け、奥の部屋へ戻ろうとする袖を、爺さんが引き留めた。

「いやあ、恩に着るぜ、亀仟の。さすが二代目を任されるだけあって太いのォ」

 袖をつかんだ手を、組長は振り払う。もう顔を向けようともしない。

「勘違いしねェでくれよ、マッケンローの叔父貴。死んだオヤジの弟分を見捨てたとあっちゃ、外聞きこえわりィから、仕方なくだ。だがこれきりだぜ? これは手切れ金だ。二度と事務所には顔を出さねェって誓ってくれ」

 子供が大人の顔色を窺うような、臆病な笑みを浮かべて爺さんが言いかける。

「そんなれねェこと言わなくたってイイじゃねェかよ、おれたちゃ――」

「誓うか?」

 最後まで爺さんに言わせず、組長は冷たく問う。爺さんはキレイに磨きぬかれた床に視線を落とす。

「…………誓うよ」


 組長は振り返り、わたしを睨んで言った。

「取引は成立だ。とっとと出てって、二度とツラ見せんじゃねェ。万一またのこのこやって来やがったら、今日こっから無傷で帰れるのがどれだけ幸運だったか、思い知ることになるぜ。それから……叔父貴に金を貸すのもやめろ」

 爺さんは廊下に立たされた生徒のように顔を上げられないで突っ立っている。その爺さんには目を向けないまま、組長は言いわたした。

「叔父貴、ここには金輪際来ねえってこと、くれぐれも頼んだぜ?」


 とぼとぼと事務所を出て行く爺さんの胸に去来するものがなんなのか、わたしには知りようがない。ヤクザの世界で伸し上がるには、土壇場での度胸も腕っぷしも、冷酷さもおそらく持ち合わせが足りなかった男。それはそのまま爺さんが人間らしかったことの証明だと思うのだが、それを幸福と思うかどうかは当人次第だ。結果を背負うのも当人しかいない。



(第5話おわり。第6話へつづく)


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