第34話 急旋回

 振り下ろされた見慣れたトンカチ――ごぉんっ、という頭蓋骨に響いた音が聞こえ、振り向けば俺に向かって倒れてくる食人鬼がいた。


 慌てて横へずれ、倒れる食人鬼を避ける。

 その食人鬼は、倒れたまま動かない……脳震盪でも起こしているのだろうか?

 それとも、一時的に行動を不能にするやり方でもあるのか?


 見れば、トンカチの衝撃で、頭部が少しひび割れている……ただ、これは被った灰が固まっていたため、それにひびが入っただけだろう――頭部が割れたわけではない。

 トンカチで人の頭を割れるとは思えない……それは力の問題ではなく、気持ちの問題で。

 覚悟を決めても変に力が入って上手く割ることはできないだろう……、冷静に、的確に頭を割る必要があるが、それが難しい。

 少なくとも、高校生にできることではないはずだ。


「…………誰だ」


 食人鬼を挟んだ向こう側には、人影がある。

 近づいてくれば霧の有無は関係ない。やがて顔が見えてくる――当然、知らない顔だ。

 だけど面影がある。どっちにも。だからすぐに分かった。

 彼女は。


「アキ、バ……っ!」


 綺麗な金髪だった……リノスの元の姿だ。その髪は肩で切り揃えられている――お世辞にも丁寧とは言えない切り方で、追い詰められた末に乱暴に切ったような後が見て分かった。

 そして、フレームのない丸メガネをかけていた。アキバは、元の世界でもかけたことなどないはずだけど……、リノスが元々かけていたのだろうか。

 だけど入れ替わったリノスは目が悪いとは言っていなかった……、入れ替わったアキバの視力を引き継いだから、わざわざ言わなかっただけか――。

 ともかく、リノスの元の身体は小柄だ。


 それでも今の俺よりは大きいので、結果、アキバとの身長差は元の体同士と変わらない。

 やっぱり見上げる体勢だ。

 だからこそアキバだと分かった、とも言える……目線の差が、本来の俺たちの差と同じで――。


「アキバっ、お前っ、一体ここでなにをして、」

「そんなことよりトンマ、この鬼、すぐに立ち上がるけどどうする?」


 鬼? ああ、食人鬼のことか……まあ、略するなら鬼だろうけどさ――、一瞬、なんのことだか分からなかったぞ。


「え、どうするって、……お前っ、策があるから出てきたんじゃないのか!?」

「なんにもないよ。考えてなかった、考えもしなかった。だってトンマがピンチだったから咄嗟に出てきたわけだし、このトンカチも足下に埋まってたからついでに持ってきただけで――これからどうするかなんて知らないよ。トンマ、どうする? なんとかして。じゃないと鬼に食べられちゃうよ」


「なんとかして、って、お前な……っ、無茶ぶり過ぎるだろ! 考えるけどさ……あと、よく俺のことが分かったな、この見た目で俺だって特定する情報なんてないだろ」

「うん、勘だもん。きた人みんなに言うつもりだっただけ」


 そのやり方ですぐに俺を引き当てるところはアキバらしい。

 そんな雑談をしている間にも、頭部に衝撃を受けて倒れていた食人鬼が動き出した。

 またトンカチを振り下ろして動きを止める――のは、あてにならないか。食人鬼だって学習しているはずだ。

 それに、相手をダウンさせられたのは運が良かっただけだ、技術で倒したわけではない。

 二回目のまぐれは、期待しない方がいい――。


「――いや、無理だろ、逃げるしかない」

「それでもいいけど、逃げるのも大変だよ、結構速いし、この鬼たち」

「知ってる。さっきまで車で逃げてたんだ……走って逃げられるとは思えない」

「倒せない、逃げられない……じゃあどうするの?」

「どうするの、どうするの、って――なんでも俺に聞くな! お前も考えろよ!!」

「じゃあ囮作戦。トンマじゃなくてもいいけど、私がやろっか? 逃げるのには慣れてきたし」

「却下だ。ふざけんな。誰かを犠牲にして逃げるのは違うだろ」

「ほら、こうなるじゃん。だからトンマに任せてるのにさ……。このように、無駄な問答が一つ増えましたっ、非効率が相変わらず好きだよねえ」

「好きなわけじゃねえ。……っ、トレジャーアイテム!!」


 すぐに忘れてしまうが、この世界にしかない便利な道具があるじゃないか。使い勝手は限定されてしまうものもあるが、汎用性が高いアイテムもある。

 使い勝手がいいアイテムは、一発逆転を狙える、とは言い難いけれど、時間稼ぎ、もしくは起点に使うことができる――。


 ターミナルのブーツは壊れている、ルルウォンの磁力は、これこそ機会が限られているし、俺の伸縮する棒は、決定打には欠ける。

 テトラの爆弾が、中では最も攻撃力があるけれど、巻き添えを喰らう危険性もあり……、他のアイテムは、足止めに使うには一工夫が必要だ。

 ただ、一工夫さえできれば、この状況でも食人鬼を行動不能にできるのではないか……?


「トンマ、思いついた?」

「いいや、まったく」

「でも、楽しそうな顔してたよ」


 え? ……自覚はなかったけど、そんな顔をしていたらしい。

 ハッピーとモナンも、うんうんと頷いている……こんな状況で?

 俺は、楽しそうにしていた……?


「私との再会がそんなに嬉しかった?」

「……否定はしないけど」

「素直じゃなーいっ」


 アキバの人差し指が俺の頬を凹ませる……ええいっ、鬱陶しい!

 こっちはお前の無茶ぶりで考えることが多いんだぞ!

 時間も限られている。こうしている間にも、食人鬼が…………――あれ?


「襲って、こない……?」


 さっきまで、俺たちを食糧だと思っていたのに、急に食欲を失くしたように――立ち止まっている。

 興味がない? ……まるで、人が変わったみたいに。

 人が、変わった……? いいや、戻ったのか?

 魂の入れ替わりが、元に戻って――――。



 不意に、景色が途切れた。



 ぶつ、とテレビの画面を消したように暗転したかと思えば、一瞬後、再び景色が見えてきた。

 脳が不具合を起こしたのか、激しい吐き気に襲われ、視界が歪むことで引き起こされる頭痛を経て、ゆっくりと体調が戻っていく……。


 やがて見えてきたのは、見慣れた景色だった。


 異世界とは思えない久しぶりの場所——学校の、廊下だった。


 懐かしい……と、じっくり目を慣らす時間もなく、予測不能の事態が目に飛び込んでくる。

 視線の先には。

 血塗れの、アキバの姿があった――。

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