第2話② やたらドラマチックな婆さん 後編


📞📞回答パート📞📞



「金は?」

 ガラス戸を開けた婆さんが皺だらけの顔をしかめる。わたしは気にせず中に入る。

 後ろ手で戸を閉めると、建て付けのわるいガラスが乾いた音をたてた。

「出てっておくれよ、今日は亭主の命日なんだ。こんな日ぐらいは年寄りに心静かな一日をプレゼントしてくれたっていいだろ?」

 婆さんの文句を無視して、わたしは靴を脱ぎ上がる。耳などもたないように。


 入ってすぐ左の和室には仏壇。ちびたロウソクに火はついていない。お供えのつもりだったのか牡丹餅の残骸がザブトンのうえに散らばっている。

「まえ来たときも、命日だって言ってたぜ?」

 婆さんはザブトンのうえのチリを払って座るとリンを2回鳴らした。元気な音だ。それからふり返ってわたしを見上げる。

「あらそうだったかね?」

「ひさ子さんの嘘にはもう慣れちまったがな」

 鈴の音がまだ高く残っている。いい鈴だ。

「なんにも知らないんだね。月命日っていって、毎月やってくるんだよ。これだから最近の若いもんはさ」

 ひさ子婆さんはマッチを擦って、ロウソクに火を灯した。

「ご教授ありがとよ。月命日ってのは月が替われば日付も変わるもんなんだな? ひとつ賢くなった……まえ来たときから、まだ2週間経ってねえ」

 ロウソクから火を移したタバコをくわえると、ロウの匂いがした。あの世につながる匂いだ。婆さんは線香を手にする。五本まとめて火をつけて、借金で首のまわらない身にしちゃ豪気だ。やすっぽい煙にしわがれた声がからむ。

「なんだい、あたしがモウロクしたって言いたいのかい? お生憎だね、あたしゃこの通りぴんぴんしてるよ」

 と胸を叩いて、

「あたしを騙して金ぼったくろうったって、そうはいかないよ」

「金なんかねえくせに」

 それが問題だ。それでも金は回収しなければならない。

「ばかお言いでないよ。この家にゃね、うちの人の残してくれた金がたんとかくしてあるんだ。あんたみたいなハゲタカがしょっちゅう来るおかげで、気もやすまらないったらないよ、まったく」

 たしかに婆さんの旦那はたんまり残した。金じゃない。借金を、だ。婆さんの余生ぜんぶの年金でも足りないだけの。

 婆さんがまた鈴を鳴らす。チン、チン、チィンとせわしなく音が響く。

「わかったらとっとと出てっておくれ。あんたには一文だってくれてやるつもりないんだ」

 タバコの煙と線香の煙がいっしょくたになって、いよいよ婆さんの理性をあの世までぶっ飛ばしてしまいそうだ。

「……婆サマよ。わたしが誰だかはわかってるか?」

 仏壇を拝んでいた婆さんは念仏をやめて、考える風に首をかしげる。それは芝居なのか、それとも本当に考えているのだろうか。

「ああ、あれだろ? ほら……甥っ子のタカオ。うちのひとの、やくざな弟んとこのドラ息子。まったく親子そろってクズだね」

 やがて出てきた答えに、わたしは苦笑いする。

「その調子だ。しっかりボケるがいいぜ」

 仏壇の遺影から目を離さない婆さんの、口もとに笑みがはしったような気がした。気がしただけかもしれない。



 婆さんは要介護認定を受け、デイサービスを利用している。正確にいうと、。濡れ手に粟の保険金を業者は受け取り、その大半は我々に上納される。年金を搾りとるだけではあと五十年生きたところで返しきれない借金を、少しでも穴埋めするために我々が作り上げた、金を生み出すシステムだ。

 もちろん違法でお国にしてみりゃ許しがたいのだろうが、それはわたしの知ったことではない。国や法律なんぞいう食えもしないシロモノと、金を借りて返す客と、どちらを大切にすべきかなど――考えるまでもない。

 それにしても、保険金だけで月々の返済が足りるわけではない。足りない分は本人からキッチリ回収するのがわたしの仕事だ。ここからが本当の仕事だとも言える。


「さて、ひさ子さん。今月はまだ6万ほど払ってもらわなくちゃならん……出してもらおうか」

 わたしが言うと、婆さんはさっと顔色を変えた。さも驚愕したという風に。

「このうえあたしからむしり取ろうってのかい? あらいざらい持ってってもうウチには金目のものはなんにも残ってないってのに!」

「さっき、金はたんまりあるって言ったよな」

 無駄と知りながら指摘する。果たしてわたしの声は、婆さんの耳に届いたのかどうか。

「死んだ亭主とふたり血を吐く思いで貯めたなけなしの金を、あんたらがぜんぶ、ぜんぶ洗いざらい持ってったんじゃないか! おかげでうちのひとは心労で……っ、この人でなしっ! さあ、帰っとくれ! あんたの顔なんて見たくないんだよ、ほんとはねぇ、ほんとは、うわああぁ」

 そのまま婆さんは泣き伏してしまった。こうなったらお手上げだ。


 死んだ爺さんに財産と呼べるようなものはほとんどなかった。ほんのわずかの金目のものは、同業者たちが寄ってたかって持ち去った。もちろん契約に基づく正当な措置であって、だれに非難される謂われもない。

 もっとも、足りなかった分をきっちり回収するやり口に関しては表に出せるものではないが……こうなった責任も、借りた金を返せない彼らにある。まったくいい迷惑であって、むしろわたしが文句を言いたい。


「……あのひとはずっと働きづめでさ。一度だってふたりで旅行することもできなかった、でも店を整理して落ち着いたら、そしたら一緒に旅行しようって言ってくれたんだ。南の島だよ。派手な花柄の水着着てさ。こんな婆さんが、ってあんたは嗤うだろうね、でもうちのひとが島へ行こうよと言ったとき、あたしもあのひとも結婚したてのひよっこみたいに笑いあったもんさ。あのひとの目にはねえ、きっとあたしは娘っこみたいに映ってたんだ、あたしだってそうさ、うちのひとは出会った頃のまんまに眩しく見えた、ああ、ほんとにあのときあたしたちは幸せの一歩手前にいたんだ。わかるかい? ええ?」

 婆さんの眼が細くなっている。話が長くなりそうだ。ザブトンは余ってないから畳にじかに座って、2本めのタバコに火を点けた。

「それを、あんたらがみんな奪ってっちまった。あのひとは最後まで立派だったよ。いま思い出してもほれぼれするさ」

 遠い目をして天井を見上げる。ところどころ黒ずんだ天井のクロスは、ふたりで紡いだ数十年のドラマの証人だ。

「借金のカタにあたしをやくざが攫おうとしたのを、あのひとは体を張って退けてくれた。ドスにも鉄砲にも怯まなかったね。本当の男ってのは、ああいうのを言うのさ。あのひとの腕のなかであたしは胸を高鳴らせていたよ、命の危険なんかより、あのひとに守られてるってことがうれしかったんだ。そうやってあたしは、いつになってもなんどでもまたあのひとに恋をするのさ。そんな恋を、あんたしたことあるのかい? ないだろ? あるわけないさ、本物の恋ってのはだれにでもできるもんじゃないからね、でもあたしらはしたのさ、ああ、まったくあのときあたしは恋してた、恋に命を燃やしていたんだ」

 婆さんの眼は輝きを増した。もう涙はない。身中の熱がすべてかわかしてしまったかのように。


 婆さんのスイッチが切れるまで、思うようにしゃべらせてやろうと、わたしは足をくずす。タバコの煙が天井のあたりでくすぶる。仏壇のろうそくも、線香もとうに尽きている。婆さんの話はもちろんほとんどすべてがデタラメだ。

 彼女自身、なにが真実でなにが嘘だか、混然としてもう判別できなくなっているんだろう。はじめは介護保険の資格を得るための芝居だった。芝居に酔っているうち彼女の頭は恍惚に沈んだ。

 そう仕向けたのはわたしなのか、それとも婆さん生来の虚言癖のせいなのか。仏壇のまえに置かれた遺影は、いつ見てもしょぼくれた爺さんだ。恍惚境の婆さんはいま幸せなのか否か。

 今月分残り6万をどうやって婆さんのフトコロから搾り取るか考える。こんな攻防が、婆さんが死ぬまでつづく。

 滔々としゃべりつづけている婆さんに、長生きしろよ、と声かけた。婆さんはいっしゅん話を止めてきょとんとしたが、にっと笑ってすぐまた妄想語りをつづける。わたしは3本めのタバコに火を点ける。



(第2話おわり。第3話へつづく)


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