第292話 ディアナの王子が恋をしたら
「王太后様。サリアの魔導士より書状が届きました」
「サリアの?」
マグダレーナは脇息に凭れたまま、うっとおしそうに問い返した。
今更サリアが何だというのだ。あんな生意気な娘を寄越しておいて。
王太后がフェリスを勝手に謹慎にした件で、国王であるマリウスがひどく立腹しているので、マグダレーナは肩身が狭い。気晴らしの茶会も儘ならない。
「フェリス殿下の御婚姻の件で、ぜひ王太后様に御相談したく、とのことですが」
「フェリスの結婚式の相談など担当大臣にさせよ、妾の管轄ではないわ」
国民人気の高いフェリス王弟殿下の結婚式とのことで、多くの予算が動くし、商人達も今年の稼ぎをかけてはしゃいでいる。
「いえ、何やらサリアの占い師が、婚姻に不吉の兆しあり、と占ったと書いてありますが……」
女官は書簡に目を通している為、困惑気味だ。
「日取りは何度も占ったのではないのか? いま、フェリスの婚姻に何か言うて、妾のせいにされるのはご免じゃ」
国王のマリウスも不機嫌だし、フェリス贔屓の宮廷の者たちも、王太后様いくら何でも冤罪はあんまりな、フェリス様は冤罪を晴らそうと、リリア僧の闇を暴いて下さった……とかまびすしいなか、フェリスの結婚式に口など挟みたくいない。
「そのう、サリア王妃イザベラ様お抱えの占い師いわく、フェリス様に嫁ぐべきは現王女のアドリアナ様である、と。レティシア様では、ディアナとサリアに影が兆す、と」
「……すでにあの娘がディアナに嫁いできてるのに、何を言うておるのじゃ、サリアの王妃は? 寝言は寝て言うがいい」
マグダレーナは眉を寄せた。
サリアの現王女がどんな娘だかは知らぬが、あんなにフェリスがあのサリアから来た娘を気に入っていては、交換など承知しないだろう。
だいたい最初から、自分と同じ五歳で親を失った娘を憐れむフェリスの心に付け込んだような婚姻なのだ。
「御意。見当違いも甚だしいですが、この婚姻は王太后様肝いりの婚姻ゆえ、サリア側としては、王太后様に裁可を仰いでいるのかと」
「では占い師の話とやらを、妾でなく、陛下かフェリスに直接云えと言うてやれ。妾はフェリス謹慎で陛下の御勘気を被っていて、フェリスのことには口出しできんとな」
笑えて来る。いまになって花嫁の交換とな。何と了見のおかしなサリアの王室よ。
さぞや我が義息子フェリスが嫌な顔をするだろうよ。
「サリア王室は、レティシア姫の御婚姻に大変乗り気でいらしたのに、どうされたのでしょう?」
「惜しくなったのではないか?」
「惜しくですか?」
「女官たちが騒いでいたが、昨日、フェリスがレティシアの為に馬を迎えに行ったのであろう? 噂の変人王弟にやっかい者の姫を押し付けたと思っていたら、ディアナの変人王弟が聞いてた話とだいぶ違うではないか、とな」
そもそもディアナの王弟相手に、現王女でなく、やっかい者の姫を寄越そうなんて政治センスのない王室だ。もともと常識がないのであろう。レティシアは、フェリスの見合い相手としては、数少ない条件の悪い姫で、そこがマグダレーナの眼にとまったのだから。
「現王と王妃はレティシア姫の御両親が流行り病で亡くなられて、慌ただしく王位継承されたそうなので、世の中に疎いのかも知れませんね」
「ただ愚かなのであろう。知ったことではないがな。……どのみち、もうフェリスはあの娘を気に入った。ディアナの王族が誰かを気に入ったら、それを奪うことなど、サリアの王妃ごときに出来ぬ」
苦い痛みとともに、マグダレーナはそう告げる。
恋に堕ちたディアナ王族ほど性質の悪いものはない。
機嫌を損ねれば、国ぐらい亡ぶ。
もっとも、レティシアは、マグダレーナの夫ステファンが恋焦がれたイリスより、逢って日は浅いのに随分フェリスのことを想っているように見える(そもそもイリスは王の求愛を拒めなかったというほうが正しい)。
恋も愛も欲もまだ知らないだろうけど、背中の毛を逆立てた仔猫のように、あの小さな体が、全身でフェリスを守ろうとしていた。
妾からフェリスを守ろうと。
そんな勇敢な愚かな姫を、ディアナ宮廷で初めて見た。
あんなに愛されたら、そりゃあ氷の王弟殿下も絆されるだろうよ。
「だが、おもしろい。せいぜい花嫁交換に頑張ってフェリスの不興を被るがいいよ。交渉の相手は、妾ではない。妾はいっさい関与せぬと伝えよ」
そこは実の息子なので、マリウスのほうが怒るとマグダレーナに容赦がない。
これ以上マリウスの不興は買いたくないが、サリア王妃殿の無駄な頑張りは、楽しく見物したいものだ。
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