4章

第35話 二つの世界

「アキバ……いや、リノス、か……!?」


 黒染めしたが、色落ちしてしまっているような金髪を久しぶりに見た。

 見た目はアキバだが、その中にいる魂はリノスだろう。

 ……戻ってきた。


 今の俺はドットの体ではなく、俺=トンマの体で――。

 気を抜いたら、閉じていた手が開いていたらしい。

 それとも、目の前に見えた赤色に動揺しているのかもしれない……、体は正直だった。


 からん、と床に落ちる高い音。

 見れば、血が付着したナイフが落ちていた。

 ――俺が今、握り締めていたものだ……。


「え?」

「っ、こっち!!」


 腹部を手で押さえたリノスが、足を引きずりながら俺を引っ張る。

 学校の廊下。

 近くの階段を下りるようだ。リノスはひとまず進めと、痛みに堪えながら訴えていた。

 決して早い動きではない……、彼女の表情が、激しい苦痛を想像させる。


「わ、分かった、俺が背負うから、リノスは指示をくれ。急にこっちに戻されたから状況がまったく分からねえし!」

「でも、背負ったら……わたしの血が、トンマくんの背中に……」

「そんなもん、気にしてる場合か!!」


 怪我に気をつけながら、それでも素早くリノスを背負い、階段を下りる。

 ……昼間なのに薄暗い廊下だった。


 平日であれ休日であれ、学校内には誰かしらいるものだけど……、誰もいないかのように気配がない。

 ……誰もいないなら、誰がリノスに怪我をさせた? 信じたくはないが、ドット…………なのか?


 だって、ドットは、向こうの世界で、食人鬼の王となり『元凶』扱いされていたリノスを、救い出そうとしていたじゃないか。

 中身はアキバだが、ドットはリノスだと思っていたはずだろう……、だから助けようとしていたのだ。


 テトラ、ルルウォン、ターミナルを伴って……少人数で食人鬼の国を目指していた。

 大切な人なんじゃ、ないのかよ……っっ。


 ――もちろん、ドットのことを一ミリも知らない俺が、知ったようなことを言っても真実味はない。

 血だらけのリノスの前に立っていた、ナイフを持ったドットこそが、本当の関係性かもしれない……けど。


「……わたし、ドットに、嫌われちゃった……っ!」


 耳元で呟かれたリノスの言葉は、たぶん俺に言ったものではない。

 慰めてほしいから吐露したものでもないはずだ。


 ナイフで刺され(……たのか?)た痛みよりも先に、ドットに嫌われたことをまず後悔している……、なにがどうなってナイフで刺される状況になったのかは予想がつかないが、こうなる以前は、仲が良かったのだ。恋人でも、片想い中でなくとも、友達だったのは事実だろう。


 友達をナイフで刺す理由? 嫌われたから?

 ……それはやり過ぎだ。恋人から浮気をされて許せなくて……だったならまだしも……。


 友達関係のまま、刺すほどの怒りが生まれるとは思えない。

 強い執着がなければ機能しないだろう。


 それが相手に向けられたものなのか、達成するべき別の目的があったのかは定かではないけれど。


 ――学校を出る。

 血だらけのリノスを背負って、というのは勇気がいる行動だったけど、思っていた不安は杞憂だったようだ。校庭には誰もいない。


 校門から外を覗いても、車通りどころか人通りもなく……世界から、まるで人が消えたみたいだった。


「なにが起こってる……? まるで取り残されたみたいに、俺たちだけしか、この国にはいないみたいに――」

「……実際、いないんです……ドットは、世界中の人たちの、『総入れ替え』を、しようとしているから……」


 総入れ替え?


「……あっちの世界を見ましたよね? 飢餓に苦しむ食人鬼が、がまんの限界を迎えて、人間を食べようとしているって……」

「ああ、今では人間は地上から追放されて、船の上で生活を強いられている……、お前の『本体』が食人鬼の王として君臨していたけど……知ってたか?」

「そんなことになってるの……? アキバって人は、わたしよりも姫としての資質があるみたいですね……」


 姫か……今は王になっている。

 王というか、天才だからな。

 王は、誰でもなれるかもしれないけど、天才は誰でもなれるものではない……、王は肩書きだけど、天才は実績だ。


 王が結果を残せば、天才になれるのかもしれないけど。


「総入れ替え……、確か、委員長が前にそんなことを……」


 もしかしたらその時点で、委員長には見えていたのかもしれない――。

 ドットの目的が。


「……トンマくん、この世界はとても平和ですね……、食べ物があるし、娯楽もある。暴力は少なく、戦争も起きなくて……」


 そうだな、見えている部分は。


「まあ、ネットを覗けば、陰湿な攻撃はたくさんあるけどな……、規模は小さいけど、あれも戦争みたいなもんだろ」


 そういう意味では、日本も常に、内側では戦時中とも言えるのではないか?


「それでも、こっちの世界の方が平和ですよ。そして住みやすく、豊かで、表面上はみな、仲良く暮らしているから――」

「だから入れ替える、ってことか? 食人鬼の脅威に怯えている向こうの世界の全員を、こっちの人類と入れ替えて――脅威のない世界で暮らそうって?」


 確かに、トレジャーアイテムがあれば可能かもしれない。

 だが、起動には魔力が必要だ。一人、二人分なら、入れ替わった際の魂に乗った分の魔力でなんとかできるかもしれないが、人類の総入れ替えを企んでいるなら、魔力が圧倒的に足りないはずだ。夢物語は夢のまま、絶対に達成できない――。


 中途半端にお互いの世界の人類が入れ替わっているだけである。

 その状況を良しとするのか、首謀者ドットは。

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