1章

第4話 飢えた異世界

「マスター、起きたか? 急に倒れるからびっくりしたぞ」


 赤光に包まれたのが記憶に新しい……。

 恐る恐る目を開けると、俺を覗き込む少女がいた。

 褐色の肌が特徴的だ。

 金色の瞳を持つ、黒髪で、ツインテールの少女……。年齢は随分と下に見えるな……、たぶん中学生くらい。しかし口調は落ち着いていて、年上のような風格があった。


「君、は……」

「頭でも打ったか? それとも夢でも見ているのか? 私だ、ターミナルだ。マスターの忠実なる下僕だ」


 それが事実だとしたら、よほどこっちの方が夢であってほしかったけど……。

 体を起こす。

 周囲を見ると、ここは森の中だった。

 ……頭をフル回転させる。


 分身した俺の一人に、リノスとアキバを入れ替えたトレジャーアイテムを使われ、俺はこうして、異世界へ移動したってことなのか…………?

 いや、移動じゃない。

 魂が入れ替わっている……そういう効果のアイテムだったはずだ。

 ここが森なら、確認の仕方がある。


「近くに、池とか、湖とか、あったりする……? 喉が渇いてさ――」

「ちょうどいいところに、すぐ近くにあるぞ。マスターが倒れたものだから、休める場所を探していたんだ……ここは、はぐれた他の下僕と合流するにも打ってつけの場所だな」


 彼女、ターミナルが湖まで連れていってくれた。

 する方が逆だと思うが、お姫さま抱っこで、だ。

 細い腕だが、腕力には自信があるらしい。

 彼女の格好は軽装に見えるが、急所はきちんと守られている。

 頭の兜も、小さいが、仮に狙撃されても弾丸を弾くことができるだろう……。

 軽装だが、肌が多く見えているわけではない。

 そういうところの配慮は助かった。目のやり場に困ることもないからな。


「待て、マスター。先に私が毒味をしよう」


 ターミナルが手の平で水をすくい、口に運ぶ。

 舌の上で転がすように味を見て……「大丈夫そうだな」と頷いた。


「ただ、少量だけにしておいた方がいい。喉を潤す程度だ、あまり飲み過ぎると体を壊すかもしれないからな……」

「汚い水には見えないけど……」


 透き通っていて、水中まで見えている。

 小さいけど魚もいるし、綺麗に見えるが……?


「濁っていなくとも、汚い水は汚いものだ」


 まあ、彼女はああ言ったが、水を飲むことが目的ではない。

 俺が求めたのは光の反射である。

 ……水面に映った自分の姿を確認する。


「……やっぱりか」


 赤髪の少年だった。顔立ちも幼い。

 だから目線に差があったのか。

 今の俺は、年下に思えたターミナルよりも……さらに年下か、同い年に見えた。


「? どうした、マスター?」

「いや、……やっぱり飲むのはやめておく。体を壊したくないし」

「それがいい。ただ、口内洗浄くらいはしておいてもいいだろう……飲まないなら問題ないはずだからな」


 アドバイス通り、両手で水をすくい、口に運んで口内をすすぐ。

 洗浄し、水を吐き出した。

 ……ここに訪れた人がみな同じことをしていたなら、確かにこの水を飲むのは気が引けるな……。もしかしたら、湖の外に吐き出すのがマナーだったかもしれない……失敗した。


「マスター、少し休憩しよう。マスターが思っているよりも疲れが溜まっているから、こんなことになるんだ……。自覚がなければ尚更だ。休んで、万全の状態で進んだ方がいい」

「……みんなのことは、どうする」


 俺は今、『東雲真(トンマ)』ではなく、ターミナルが知る『マスター』になっているのだ。

 素直に正体を明かしてもいいが、委員長のように誰もが親切で優しいわけではない。

 兜を被り、体の一部に鎧をつけた、戦闘準備万端の少女に打ち明けるには勇気がいる。

 彼女が慕う『マスター』の体だ、乱暴されることはないと思うが……たぶん。

 叩いて、中にいる俺を出そうと試みたら最悪だ。


 だからしばらくは、様子を見ながら情報を集め、現状を理解するのが優先だ。

 慕ってくれているのだ、彼女の忠誠心を、今は利用しよう。


「『テトラ』と『ルルウォン』なら、殺しても死なないしぶとさを持っているから大丈夫だろう。しばらくしたらひょっこりと出てきて合流できるはずだ。私たちは森から抜け出すことを考えよう――マスター、目下、考えるべきは合流ではなく、夜時間の食人鬼族の襲撃をどう回避するか、だろう」


 食人鬼族?

 と、思わず口をついて出そうになったが、重要な言葉に思える……。

 これを知らないとなれば、俺はよそ者であると言っているようなものではないか?

 だから咄嗟に口を閉じたのは、きっと正解だ。


 なんだか、見るからにやばそうな状況がこれから待っているのに、ここで見離されたらどうしようもなくなる……。ここは知ったかぶりをするしかない。

 知ったかぶりをする俺を怪しむ、という罠はないことを祈るしかないな……。


「日没までどれくらい?」

「一時間もないだろう。まだ明るいが、日が落ち始めると早いものだからな――マスターのトレジャーアイテムの残弾数は?」


 残弾数? 充填の残量ではなく? それとも同じ意味のつもりか?

 リノスが持っていたトレジャーアイテムとは、仕組みが違うのか?

 魔力を流し込めば、補充した分は自由自在に効果が出てくるものではなく……――っ、ええい! ここは全て、ターミナルに任せてしまおう。


 腰に巻き付いていたポーチを取り出して渡す。

 中にはごろごろと多くのトレジャーアイテムが入っていた。

 その見た目は、俺が知る歴史を重ねてきた遺物ではなく、近代的にデザインされた量産品のようにも見える……――人の手が入った『商品』の匂いがした。


「ちょっとしんどい……確認してくれるか?」

「そういうことなら……、構わんが。珍しいな、他人に触られたくないからと、管理はマスター自身がしていたのに――」


 そうなのか?

 さすがにそういう細かい癖や習慣は、今の俺には分からない。

 入れ替わった時に『倒れた』という前提は、俺の怪しい行動を『不調を理由』に、なんとか誤魔化せる……この理由が使えるのもそう長くはないだろう……。

 早めに、今のこの置かれた環境を理解しなければならないようだ。


「頼むよ、ターミナル」

「……責任を持って、確認する。不調なら、マスター……私の膝枕で休むか?」

「…………俺、膝枕が好きな男になっていないか?」

「は?」


 委員長の膝枕が好きなだけであって、別の子の膝枕が好きなわけではないのだが……。

 とは言ったものの――。

 いざ頭を置いてみれば、ターミナルの膝枕も、なかなか寝心地が良かった。


「なんでもない。……夜になったら起こしてくれ。……ヤバい状況だろ?」


 この質問はギリギリか……?

 しかし、こうも弱々しく質問すれば、怪しんでも邪険にはしないだろう。

 ……はずだ。


「夜は寝られないだろう? 食人鬼族が一斉に動き出す時間だからな」

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