第23話 異世界人

 自動車は置いていく。

 食糧さえ積んでいなければ、食人鬼が興味を持つこともない。

 仮に他人がこの車を見つけ、エネルギーを充填したとしても、ターミナルが持つ鍵がなければ動かない。ここに放置しておいても問題はないわけだ。

 駐車禁止! なんて言える余裕があるなら、平和な証拠である……。

 少なくとも、現状では禁止なんてないようなものだろう。

 それでも最低限、荷台にあった布を被せて――背景に溶け込ませる。

 帰りも利用することを考えれば、乗り捨てるのはもったいない。


「うわあ、いっぱい――いますね……。あれが食人鬼なんですか?」

「そうか、モナンは見るのが初めてなんだったな……。ゆっくりな動きに見えるけど、餌を見つけたあいつらは速いから、気を付けろよ」


 俺も最初は騙された。

 緩慢な動きでゾンビをイメージするから、先入観が命取りになる。


「まだ夜時間ではないからな、比べればマシだが……それでも油断はするな。食糧不足で体のエネルギーを節約しているだけで、食糧を目の前にすれば、急遽、昼夜逆転して襲ってくる食人鬼もいる――。食人鬼によって、行動基準は変わってくるんだ。夜時間なんて言い方も、油断を生み出す先入観になってしまうかもな」


 夜に活動する食人鬼が多いから(気温も低いし、使うエネルギーが少ないから、らしい……食人鬼によっては昼間に動く個体だってもちろんいるのだ)、人間が食人鬼が活発に動く時間を『夜時間』と呼んでいるが、こんなもの、人間が作った基準だ……。

 当然、それに従う食人鬼でもなく――例外は存在する。


 貴重なエネルギーを使ってでも欲しいものが目の前にあれば、考えなく飛びつくのは、食人鬼も同じである。

 夜だろうと昼間だろうと、警戒は怠れない。


「それでも、夜に比べれば注意力は散漫だろうからな……私たちが動くべきはやはり、昼間だ」


 ターミナルが先導してくれる。

 見つからないよう、ゆっくりと廃墟に足を踏み入れた。

 障害物は多いが、その分、死角から襲ってくる食人鬼もいるだろう……。今後、ゆっくりと呼吸を整える場所があるとは思えない――だからここが、最後の休憩場所と思わなければ。

 俺たちは物陰で一旦、止まり……、ターミナルが振り向いた。


「……トンマ、シズク……ナンコ――」

「どうした、ターミナル?」


「私はマスター……ドットに仕えている騎士だが、この旅では『お前たちを守る』ことをここに誓おう。お前たちの体はマスターだし、他の二人も、気に入らないが、それでも仲間の体だ……傷つけるわけにはいかない。食人鬼に食べられるわけにも、だ。……お前たちのピンチには、私が駆けつけるが、しかし私のピンチにお前たちが動く必要はない。一目散に、前へ逃げろ。――特にトンマだ、私のために余計な行動を起こして、マスターの体を壊されたら……。――私は化けて出て、お前を呪うからな」


「え、でも、さ――」

「なにも知らない異世界人になにができる? ここは私に任せておけ――お前たちは自分のことだけを考えていろ」


 じゃあ、いくぞ――と。

 意見を受け付けない瞳で俺たちを見るターミナル……。

 確かに、生存確率が最も高いのは、俺たちはなにもせず、ターミナルに任せてしまうことだけど……でも……。


「…………」

「ターミナルちゃん、それはダメなやり方だよ」

「そうですね、先輩にそれは、言っちゃダメですよ」

「…………お前ら、俺のなにを知って、」


『なんでも知ってるよ(ますよ)』


「…………委員長はともかく、モナンは知らないだろ」

「いえいえ、つい最近、『もう放っておいてください』と言ったら、地獄の果てまでついてきた前例を体験していますから。突き離しても助けを求めても、結局、先輩は余計なことをするじゃないですか……、どっちにしろ、止められないって学習しましたよ」


「……動いたのは俺じゃないけど、助けられているのに『余計なこと』って言うなよ……、分身の俺が可哀そうだろ」

「余計なこと、と言いましたけど、あたしの中では最高の誉め言葉ですから」


 分かりにくい誉め言葉だな……。

 そして、二人とも、俺の性格をよく分かっている。

 余計なことはするな、と言われたが、手を伸ばせる位置にいるターミナルが危険な目に遭っていれば、やっぱり助けてしまうだろう……、それくらいはいいよな?

 手を伸ばせる距離なら、異世界人だろうと関係なくできるはずだ。


「手を伸ばせる……」

「距離、ですか」

「……なんだよ、二人とも……」


 委員長とモナンがニヤニヤと……。二人ともが、イラっとする笑みである。

 俺、おかしなことを言ったつもりはないぞ……?


「だって、トンマくん――。トンマくん基準の『手を伸ばして届く距離』って、どれくらいなのかなって……。当然、言葉通りじゃないだろうしねえ」

「ですよね……、どうせうんと距離が離れていても、手が届く範囲と言って助けそうですし。屁理屈を言わせたら右に出る者がいないのは変わりませんね」


 言われ放題だった。

 同時に、俺の企みも見抜かれていて……。

 先導するターミナルに聞こえていないのが幸いだったけど。


「おい、準備はいいか? 気を抜くのもこれで最後にしろ。ここから先は本当に――あっさりと人が死ぬ世界だ」

「…………分かってる」


 世界が半壊……、それ以上もしている世界だ。

 ターミナルの脅しは、冗談ではない。

 それが分かっているから、俺たち全員に、緊張が伝染する。

 この緊張感が、注意力を最大限まで引き上げた。

 だから気づけた。

 ――乱暴な足音、だ。

 既に、食人鬼が、俺たちに気づいている!?!?


「くる!! 走れッ、ひたすら真っ直ぐに――余計なことは考えるなッ!!」


 廃墟の瓦礫は、障害物としての効果は期待できなかった。

 食人鬼たちは、乗り越える、もしくは破壊して突き進んでくる。

 自分の体が壊れることなど厭わずに、俺たちという食糧にめがけて猪突猛進だ。

 それだけ、食人鬼も切羽詰まっている状態なのだろう。


 ――飢餓、か。

 遠い世界の事情である。

 俺たちは恵まれているのだ……、普通に生きていれば、食事に困ることはないのだから。

 親の頑張りもあるけど――たとえ頑張れなくなっても、最低限の生活ができるような制度はあるのだ。

 自給自足でその日暮らしを強いられているこの世界とは、生きることの難易度が違い過ぎる。

 現実とかけ離れた世界で、生きることへの渇望はやはり、食人鬼に軍配が上がるだろう。

 ターミナルだって食糧不足の世界を生きているが……ただ、あくまでも不足であり、飢餓ではないから――持っている『欲』が、今の戦況を傾けている。


 ぞろぞろと。

 際限なく出てくる食人鬼に、あっという間に囲まれてしまった。

 俺は腰のポーチからトレジャーアイテムを取り出す。

 船の上で確認しておいたのだ、どれがどういう効果を持っているのか、以前と違って今は把握している。

 把握さえしてしまえば、誤爆を恐れずに利用することができる。

 囲んでくる食人鬼を一掃できなくとも、どこかに風穴を空けることができれば、そこから、鬼の輪から抜け出せる。


「いいや、必要ない」


 と、ターミナルが俺の腕を掴んで制止した。


「いや、でもこの状況じゃあ、」

「私のアイテムで充分だ」

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