第20話 分身のその後

 随分と前のように感じるが、俺が入れ替わる直前のことだ――。

 入れ替わりの原因のトレジャーアイテムを起動させたのが、委員長が言った『分身』である。


 俺の、分身……。当然、分身は元の世界で放置されているわけだから、あいつらはあいつらなりの生き方をしているはずだ――。

 二人の分身が、俺の知らないところで『俺』として行動し、そして新しい人間関係を構築していたとするならば。


「先輩?」

「…………」


 モナン……。この子から俺への好意は、俺ではなく、『俺の分身』へ向けられたものだ。

 それを明かすべきなのだろうけど……、――うん、言うべきだな。

 彼女からの好意に居心地が良くなっているのは事実だが、このまま(俺の分身とは言え)他人のフリをして彼女からの好意を受け取り続けるのは、ズルだ。

 モナンの好意を受け取るべきは、やっぱり俺の分身である――。

 きっと、この向けられる好意に見合うような功績を立てているはずだ……。

 でなければ、女の子が、男子でしかも先輩に、こうも懐くはずもない。


 俺じゃない。

 俺はまだ、なにも『成し遂げて』はいない。


「先輩、もしかしてあたしのこと、忘れてますか?」

「……それ以前だな、俺は、君のことを知らないよ」

「記憶喪失……? 別人……じゃないですよね。だって、こうして喋った時の落ち着く感じは、あたしを助けてくれた先輩そのものですから」


 ――助けてくれた、か。

 まあ、俺の分身だし、悪事に手を染めることはびびってできないとは思っていたけど……。

 俺がいない中で、どんなことをするのかと思えば――やるじゃん。

 誰にでも紹介できる、立派な分身だ。


「どれだけ、君が居心地が良くても、俺は別人だよ……――君を救った本人じゃない」

「――そんなの……ッ、嘘です!」


「この見た目のことを言っているわけじゃない。君を助けた俺は、俺の『分身』で――こうして『入れ替わり』を体験しているなら、荒唐無稽な話として信用できない、なんて言うわけじゃないだろ? 入れ替わりがあるなら『分身』もあるかもしれない――そうは思わないか?」


「でも……、あたしが知る先輩なんですっ――今の先輩は、どこからどう見てもっ、あたしが知る先輩ですもん!!」

「それは俺の分身だからな……、君と出会った、出会わなかったの差しかない。だから居心地が良いのもあり得るんだよ」


 彼女を前にして、『出会った』俺と『出会わなかった』俺の差は如実に現れそうなものだが、彼女からすれば同じらしい……。

 そっくり以上に同一だ。経験に差があるのに、当事者のモナンがその差が分からないのは、どういうことなんだ……?


「トンマくんの分身も、だってトンマくんだもん」

「……それは分かるけど……、分身した後の経験の差は、今に影響を与えるよ。こうして入れ替わった俺と、入れ替わっていない分身の俺との価値観は変わっているはずだ」

「うん、でもね……、それはもっと長いこと経験を積んだ後の話だと思うよ?」


 そう言えば、委員長は見ているのだ……。モナンのことを知っているのだから、俺の知らない元の世界での『その後』を、少しなら知っているはず――。

 入れ替わるまでは、委員長は俺たちの世界にいたのだから。


「数日くらいの差はね、トンマくんに影響を与えたりしないもの――。きっと、今のトンマくんが、南子ちゃんの事情を知れば、きっと分身くんと同じことをしたはずだし、分身くんが、トンマくんが経験したように入れ替わっていれば、今までの行動と一致するはず。本物と分身で分かれても、トンマくんと別人が生まれたわけじゃない。トンマくんとトンマくんが生まれただけなの。だから分身がしたことはトンマくんもするはずなの。……受け取っていいと思うけど」


 委員長は、ずばり、俺が抱く抵抗感を見抜いていた。

 なにもしていない俺が、モナンの好意を受け取るべきではない――それを否定する。


「トンマくんは別に、南子ちゃんの好意を利用して、美味しい思いをしようって魂胆はないでしょ?」

「ないよ。それをしたら本当に――俺だけじゃない、分身の立場も悪くなる」


 ――別に、分身のことなんてどうでもいい……はずだけど、一人の女の子を実際に救っている功績は認めるべきだ。

 よくやった、なんて、言ってやりたいけどな――少し上から目線か?

 功績ゼロの俺が、実際、分身以下なのかもしれないけど。

 あっちを本物とするべきかもしれないな。


「分身くんの基礎は、トンマくんのこれまでの経験値があったからなんだけどね……相変わらず自己評価が低いよね、トンマくんって」

「俺がなにかしたか? なにかを残してきたか? ……なにもない人間は評価の対象に入らないんだよ」


「(京子ちゃんの影に隠れてるだけなんだけど……。見えにくいものを『ない』ものとしちゃってるのかなあ……)」

「委員長? ごめん、聞こえなかった」

「――じゃあ、トンマくんも、分身くんに負けないような、大きな功績を残さないとねっ」


 ぼそぼそと呟いていた内容とは違うようだけど……。

 委員長の指摘はその通りなので、素直に頷いた。


「あの、先輩は……じゃあ、別人なんですね?」


 さっきまでの懐き具合が消え、警戒心が強めの瞳で、俺を見るモナン。

 これが、あるべき俺たちの関係性である。


「まあ、そうなるな……君が知る『先輩』は、元の世界にいるよ」


 いる……よな? 分身だから、時間が経てば消えるってわけじゃ……、いやどうなんだ?

 もしかしたら、モナンを助けたことで役目を果たした――として、消えているかもしれない……。だとすると、分身を追い求めていたモナンには、酷な結末である。

 また分身を出せばいい、という話でもないわけだし……。

 いくら分身を出しても、モナンを救った分身は、あの一人だけだ。


「分かりました、先輩のことは、あたしの先輩とは別の――……そうですね……兄弟だと思って接します、あなたの方が弟ですからね!」

「それはどっちでもいいけどさ……」


 あと、『あたしの先輩』ではないぞ。

『あたしが知る先輩』ではあるだろうけど……。


 聞きにくいけど、俺の分身とモナンは、『恋人そういう関係』だったりしないよな?

 後輩に手を出す――のは、まあ、問題とはしないまでも、出会って数日で手を出すのは早過ぎる。もしもそういう関係性なら、分身がすることは俺もするということだ――……俺って、そこまで軽いのか?

 モナンでなくとも、困っている人がいたら助けて、終いには手を出す可能性があると証明しているみたいじゃないか……っ。


「トンマくんは手を出したりしてないよ」

「……委員長が見ている限りは、だろ?」

「まあ、そうだけど……、でも、トンマくんはそういうことには自制があると思うよ。流されやすいっていう欠点はあるけどね」

「……それ、ぐいぐいこられたら止まらないって言っているようなものなんじゃ……?」


 そして、まさにそういうタイプが、目の前のモナンである。

 この猛攻に、分身の俺は堪えられたのか……ちょっとコツでも聞きたいところだ。

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