サリアの災いを呼ぶ姫 61

「誰か……誰かおらぬか、この雷はどうしたことだ、誰ぞ……!」


サリア王ネイサンは、苛々と声をあげていた。


彼は兄アーサーの突然の病死で王位を引き継ぐまで、王位など廻ってくるとは思っていなかった気楽な遊び人だった。


兄と弟で偉い差だとは思っていたが、生まれてこのかた衣食住困ったことなどなく、王弟殿下のまま過ごしたところで同じだったろう。


妃のイザベラは、釣りあいのとれた娘ということで選び、とくにイザベラに不満もなかった。だが彼の求めに応じる美しい娘はたくさんおり、彼は政治事よりも移り気な恋が好きだった。


「何がレーヴェ神の呪いだ」


レティシアに呪いの姫の汚名を着せたのは、姪が憎くて仕方なかったというよりは、レティシアを女王にしたいものが複数いたからだ。


ネイサン殿では王として心もとない、と言われるのも業腹だった。


だがネイサンは内心は気弱な男だったので、よく知りもせぬディアナのレーヴェ神の呪いより、アーサー王やソフィア王妃がレティシア姫の不遇を悲しんで祟っているのだと言われる方が寝覚めが悪かった。


「そもそも兄上が早死にするから」


王になれたのはよかったが、サリアには疫病と不作に喘いでおり、楽しいばかりでもなかった。


当初、レティシアは国外にいてもらいたいと嫁に出したが、嫁ぎ先のフェリス王弟は若いのにこの十年で莫大な財を築いている。


アドリアナとレティシアを花嫁交換してより親密になり、財産家の彼に援助をこうべきだ、とイザベラが言い出した。


なるほど、いくらお人好しの兄夫婦の娘とはいえ、レティシアもさんざん嫌がらせしたネイサンとイザベラの為にフェリス王弟に援助は乞うてくれまい。ここは確かに実の娘のアドリアナが適任だ。


いつものように『呪いの姫レティシア』と騒ぎ出したが、何故か今回はどうもうまくいかない。


ディアナ神殿と魔法省は『王宮の占術師を改められてはいかがか? 此度の占いをした者は、疲れが溜まって、我らが祝福の姫レティシア様を見誤っておられるのであろう』と居丈高だ。なんなんだ、あの態度は。


どころか、宮殿の薔薇は枯れるわ、季節外れの豪雨は来るわ、こちらの王宮が呪われそうだ。


よく笑う姫だったちいさなレティシアが、サリア王宮を旅立つ頃には蒼ざめて別人のようだった。


それが一転、美しい婚約者の隣で花のように笑っている絵姿がサリア中に号外で回った……。


その姪の幸せを、またネイサンは奪い取ろうとしている。


「誰かおらぬのか、灯りが消え……」


「サリアのネイサン陛下」


「だ、だれだっ」


暗闇に雷鳴が轟き、よく響く声がした。


「……レティシア!」


「お久しぶりです、叔父様」


灯りの消えた部屋に、この世のものとも思えぬほど美しい貌の男に抱かれたレティシアの金髪が浮かび上がっていた。


呪われた美しいサリアの姫が災いを招く。


……誰に? 何処に? 


ネイサンはまるで自分で仕立てた怪談話が真実になったようで怖ろしかった。


「フェ、フェリス殿下」


この若者とレティシアの絵姿はサリア王都中に出回っており、ネイサンの眼にも触れていた。


だが、絵姿のいかにも女達の好みそうな優し気なディアナの王子には、こんな威圧感はなかった。


「レティシア姫の婚約者フェリス・シュヴァリエ・ディア・ディアナ、初めてお目にかかります、陛下」


「……よ、ようこそ」


何故、傍仕えの者は呼んでも来ないのだ。なぜ、このようなときに、余を一人にするのだ。


「私の婚約者へのサリアでの誤解を解いて頂きたいと、陛下にお願い申し上げようと」


「誤解?」


「レティシアが呪われている、も、レティシアが災いを呼ぶ、も、もともとはあなたがついた嘘だとさきほどイザベラ妃に伺った」


「え……?」


レティシアが美しい魔物のような男の腕の中で、小さく声をあげている。


「レティシアの風評で責めるなら陛下を責めるべきだ、とイザベラ王妃が」


「……叔父様、なぜ」


「……馬鹿な、王妃は何か悪い夢でも見たので……」


ここはうまく誤魔化せばいい。この二人に何もわかる訳がない。


(……ミゲルに言わせればいい。神託だとな。レティシア姫はサリアに災いを呼ぶ、不吉な姫だと)


(でも、あなた……それは……)


(このままだとレティシア派の者達が力をつけすぎる。レティシアには女王の資格などないとしないと)


暗い部屋に焦った様子のネイサンとイザベラの過去の映像が浮かび上がった。


「ち、ちがう、これは、後継者選定の頃の話だ! 今回の花嫁交換の占いはイザベラが……!」


「そう、これは過去のあなただ。あなたが父親と母親を亡くした小さなレティシアに、汚名を着せたときの……」


氷のような碧い眼差しが、ネイサンを見下ろしている。


「し、仕方なかったんだ、レティシア、レティシアとうるさい連中がいて……あの者たちさえ騒がなければ……!」


何を余計なことを言っているのだろう。悪い薬でも盛られているのだろうか。かつて感じたことのない恐怖で吐きそうだ。


「何でも誰かのせいにする。ネイサン王、それはあなたのよくない癖だ」


「叔父様が、ミゲルに嘘を……? では私は呪われた姫では……」


「レティシアは祝福された姫だよ。……噂の元を暴いたから、信じられる?」


「フェリス様……。叔父様、何故ですか、そんなことまでしなくても、きっと皆、叔父様の戴冠に不満など……」


「異を唱える者がいたのだ! 余など五歳のレティシアに劣るとな!」


邪気のないレティシアに、彼は苛ついた。


そもそもこの娘が、あたりまえの五歳の姫なら、問題は……。


「あなたはレティシアの周りから親しい者を遠ざけ、レティシアを庇った貴族……セファイド侯爵を……殺した?」


(陛下、レティシア姫に対して、それはあまりの仰りようです!)


ネイサンに諫言するサリアの古い貴族セファイド侯爵の映像が浮かび上がる。


気味が悪い、この王子。

まるで、ネイサンの頭の中の記憶を覗き込んで喋ってでもいるようだ。


「ち、ちがう! あれは余ではない! あやつは勝手に心の臓の病で死んだのだ! おかげで、レティシア派を蹴散らしてくれたが…… 」


レティシアを庇ったセファイド侯爵の死は、ネイサン派による暗殺だと言われたが、あえてその噂はそのままにしておいた。恐怖がレティシアに味方する者を減らすだろうと。


「セファは、叔父様の手にかかったのではないの? ……ずっと……セファは私の為に寿命を縮めたのではと……」


「嫌いな男ではあったが、余は殺しておらぬ!」


レティシアの琥珀の瞳から涙が零れ、ディアナの王子は白い指でそれを拭った。

大切な大切な壊れものでも扱うかのようだ。


「ネイサン陛下にはミゲルの占いは間違っていたと、これ以後、レティシアの名を不当に汚すことは許されぬ罪だと、触れを出して貰いたい。……そして何よりも、陛下自身にその触れを守って貰いたい」


「そんなこと……!」


できぬ、と言いかけたら、ネイサンの真横の床に雷が落ちた。髪が焦げる匂いがする。まさか……。王の私室には、サリアの上級魔導士が結界を張っている筈では……何の役にも立っていないではないか。衝撃でネイサンは転倒し、床に頽れる。


「な……!?」


無様に床を這いながら、ネイサンはフェリスとレティシアの二人を見上げた。


「誰かの痛みというのは、己で感じぬと覚えられぬかもしれませんね」


「叔父様……あぶな……! フェ、フェリス様、雷が……!」


「大丈夫。レティシア。危なくないよ」


「……あぶないです! フェリス様、とっても、あぶないです! いまここに、叔父様のとこに、雷、落ちました! 雷! フェリス様が危険です!」


「僕が? うーん。僕はたぶん大丈夫だと思うけど……」


呑気なことを言っているレティシアは、こんな男の腕に抱かれて、怖ろしくないのだろうか? おそらく、この雷、この者が……。いやまさか、この嵐そのものすら、この者が……? 


いくらディアナ王家が水の神の家系とはいえ、そんな馬鹿な……待て。レティシアの婚約者が魔法でサイファを迎えに来たと聞いて、あらためてフェリス王弟について下問した折、サリアの筆頭魔導士ヨナは何と言った?


(稀に、ディアナの王家には先祖返りというか、レーヴェ神の血を色濃く受け継ぐ方がお生まれになるそうで、そのような方は魔法の技も人とはまるで違うと言うか、天も地も自在に動かすと書物にございますが。フェリス殿下はディアナ王ではございませんから、流石にそこまでではないでしょうが。フェリス殿下とともにディアナで魔法を学んだ者によると、まるで別格なのだそうです)


「お、王妃の庭の薔薇を枯らしたのは……」


「それは私ではありませんが、うちの薔薇が嘆いたようです。サリアの王妃様が私達の愛しい薔薇の姫レティシアを連れ去ろうとしていると。レティシア以外のサリアの姫など欲しくない、と。イザベラ王妃の薔薇はそれを同情した模様。ご安心を。王妃の庭の薔薇は、さきほどレティシアがもとに戻しましたゆえ」


「………っ!」


魔法など本で読むだけだったろうレティシアが、何故、枯れた薔薇をもとに戻せるのか。


何故、薔薇が意志でも持ってるように語るのか、と、気になることははいくらでもあったが、


正直言ってネイサンは十も二十も年下であろうこのディアナの王子が怖かった。


魔力など僅かもないネイサンだが、恐怖で声もうまく出ない。抵抗も出来ない小さなレティシアを苛め続けた罰だろうか。


「ネイサン陛下。誓約を頂けますか? 生命あるかぎり、二度とレティシアの名も身もを傷つけぬ、と。……書けぬのであれば……」


ひどく近くで、猛り狂う竜の咆哮のように、雷鳴が轟く。


ネイサンの真横でなければ、今度は何処に落ちるのだ? 首の後ろと背中がひどく熱い。何かの腕に床に押さえつけられているようだ。頭があがらぬ。誇り高きサリアの王だと言うのに、地面にめり込みそうだ。


「約束するっ……二度と……にどと、レティシアに……無礼はせぬ……っ」


「私の妃に、相応の敬意と応対を? 謝罪を?」


「重々、気を付ける……! ……っ、すまなかった、レティシア……!」


こんなに人の理から外れた存在を、アドリアナの婿になどとんでもない。何故レティシアはこの男を怖がらないんだ。やはりもともとが変わった娘だから、怖くないのか?


「……私のことより、叔父様、私の心配をしてくれたウォルフのじいや、セファイドの子達や、私のために左遷された者達を、どうか国政から遠ざけないでください……みな、心から、サリアを想う臣です。ときどきは、耳に優しくないことを言うかも知れませんが、決して叔父様が憎くて言っている訳ではありません……」


こういうところが苦手だった。いつも出来のいい実直な兄アーサーに似たレティシア。琥珀の瞳を覗き込むと、兄がそこにいてネイサンがサボるのを見張ってるような気がする。


「……善処しよう」


「フェリス様、誰か呼んで差し上げないと、叔父様、きっと落雷でお怪我を……」


「怪我はされてないようだよ? 少し緊張されたのかも。僕がレーヴェに似て怖い貌だから」


「フェリス様は怖くないし、竜王陛下からも異論がありそうです」


美しい婚約者に甘えるようなレティシアの声には少しの怯えもない。なんとこの空気を歪ませるような怒気も殺気もレティシアには影響がないのか。


「ネイサン陛下。誓約の書は、後ほど私の配下に。私達は帰ります故、誰かお呼びしましょう。……私は少々、人よりよく聡い眼と耳を持っています。私との約束を違えるときは……」


「たがえぬ! フェリス殿下とレティシア姫との約束を、余は何をおいても守るであろう!」


人生最大の恐怖とともに、ネイサンは誓った。レティシアを害さぬとの誓約の書を送ったら、ディアナの美しい姪の婚約者とは、金輪際逢いたくもない。

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