第4話② 明るくて傍若無人なギャル 後編


 📞📞回答パート📞📞



「金は?」

 待ち合わせたハチ公前で、わたしが問うと、更田さらだ清子きよこは明るく答えた。

「あるわけないじゃーん」


 金髪、毒々しいリップ、長いつけ睫毛の下にはカラコンの青い瞳。りっぱなギャルだ。これで名が清い子だとは、名づけ親も泣いているだろう。

 金を返しに来るときまで制服を着てくる神経が解らない。この制服を着る娘たちの、経済力と頭のレベルはそこそこ良いらしい。当人の顔にしても、たぶん素材はわるくない――濃い化粧でだいなしになってさえいなければ。

 総じて、彼女が生まれ持ったものは、世間並以上に恵まれている。彼女が平凡な幸せを得ることは、本人がその気ならば難しくはなかったろうと思う。


「それで、今日の払いはどうするつもりだ?」

 わたしは聞く。更田は唇をとんがらせる。

「だからー、お金ないから払えないってんじゃん。言わせないでよこんな恥ずかしーこと」

 クソ短いスカートからつき出た足を通行人たちに見せつけ悦に入ってるコイツの、恥ずかしいの基準も解らない。きっと死ぬまでわたしには理解できないのだろう。コイツにわたしのことを理解できる日がけっして訪れないのと同様に。


「あ、いーこと考えたー」

 その声の、語尾が上がる。どうせろくでもないことだ。「いーこと」を告げるために必要な儀式だとでもいうのか、更田は腕をからめて上目遣いで見てくる。頭が痛い。

「カラダで払うよ、これでどお? ほんとは7万とるんだけどさー、カイさんには世話ンなってっしー、大サービス。今月の支払いをチャラにしてくれるだけでいーや」

「話にならん」

「ええーなーんでー?」

 更田は鼻にしわを寄せて笑う。笑えない状況だってコイツには分からないらしい。

「支払いは10万だ」

 とだけ答えてわたしはタバコをくわえる。

 金額が足りない時点でまったく話にならないが、それだけではない。

 わたしは金(あるいは容易に換金できるもの)以外の返済は受け付けない。顧客テキと関係をもつつもりはない。第一ガキは趣味じゃない。こんなことに7万も払うやつの気がしれない。却下の理由はまだまだ挙げられるが、いちいち言ってやるのもばかばかしい。


 息と一緒に烟を吐いて、もいちど息を吸いこむ。烟は更田の顔のまわりを素通りする。コイツも烟になってどこへなと飛んでいきゃいい。

「昨日までに金はつくったんじゃねえのか」

「あーそれね」

 更田はにへらと笑う。わたしの手をとって。コイツもこびが板についてきた。

「それがさー、たしかにあったんだよ昨日の昼まではさ。だけどおー、課金しちゃったんだよねー、『ペンギンヴィレッジ』に。だってさー、だってだって、聞ーてよあのね、ソラマメくんがさ、ほっぺたチューしてくれんだって10万で。すごくね? すごくね? そりゃー課金するでしょソッコー」

 うれしそうにまくしたてる表情が、急に子供らしく見えてくる。これがコイツの本来の姿なんだろう。そのうえにギャルの粧いをむりに塗りたくって、身の丈から外れた美を求めて、ガキには過ぎる金を推しにつぎ込んで。厄介な年ごろだ。


 『ペンギンヴィレッジ』というのは更田が入れあげている地下アイドルの名らしい。ホストクラブよりはいくらかマシなのかも知れないが、ガキがカラダ売って、借金までしてこさえた金を巻き上げるのは頂けない。そこにつけこみ金貸してガキの血を啜っている我々も言えた口ではないのだろうが。

 だがひとつ彼らが我々と一線を劃すのは、法の規制を受けないこと。ホストクラブとも金貸しとも違って、地下アイドルが未成年から金を吸い上げるのは合法だ。タチがわるい。


「で、さーカイさん、もすこし貸してほしーんだけど、いーい?」

 機嫌でもとるつもりか、胸を押しつけてくる。世間の厳しさはろくに知らないくせに、「女」の使い道は既に知っている、面倒くさい年ごろだ。それがどれだけ危険なことか、まったく分かっちゃいない。だから無防備に青臭い色香と金の臭いをまき散らす。悪臭がまわりの虫どもを惹きつける。虫どもが身にたかるのが、コイツには得意なんだろう。

「いくらだ?」

 タバコの烟をハチ公に吹きつけ、わたしは聞く。ハチ公も迷惑だろうが人間のばかげた苦悩を知らずに済む分だけ彼の不幸はタカが知れている。

「50万」

「つい一ㇳ月前にも30万貸したとこじゃねえか」

 はじめてコイツに貸したのが半年前。そのときは10万だった。その返済が済むより先に、また20万借りにきた。あとは雪だるまだ。それでも最初はカラダを売って、やすやす返済していた。

 それを可能にするだけの若さと見栄えと愛嬌を持っていたのは彼女の幸運であると同時に不運だ。

 カラダを売れば金が手に入ることを知ってしまった。知ってしまえば、金の感覚が狂う。借金して推しに貢ぐことになんの疑問も持たなくなる。歯止めの効くわけがない。稼いだ先から金をつぎ込むもんだから、借金も減らない。今日の10万を返しても、ほとんど利息にしかならない。


「いーじゃん、貸ーしーてーよー」

 転落まであと一歩の崖っぷちにコイツは自分から踏み出す。崖っぷちにいることを知ってか知らずか、コイツはまたわたしに体重をあずけて、腕にぶら下がる。振り払おうとするのを先手をとって、しがみついて、ずるそうな笑みを見せる。

「貸してくんなきゃ、叫ぶよここで。カイさんに襲われたって、そんで脅されてるって。きっとみんな信じてくれると思うんだー、あたし演技派だしー、いろっぺーしー」

 演技派も色っぽいのもタチの悪い冗談にしか聞こえないが、とりわけタチが悪いのは、たしかにコイツの狂言を信じるトンマ野郎どもがわんさかいるだろうってことだ。官憲との相性が良いとは冗談にも言えない私としては、そのテのトラブルは願い下げだ。

 あたりは暇でしかたねえって顔した老若男女であふれている。ハチ公さえ今にもあくびしそうな構えだ。更田は決断を促すように、いよいよわたしの右腕に体重をあずける。

「……貸さないとは言わない。金を貸すのがわたしの仕事だからな」

 更田の目が輝く。子供らしく。

 実際、まだ50万ぐらい出してもまったく構わない。むしろ上役は、よろこんで貸してやれと言うだろう。50万と言わず、100万でも200万でも。回収のアテはある。3カ月ばかり置き部屋に押しこめて朝から晩まで客をとらせればいいだけだ。もちろん学校へは戻れない。日の当たる場所へは二度と戻れない。


「貸すのはいいが、その前にまず聞かせてくれ。貸した金はなんに使うつもりだ?」

「えー? そんなのカイさんにカンケーねーじゃん」

 更田は拗ねた顔をしてみせる。まったくコイツの言うとおりだ。このまま借金を重ねて、身を滅ぼしたとしてもコイツの勝手でわたしの知ったことではない。

「なんてね。ほかでもないカイさんだからなー、どーしょっかなー、教えてあげよっかなー?」

 今ならまだ戻れる。まだ警察の世話にもなっていないし妙なバックもついていない。ちょっとばかりやんちゃな冒険したってだけで、平穏でぬるい人生に戻ることが、今ならまだできる。

「ソラマメくんがデートしてくれんだって。やっぱさー、ほっぺチューで距離むっちゃ縮まったしー、カレったらもうゼッタイあたしにメロメロだしー、これってさー、やっぱもう付き合ってんのも同然? 当然? あれ必然? まーなんだっていーやー」

 胃が痛くなる。コイツはえへへーと笑ってやがる。

 どこまで本気なのかは判らない。ほんとうはバカだって自分で分かってて自棄ヤケになってるだけかもしれない。自棄の代償がどれだけ高価たかくつくかってことからは思いっきり目を逸らして。

 それが間違っているのかどうか、わたしには判らない。そもそも他人がどうこう口出しすることではない。当人が自分で選んで、結果の責任も自分で負えばいい。

 ふざけた笑顔の下に、不安な感情が一瞬見えたような気がした。金の心配か、それとも自分の行く末を案じてなのか。そんな気がしただけ。たぶんすべて気のせいだ。

「ね、だからお金ちょーだい? あ間違った、貸して? ねーはやくぅー、貸してくんなきゃ大声出すよ、いーのー? ウソだと思ってるー? 思ってんだね?」

 切羽詰まった目を大きく見開く。長い睫毛と青い瞳が呪い人形じみて見える。たぶんコイツが叫ぶってのは本気だ。


 時よ、留まれ。

 この瞬間はけっしてうつくしくなんかないが、いま溺れようとしている子供がいるなら、時が一瞬だけ止まるなら、神や悪魔の目を盗んででもその子を逆巻く渦から掬い上げてやってもいいと思うことがある。もちろん、ごく稀に、だ。そしてすぐ自分をあざ笑う。どうせわたしにそんな資格はない。

 親も教師も、コイツが破滅の一歩前にいることに気づかない。もう子供ではないのだ。だがやっぱり子供なのだ。まったく厄介な年ごろだ。



(第4話おわり。第5話へつづく)


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