第31話 飢餓の支配
その時だった。
隣にいた水城さんが震え出した。
口元を手で押さえ、気分でも悪くなったのかと思えば……――滴る水滴。
それは彼女の口から出た、膨大な量の唾液だった。
中身が入れ替わっても飢餓状態がリセットされるわけじゃない。
入れ替わったばかりだった魂が肉体に定着したことで、肉体の欲が魂を飲み込んだ……!?
水城さんは食人鬼として、活動を再開させ――。
「水城さ、」
「トンマくんダメっ、離れて!!」
水城さんの手が俺の首を掴んで、座席に押し倒す。……俺たちは狙われないはず、だけど、それは異世界の魂を食人鬼は食糧と判断しないためだ。
だが、俺たちと水城さんは同じ世界の魂である。そう、『食人』鬼だ。同じ世界の人間なら、水城さんは食糧として認識する。
たぶん、水城さんはこっちの世界の人間を食糧とは判断しないのだろう……、ついさっきまで、俺たちが受け取っていた恩恵はここで逆転する――。
食人鬼の脅威が、再びやってくる……!!
「悪いな、おねーさん」
運転席から飛び上がったハッピーが、水城さんの顔を蹴り上げる。
そのまま車外へ落下した水城さん――いや、食人鬼。
彼女はもう理性を失くし、ひたすら食糧を求める存在になってしまった。
「うっ、げほ、かっ――」
「先輩っ、大丈夫ですか!?」
モナンが声をかけてくれるが、返事もできない……っ。
一瞬だったが、それでも意識を奪われそうな力だった……。
食人鬼に組み伏せられたら、終わりだ。
「車、出すぞ、しっかり掴まってろ!!」
ハッピーによってアクセルが踏まれた。
ぐんっ、と車体が前へ。手を伸ばしていた食人鬼を振り切って、最高速度で先を急ぐ。
もしもこの先、水城さんのように入れ替わった魂を持つ食人鬼がいれば……。
俺たちは安全ではない。
そしてそれは、食人鬼の国にいるアキバも、例外ではないのではないか……?
後方から追いかけてくる水城さん――否、飢えに飢えた理性を失くした食人鬼である……。
アクセル、べた踏みで最高速度で走っていながら、相手を撒くことはできていなかった。
目視できない距離を取っても難しいか……、相手の足は止まらない。
それに、なによりもエンジンの音が大きい。
音がある限り、逃げても、どこまでも追いかけてくるだろう。
「ちっ! 地形が悪いから、全速力で走れねえ……ッ、バランスを崩したら最悪だぞ!」
さっきから上下に跳ねて、危険な運転だ。だが、仕方ないのだ……、平地だが凹凸の激しい道を進んでいる。オフロードに適した車でなければ今頃、車は動かなくなっていたかもしれない。
この車だから耐えられている……。バランスを崩して横転でもしたら、さすがにこの車でも起き上がることは難しいから……、かなり気を遣って走る必要がある。
免許を持っていなければ慣れたドライバーでもないハッピーに、『気を遣いながらも全速力を出す運転』を求めるのは酷だろう。今でも充分な働きをしてくれている……。後方から食人鬼が迫っていることに文句を言うつもりはないが、焦りからか、俺たちの声はハッピーを急かす言い方になってしまっていた。切羽詰まっていると言葉を選んでいる余裕がないのだ。
「早く早く遅いですよ葉ぁ先輩っ、手ぇ抜いてんですか!?」
「好き勝手に……ッ、こっちは全力でやってるっての!!」
モナンは先輩への怯えも忘れて、ハッピーにびしびしと指示を出していた。
指示よりも横を警戒していて欲しいが……俺の目だけでは全方位はカバーできないし……。
モナンの分も周りを警戒しながら――そこで見たもの。
「……水城さんだけじゃない」
気づいてしまった。
さっきから、食人鬼とは何度もすれ違っているし、景色を見渡せば分かりにくいだけで、そこら中にいる。食人鬼の国へ近づいている証拠だ。
砂漠のようになにもない景色だ。以前までは広大な森がここにあったのだと分かる痕跡が残っている……、しかしあった森は全ては枯れ、食べられたのかもしれない――。
食糧にならなくとも、気を紛らわせるために口に入れた、というのであればあり得ない話でもない。森の草木は食糧にはならないが、それでも食人鬼たちにとっては飢えをしのぐための気晴らしにはなったのだ。
口になにかを入れていれば、一瞬だけでも、空腹を上書きできるかもしれないから――。
広大な森が消えたことで、世界の一部に大きな空白が生まれた。それがここ――なにもなく、しかし凹凸が激しい平地である。
飛び出した大木の根や大地の高低差が、車を上手く走らせてはくれなかった。
開けた場所だからよく見える。俺たちに一瞥しながらも興味を持たない食人鬼と――俺たちを見つけて重い腰を上げた食人鬼が……――差が歴然としている。
水城さんとは別方向から、俺たちに突撃してくる、食人鬼が――!!
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