第32話 霧の先

「俺たちの世界の魂が入った食人鬼は、やっぱり水城さんだけじゃないんだ……っっ」


 敵が増えている。

 やがて、俺たちを無視している食人鬼も俺たちを襲うようになるとすれば、安全地帯どころか、全てが危険地帯に早変わりだ。

 反面、長年苦しめられたこの世界の人たちからすれば、やっと一息つける状況ではあるが……だけど、食人鬼が入れ替わっていながら他の人たちが入れ替わらない――なんてことがあるのか?


「……入れ替わり……ランダム……? 誰かを探して入れ替えようと……? そうじゃなくて、『みんな』を……? ――もしかして」


 激しい揺れの中でも、委員長は顎に指を添え、考え込んでいる。

 委員長視点からの推理は助かるが、モナンが横を見ていない分、委員長にも周りを見ていて欲しかった。

 結局、俺一人で周りを警戒している――。


 努力はするけど、死角からの急襲には反応できないぞ!?

 仮に反応できても、ハンドルが切れるかどうかは別の話だが……――そこはハッピーに頼るしかない。


 ばんっ! とすぐ傍で音がしたと思えば、扉に指をかけた灰被りの食人鬼が、車に乗り込もうとしていて……ッ。

 両手で突き飛ばす。扉にかかっていた指先が外れ、落下した食人鬼は縦回転をしながら後方へ――車体の速度が早いからあっという間に遠ざかっていく。


 扉の外を覗き込んでみると、地面と同化していたせいで分からなかったが、うじゃうじゃと、食人鬼たちが目を覚ましていた。

 ――起き上がって追いかけてくるということは、魂は俺たちの世界の――。


 蓋を開けてみれば一般人のはずだが、飢えの極限状態で、肉体のセーフティが解除されているのだ。

 肉体が食人鬼なら――、できることも増えている。


 魂が体を動かしているのではなく、本能が体を動かしている……。元の世界では平凡な人でも、食人鬼の体を使えば非凡な動きをすることができる。だから荷台に飛び乗ることも、可能なのだ。


 ――がくんっ、と、車体が後ろへ傾いた。

 振り向けば荷台に立っていたのは、食人鬼である。

 灰被りで見えない口元が、歪んだ。

 餌を見つけた喜びなのか――口元だけの笑みだった。


「入れ替わり……を、利用した――全人類、総入れ替えって線は…………」


 気になることを呟いた委員長だったが、質問することはできなかった。

 車体が横転したのだ。

 大地の高低差にタイヤが取られて――というのは、ハッピーの意図的な行動だった。

 荷台の食人鬼を振り落とすために。


 実際は、食人鬼と共に俺たちも車内から外へ投げ出されてしまったが――。

 落下の途中で、ハッピーの強い声が聞こえてくる。


「地面の窪みに隠れろ!!」


 地面に倒れただけでは転がった車体に潰される。

 だからすぐに、見えた隙間に体を潜り込ませた。

 咄嗟に横のモナンを掴んで、同じく隙間に引っ張ったが、俺が通れても、モナン――ルルウォンでは入れない隙間だった。


 大きさを誤解していた。俺が入れるからルルウォンも通れるのだと。そう言えば俺はドットであり、そのサイズは幼い少年なのだ……潜り込んだ隙間はかなり狭い。

 はみ出したルルウォンは、このままだと車体に押し潰されて――。

 いや、まだだ。


「悪い、モナン――ちょっと触るぞ!」

「先ぱ、ひゃっ!?」


 彼女のポケットに手を突っ込み、持っているはずのトレジャーアイテムを探す。手に掴んだものが『それ』であると決めつけ、起動させる。それは、磁力を発生させるトレジャーアイテムだ。


 以前、滝の上から飛び降りた俺とターミナル(本物)を救ったアイテムだ。ルルウォンのことだから、管理せずにテキトーにポケットに突っ込んでいるだろうと思って探ってみれば、まさにその通りだった。

 別の効果を持つアイテムの可能性もあったが……ここは運だ。天に任せる――。


 そして、磁力によって反発した車体が、俺たちを避けるように落下地点を変えて飛んでいく。

 そこにハッピーたちがいた、というオチもなく――。

 窪みからそっと顔を出し、外を覗いてみれば、車体が食人鬼を下敷きにしていたらしい。

 車は大破だ。タイヤが取れてしまい、ころころと転がり、ばたっと倒れた。

 あーあ、素人ではどうしようもなく直せない状態だ、もう走れない……。

 ここから先は、俺たちの足しかない。


 窪みから体を出し、周囲を警戒しながらハッピーと委員長を探す。

 たぶん、近くの窪みに潜り込んだとは思うけど……。


「……先輩、あの状況なら仕方ないことですけど、あたしのお尻、触りましたよね……?」

「お尻のポケットにしまってあると思ったからな……、いいじゃん、モナンのお尻じゃないんだし。ルルウォンが怒るなら分かるけど」

「でも触られた感覚はあたしにきてるんですよぉ!!」


 恥ずかしかったのか、耳まで真っ赤にしたモナンが、窪みから出てこない(体ははみ出てるけど)。

 危機的状況だったので、触っていながら、俺はなんとも思わなかったけど、モナンの方はちゃんと正面から受け止めたらしい。

 不意に触られたら、そりゃ嫌だよなあ……。


「緊急だったとは言え、ごめん」

「先輩じゃなかったら訴えてますからね」


 訴え……っ、でも、あれ? ってことは、許してくれてる?

 怒ってるように見えても、怒ってはいないのかも。


「恩人にお尻を触られたくらいで怒るほど、あたしは恩知らずじゃないですよー?」

「俺だって、恩を作って尻を触るような男じゃないし……」


 恩人としては、絶対にやっちゃいけないことである。

 こんなことで信用を落とすのは、裏切り行為だ。

 すると、別の窪みから出てきた少女がいた。


「……ふう、そうやって漫才ができているなら無事ってことだよな――早く移動するぞ。車を捨てたなら、次は足で距離を稼ぐしかない。早めに動かないと追いつかれる」


 ターミナル=ハッピーだった。そんな彼女の肩の上に担がれているのは、テトラ=委員長だ。

 ハッピーの手の平で委員長のお尻を支えているので、担がれた委員長の顔は後ろに向いている。


「だ、大丈夫だから、もう下ろしてよ葉原さんっ」

「ダメだ、おまえはボケっとして、すぐに殺されそうな気がするから、アタシが管理しておく」


 委員長の持ち味は洞察力だ。つまり頭脳、である。

 肉体労働を得意とするハッピーに担がれ、移動してもらえば、両者の長所だけを活用できるのではないか……。

 ハッピーがバカだと言っているわけではなく。

 委員長が凄過ぎるだけなのだ。


「漫才……え、夫婦?」


 モナンが頬の熱さを両手で確かめながら。


「おい、夫婦漫才とは言ってねえよ。あと、トンマ、これ、地図だ――読み方は分かるか?」


 委員長が持っていた地図を渡されるが――もう必要ないだろう。

 食人鬼の国が目的地だが、地図によれば、ここから距離はそう遠くはないはずだ。

 実際――見えている。


 距離があっても、目的地が見えているなら、方角を間違えることはない。

 選んだルートによって過酷さに差が出るとは思うが……。

 食人鬼の脅威が戻っている以上は、どこを選んだところで、危険度は同じな気がする。


「霧の先の黒い影……あれがたぶん、国、なんだろうな……」


 遠目からずっと見えていた霧だが、さっきよりも薄くなっている気がするのは、目が慣れたからか? ともかく、方角は影が見える方だ。

 道中、どんな道になっているのかは、もう少し進まないと分からない……。

 周りが平地だからこそ、障害物がないから影が見えたのだ。


 その国はもしかしたら、平地のど真ん中にぽつんと存在しているのかもしれない――オアシスのように。ただその中身は、オアシスとは言えない、食人鬼の巣窟なのだけど。

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