第278話 サリアの小さな酒場にて

「そりゃあもうオレは驚いたねぇ。オレあ、生まれてこの方、あんないい男、見たことないよ。この世の者じゃないみたいな美形とはあーいうのを言うんだね。やっぱりディアナの王弟殿下ともなると、違うねぇ」


サリア王宮の厩番トールは、いま、サリアの酒場で、人生最高潮の注目を集めていた。


「トール! もっと聞かせておくれよ! そんでその男前のディアナの王子様は、うちのレティシア姫をなんと?」


「それがさあ、聞いておくれよ、サイファていう姫様にしか懐かないとんでも我儘な馬がいてさあ……いや、いい奴なんだよ、いい馬なんだけど、とにかく人の云う事は聞かない馬でさあ」


「馬の話はいいよ、トール。姫さんと王子の話を聞かせてくれよ」


「馬っ鹿だな、おまえ。馬が大事なんだよ、この話は! 」


「なんでだよ、馬なんてどーでもいーじゃねぇかよ」


「は! そこが、おまえとは違うんだよ、王子様は。なんと姫様の為に、わざわざサリアまで、愛馬のサイファを迎えに来たんだからな。優しい御人なんだろうな。小さい姫さんが一人で来たのが可哀想だって。うちのイザベラ王妃様に、レティシア姫様の母様の首飾りを返してやってくれ、て頼んでさあ、どえれー立派な紅玉石の首飾りと取替てた」


「うちのイザベラ王妃様、レティシア姫様の母様の首飾りまでとりあげてたのか……根性悪いなあ」


「なんであんなに意地悪するんだろうなあ? いまの王様も王妃様も、前の王様と王妃様に苛められてた訳でもないのに……可哀想になあ、ちいさい姫さん」


しょんぼり。酒場に集った男たちは沈んだ。


王家で何があろうと、口出しできるはずはないのだが、それにしたって五歳の姫が嫁入りってどうなってんだ?


ディアナの財宝めあてなのか? うちの国はそんなに金に困ってたのか? 


と皆、口にはしないけれど、ずっとすっきりしない気持ちでいたのだ。


そこに、ディアナの王弟殿下がレティシア姫を連れて、姫の愛馬を迎えに来た! という厩番の話は、レティシアをディアナに生贄にでも差し出した気分でいた彼らを楽しい気持ちにさせてくれた。


ではレティシア姫は、ディアナの王弟殿下に大事にされているのだ。


小さな身で、異国で一人、辛い思いをしている訳ではないのだ。


「レティシア姫さんがさー最後に挨拶したじゃん」


「うん」


「オレ、あれ、忘れられないんだー」


「オレも」


婚礼に備えて、白いドレスを着ていたのに、まるで喪服のように見えた。


蒼ざめた白い顔で、小さなレティシア姫が言ったのだ。


『ディアナは豊かな国です。私の婚姻をもってサリアとディアナの縁が深まり、きっと先の伝染病のような災いが防げますように』


その小さな姫が、伝染病に両親を奪われたように、彼らもまたその伝染病に親や子供や友達を奪われた。


それは人生を変える災いであり、それを期に、医療を志す者、魔法を志す者、愛しい者を失った悲しみからいまだ立ち直れぬ者がいた。


「あんな小さな姫さんがさあ……」


鍛冶屋の男は泣き出した。彼の幼馴染みもあの流行り病で死んだ。友はうんと若かった。パンを焼く職人になりたいと言っていたのだ。


「姫さん、この婚姻でサリアに幸福をよびたい、て言ってた。でも、オレは、そんなのいいから、ただもう姫さんにも幸せになって貰いたいよ。親を亡くしたあんな小さな娘を追い出すように嫁にやっちゃってさあ……どうかしてるよ、うちの王様」


「心配すんな! 姫さん幸せそうだったから! いい男と美少女の二人連れで輝いてた! 後光がさしてた! ここにいたときより、ずっと姫さん可愛くなってたぞ!」


「本当か! 頼むぞフェリス殿下!  あてにしてるぞ! うちのちいさい姫さん大事にしてくれるなら、ムカつくけど、すげぇ男前でも許すぞ!」


「ディアナだから、レーヴェ様だろ? オレ、レーヴェ神殿に酒でも供えとこうかな?」


サリアにもちゃんと小さなレーヴェ神殿がある。


「それこそ、あそこの神さん、むっちゃ男前だよな」


「ああー!! それだー!!」


トールが、隣にいた男が酒を吹かんばかりに、大声を上げる。


「なんだよ、トール、びっくりするだろ!」


「それだよ、それ。誰かに似てるなと思ってたら、あの王弟殿下、レーヴェ神殿の神様に似てた!!」


「神様ておまえ……」


「ああでも、ディアナ王家は、レーヴェ神様の血筋てんでずっと強いんだな、確か」


「へー! じゃ御先祖に似てるなら本当に遠い血継いでるのか? 」


「遠いなんてもんじゃなかったような……? うりふたつってくらい似てたような……?」


「またまたあ。おまえ、ちょっとレティシア姫さんに逢えたからって逆上せすぎだよ、トール、いくらフェリス殿下が男前でも、神殿の神様にそっくりな訳ないだろ」


「ん……そうだよな」


仲間に笑われて、トールは照れ笑いした。


「まあ何でもいいさ。レティシア姫の婚約者様は優しい男前で、姫様は大事にされてそうだった! サイファまで嫁に行ったし、今夜はフェリス殿下の驕りで、うまい酒が飲めるー!!」


「え? これレティシア姫の婚約者の驕りなの?」


「うん。後からディアナの使者が、我が主人がご迷惑を、ていろいろ礼の品を持ってきてくれたんだ。オレ、何にもしてないのに、サイファのおかげでなんか儲かっちゃった」


「おまえー、役得過ぎ!!」


ぎゃあぎゃあ騒ぎながら、それでもみな、蒼白だったあの可哀想な小さな姫君が、大国ディアナの婚約者に大事にされて幸せなのだと聞かされて、その夜はうまい酒を飲み明かした。


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