第3話② のんびりした切れ者おっさん 後編


 📞📞回答パート📞📞



「金は?」

 わたしの問いを、咀嚼しようと努めるかのように、後藤は首を傾げて宙を見まわした。

「金は……天下のまわりもの?」

 3秒待って出てきた答えがこれだ。能天気野郎め。

「生憎だな。金ってやつはたいてい一方通行だ。貧乏人から金持ちの方へ。わかったらとっとと出しな」

 謎かけ遊びに付き合ってやるつもりはない。


 だが後藤はのほほんと愛想笑いで返した。

「違えねェですなァ。おかげでこちとらスッカラカン。なにしろお金がオイラのところにゃちっともとどまってくれねえもんだから。いやもお、困ったもんでさ……ときどきオイラのフトコロに立ち寄ってさえくれれば、一方通行でも一向にかまわねんですがねェ」

 肩をすくめて茶をすする。

「あ、茶でも飲みますかい? 出がらしの安もんだけどさ」

 返事も聞かずに急須に湯を足した。こぽ、こぽこぽ。前世紀に流行った絵柄の電気ポットが湯といっしょに音を吐き出す。

 コイツと話しているといつもこの調子だ。


 後藤は間の抜けた色の湯呑に茶を注ぎ、ちゃぶ台の端に置いた。わたしは茶を飲む気分ではまったくないが腰を下ろす。

「あれ? ひょっとして猫舌ですかい? じつはオイラもそうなんで。だから茶を淹れたらたいてい、こうやって手をつけないで、しばらく待ってるんだよねェ」

 と言って湯呑を見おろすからわたしもつられて、湯呑から湯気がたつのをふたり揃って見守ることになる。

「…………で、金はあるんだろうな?」

「やだなあ、スッカラカンってさっき言ったじゃないですか、あはは。きょうの晩メシだってどうしようって途方に暮れてんですよォ。あ、海棠さんもしかして。オイラに晩メシを恵んでくれようってんで来てくれたんスか? くうぅっ」

 と涙を拭うフリして、

「人情が身に染みるなァ。いやね、この歳になるともお、涙腺がよわくなっちゃってさ」

 とまた茶をすする。


 商売柄、どんな茶番にも慣れているはずが、この男にだけは苛立ってしまう。つい熱くなりかけるのを抑えて、できるだけ冷えた声を出すのもひと苦労だ。

「なるほど。金はねえってんだな。まあいい……わたしが知りたいのは、どうやって金をつくって返してくれるのか、だ。今日が期限だったろ」

 後藤はぽん、と器用に音をたてて頭を叩く。きっとからっぽでよく響くんだろう。

「すまんすまん、あー、すまんじゃすまんか。なんちゃって。まあまあこわい顔しねェでおくんなさいよホントいま思い出したんですって、海棠さんの顔見て、あっ! てね。あははは、は、は、はァ……歳はとりたくねえなァ」


 とぼけた野郎だ。いま自分の置かれている状況を理解していないのだろうか。それとも理解したうえで、こんなふざけた態度をとっているんだろうか。わたしは頭の隅で考えながら、後藤の顔を覗く。後藤は間抜けな笑みを返す。

「忘れてた、か。……まあいい。途中経過がどうであろうと、最後に金を出しさえすればな。7万だ」

「お、ラッキー7だね」

 後藤が浮かれた声をあげる。なにがラッキーなのかは知る由もないし知りたくもない。

「でもラッキーストライクだろうがセブンスターだろうが、ひっくり返ったってないモンはないんだよなァ……。そこでひとつ相談なんスけどね、海棠さん、ここは一発、オイラの体で返すっての、どお? 有閑マダムのお相手するとか、Sなお姐さんに御奉仕するとか、そんな仕事だったらオイラ、がぜん張り切っちゃうんだけどなァ」

「奇遇だな。わたしもちょうど考えていたところだ、体で返す方法をな」

 このテの男はどんなストレスも柳に風で、得てして血も内臓も健康ってのが相場だ。内臓ぜんぶ売っぱらってやったら釣りが返ってくるだろう。とはいえ死体の処分やら足がつきやすいやらでハイリスクではあるし、やはり殺しは気が重いのでできることなら避けたいというのが本音だ。


 こんなときは決まって童話の教訓を思い出す。金の卵を産むガチョウの話だ。おとなしく待っていれば、毎月すこしずつ金を産み落とす。それを欲張って一挙に大金を得ようと、殺してしまったのは誰だったか……誰であろうと、ばかなやつにはちがいない。ここでも短慮は禁物だ。ヘマして後ろに手がまわるようでは割に合わない。


 再確認のため、自分に言い聞かせる。着実に返せるアテがある限りは、追い詰めてしまうよりじっくり長期にわたって金を生み出させる方がいいのだと。

 ならば一年ほど船に押しこんでマグロでも釣らせるか。かったるいがこちらの方はずっとリスクがすくない。合法だし、海にいるあいだは逃げようがないし、多少頼りない身体であっても月々の返済分稼ぐのはわけはない。

 網元へは明日にも当たるとして、問題は今日の返済だ。

 さしあたっては闇バイトを当てることにしよう。以前手伝わせたときも、わるくない働きだったと聞いている。のんべんだらりとだらけまくっている割には、目端が利くらしい。

 この能天気野郎のどこが……と値踏みの目を向けると、後藤はしゃきっと体を伸ばした。こんどは何をはじめるつもりなんだか。

「その目……ハッ」

 目を見ひらいて、タメをつくる。どうせこれも演技だ。

「まさかホストやらせようとか考えてる? やっぱ身体で返すといえば、夜のお仕事だし?」

 見た目くたびれきった中年オヤジが調子に乗って言うのを、わたしは黙って聞き流す。茶はすっかりぬるくなって、ちょうど飲み頃だ。だがわたしが手にとるまえに、後藤がよこから湯呑を取りあげぐいっと一気に飲み乾した。

「それいい。とてもいいですよ海棠さん、女の子とイチャイチャするの大スキ。いやでも待てよ……オイラにできるかなァホストなんてそんな軽薄なコト。ついでに言っちゃうとじつは酒も弱いんスよねェ。いやいやこの際ゼータク言ってらんないか。ここは一発、歌舞伎町のライオンキングを狙っちゃう? よおし、不肖・後藤太一、やるであります!」

 急に立ち上がって胸をどん、と叩いた。とたんに噎せた。はげしく咳をしたあと、カラの湯呑に口をつける。寝巻がずり落ちて、貧相な鎖骨がのぞいている。


「……キングは狙わなくていい。それはいいから、外出できる恰好にいますぐ着替えろ」

「さっそく? 今日からホスト?」

「似たようなもんだ。いいからついてきな」

 まずその、めでたいピンク色の頭ン中をきれいに洗い流せ。そう怒鳴ってやるのさえ面倒だ。

「ふぅん……また闇バイト?」

 パーカーを羽織りながら後藤が言った。パーカーの柄がやたら派手だ。目が合うと、後藤は目をほそめて笑った。

「前とはべつのチームがいいなあ、できるなら」


 わたしは驚いた――後藤が行先を言い当てたことに。そして内心の驚きを外に出さないよう、表情から感情を消した。返す言葉を探しながら、後藤の表情を読む。得体の知れない不安が湧くのを感じる。仕留めかけていた獲物に、急に噛みつかれたような気分だ。

「……後藤さん、あんた、仕事を択べる立場か? だが理由ぐらいは聞いてやる――なんで前のチームじゃだめなんだ?」

 ゆっくり、わたしの出せる最大限低い声をつかって問うた。窮鼠が噛みついたところで、そんなものは片手で払いのけてやる。

 後藤はふやけた表情のままだ。

「だってあいつら仕事が雑なんスもん。そのうち人を殺すよ、あいつら。あー、もうとっくに殺しちゃってるかもなァ……海棠さんも、あんなのといつまでもツルまない方がいいんじゃないスか?」


 にやけ顔の後藤から目をそらさなかったのは日頃の鍛錬のたまものだ。こういうときこそ、引いたら負けだからだ。

 コイツの言う「あいつら」はたしかに、3月みつきほど前の仕事で、押し入った先の住人をあっさり殺しやがった。殺しと盗みとでは、警察の本気度がぜんぜん違う。そのせいでいずれ彼らが捕まったとしても自業自得で、わたしの知ったことではない。わたしはと言えば――たとえ警察が彼らとわたしとの関係にまで辿り着いたとしても罪に問うにはいささか材料不足。とはいえ懸念事項ではあって、後藤の言うとおり、すっぱり手を切る方が賢明かもしれないとは思う。

 いやそんなことより問題は、後藤がなにやら勘づいているらしいことだ。


「殺し……? はっ、やつらにそんな度胸があるものか。要らねえ心配だ」

 ばかばかしいって顔で笑いとばしてみせる。コイツ、どこまで知ってやがる?

「お言葉ですがねェ、海棠さん」

 後藤が他人事みたいにかるく言う。

「人を殺すのに度胸なんて関係ありませんぜ。ただあいつらが、スマートじゃねェってだけのことでさ。無能だからうっかり殺しちまうんだ。そんなのと組んで、ババひくのはやだなあって話」

 身支度を済ませて後藤はわたしの前に立った。

 件の強盗殺人はテレビや新聞でも報じられているからコイツが知っていても不思議じゃない。だがそのとき着ていた服はすべて処分させたし、顔はマスクと帽子で隠していた。だがやつらのちょっとした会話からコイツが勘づいたとしたら……? だがぜったいにあのことは口に出すな、記憶からも消し去れ、となんども念を押したのだ。だが低能のやつらはそんなこと守らないかもしれない。だがそうだとしても、こんなぼんやり野郎が事件に勘づくってことはないんじゃないか? だが、だが……。

 さっきから後藤はわたしから目を離さない。たださえ小柄な体をまるめて、下からわたしを見上げている。

「…………わかった。念のためだ、あのチームとの仕事はやめておこう」

 わたしは咳ばらいをする。後藤はおおげさに胸をなでおろす。

「ありがてェ。いやあ、よかったよかった」

 それからまた上目遣いでわたしを覗きこむ。わたしは睨み返すが、後藤はまったく気づかない風にのんびりつづけた。

「あー、そうなると今日の返済はできないなァ。これは弱りましたねェ……どうしましょう、海棠さん?」

 臓器だ。とっとと臓器をとり出して、回収を終わらせ口も封じてしまおう。多少のリスクは背負ってもやるしかない。コイツを生かしておく方がハイリスクだ。


「仕方ない。今日のところは待ってやる。その代わり、すぐべつの仕事探して金を稼がせるから、そのつもりでいろ」

「うわっ、さすが海棠さん、やっぱりあんたァいい人だ。この恩は忘れませんぜ。男・後藤太一、誓って忘れませんよォ。とか言って、最近記憶力も怪しくなってきたんスけどね、あはははは。まったく、歳ですな、は、は、は」

 帰ったらさっそく病院の手配だ。コイツが余計な考えを起こす前に。

「物忘れするもんだから最近は、はメモして残すことにしてんスよ、だから忘れたって大丈夫、も書いてますから、あはは、は。あ、オイラが死んでも心配御無用。インターネッツに保存して、オイラになにかあったら開けろって、鍵は両親と、離婚わかれた妻に教えてあるからさ、オイラに代わってきっとはずですよォ、あは」


 ……こいつに闇バイトをさせたのは軽率だったかもしれない。たしかにひとをうわべで判断するのは危険だ。特に我々のような、ひとつの失敗が命取りになりかねない綱渡りの稼業では。

 急いで対策を練らねばならない。今夜も胃薬は必須だ。



(第3話おわり。第4話へつづく)


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