サリアの災いを呼ぶ姫 50
「で、殿下、雷が……こ、ここでは、なんですから、場所を変えて……」
と、とにかく侍女を呼んで。
周りに、ひ、人がいれば、何かレティシアの過去に疑問を持っていても、
激しい非難もしにくいはず……。
「いえ、お構いなく。用件が終われば、すぐに失礼しますから。……この嵐、レーヴェ神がレティシアを返す事を嫌って、って言われてるんですってね」
フェリスの薄い唇が微笑の形に動いた。
でも何故だろう。
形は笑っているのに、レティシアやサイファといた時とは違う。
ひどく高位の存在が、何処か次元の違う場所で、下界を見下ろしてでもいるようだ。
「お、愚かな者どもの世迷言ですわ。レーヴェ神の御心なぞサリアの者が知る筈も……」
フェリス殿下はディアナの始祖神レーヴェ様に瓜二つ。
子供の時から神童と言われ、聡明にして、武芸に通じ、人ならざる程に魔法も操る御方……あまりにレーヴェ神の再来と騒がれてしまい、敬愛する兄君に御遠慮して、ここ数年は引き籠りがちという噂ですが……。
「遠からず、というところですが。ディアナの守護神は、僕のレティシアをいたくお気に召していますから」
「ま、まあ、フェリス様。レティシアは竜神のお気に召すような娘ではありませんわ。あの子はただの子供で」
怖くて仕方がないのに、つい、カッとなって反論してしまった。
「ただの子供に、ディアナに災いを呼ぶだの、呪われた王女だの、サリアの障りになる、だのと、あなたがたは汚名を着せましたね」
「そ、それは、ミゲルが占ったのですわ、私はなにも……」
「イザベラ殿は御存じないかも知れませんが、私は少々、魔法が使えます。誰かの嘘も、誰かの過去も、見ようと思えば、見える。僕の愛しいレティシアがただの子供だと言うのなら、その無力な子供を何度も罠にかけた、あなた方は本当に卑怯で、醜いとしか言いようがない」
あの占い師はなんと言ったか。
王妃様。ディアナは魔法の国です。私共のような職の者は、誰もがディアナに学びにいきたいと思うほどの国なのです。ましてフェリス殿下は、ディアナ王家の直系の王子です。レティシア姫にありもしない呪いの占いなどしても、相手がディアナでは、すぐに露見してしまいます。もう、お許しください。どうか、お許しください、イザベラ様……。
やけに何度も許しを請うていなかったか。
『かまうことはないわ、ミゲル。レティシアのことなど、ディアナ王室も、そんなに気にされないわ』
『レティシアよりアドリアナのほうが、ずっとフェリス殿下にふさわしいわ』
『呪われた王女と、嫌われ者の変人の王弟殿下。とてもお似合いね、レティシア』
「……ひ……何、これ」
いくつもの過去のイザベラの姿と声が、闇の中、鏡のように室内に浮かび上がった。
我ながら、眉を逆立てた怖ろしい顔をしている。
『イザベラ』
優しい声がした。少しの恨みも憎しみも知らない声が。
「やめてちょうだい!」
『イザベラ。サリアのことをお願いね。あなたはきっといい王妃になるわ。そしてどうか、ほんの少しだけ、レティシアのことを気にかけて……』
「あなたは友との約束を守らなかった。レティシアを呪われた王女にしようという夫の誘いに乗った」
「私のせいじゃないわ! それを言い出したのはネイサンよ! ネイサンを王にするくらいなら、レティシアを女王にしようって馬鹿どもが言うから悪いのよ……あの子は五歳なのよ、五歳の娘にすら、私の夫は劣るとでも……!?」
それでもイザベラ本人ですら、ネイサンの評価が低いことは仕方あるまいとも思っていた。
ネイサンは怠け者で、仕事より快楽が好きだ。その快楽とて、移り気な実のない遊びだ。
サリア王弟、サリア王の肩書がなければ、愛される男とは、我が夫ながらに想えなかった。
「レーヴェ神がレティシアに肩入れして、私達の罪を怒ってるなら、私の宮でなく、ネイサンの宮の薔薇を枯らすべきよ! レティシアを呪われた王女にしようって、最初に言い出したのは、ネイサンなんだから! 嫌な男よ、本当に!」
ああ、余計なことまで言ってしまった。だって、とても同じ男に思えない。
そんな風に呪われた王女とされてサリアを追い出されたレティシアなのに、目の前にいる夫のフェリスは、こんなにも美しく、そして底知れず怖ろしい。
「それでも、ソフィア妃はきっと悲しむでしょうね、いまのあなたを見たら」
「黙って! 黙りなさい! あなたなんかに何がわかるの! 恵まれたディアナの王子で、そんなに美しくて強くて! ろくでなしの王弟殿下の哀れな妃なんて馬鹿にされたことないでしょう!」
「僕はディアナの冷や飯ぐらいの変人王弟で、あなた方のお気に召したレティシアの厄介払いの相手です。何なら邪神レーヴェの化身とも怖れられてますから、よそさまから悪く言われるのは慣れておりますが。……あなたにどんな辛いことがあったとしても、幼い身で両親を失った姫、僕の愛しいレティシアを害する理由にはなりません。……よいか? これ以後、如何なる戯言も許さぬ。僕の妃の心を傷つける者は誰であろうと、何処の王であろうと王妃であろうと、容赦はせぬ」
雷鳴と稲光のなかで、フェリスの黄金の髪が、何故か黒く見える。
冷たい雨が、自分の髪と頬とドレスを濡らすのすら、この恐怖に比べれば、ささいなことに想える。
竜神レーヴェは愛した妃の為ならば国ごと滅ぼすのも厭わない、ディアナを怒らせてはいけない、眠れる気紛れな竜神を起こしてはいけない、と御伽噺にばあやに聞いたのは、いったいいつのことだったろう……。
サリア生まれのイザベラは、魔法などあまり信じていなかったが、肌が感じる。
優しく美しく見えるが、震えるほど怖ろしい。これは何か、確実に、人ではないものだ。
「僕が、いま、あなたの身を傷つけないのは、レティシアの結婚式に、禍々しい話は混ぜたくないというだけのことだ」
フェリスから贈られた紅玉の首飾りが、フェリスの言葉にまるで不満でもあるように微かな音を立て、声にならぬ呻きをあげるイザベラの細い首を、痣ができるほど絞めつけた。
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