第256話 王太后の憂鬱
「マグダレーナ様。悪しき噂を流したリリア僧どもは捕縛されたとのこと。まことにおめでたいことです」
「そうじゃな」
マグダレーナはめでたくもない顔で応じた。
マグダレーナは、竜王剣の噂を流したのは、てっきり、フェリスを推したいディアナ国内の貴族の仕業だと考えていたのだ。だから、激昂のままに、フェリスに謹慎を言い渡した。
リリア僧などまったくの想定外だ。何故ガレリアの田舎僧が、ディアナの玉座にとやかく言いたがるのか意味が分からぬ。大人しくガレリアにひっこんでいろとしか思えない。
ガレリア自体は小さな国という訳ではないが、マグダレーナにとって、ディアナ以外の国や、レーヴェ以外の神様など、興味もない。
フェリス自身が竜王剣の噂に関与していると思っていたと言うよりは、『マリウス陛下の玉座に瑕疵有り』と噂を立てられたときに、フェリスの身を自由にしておきたくなかったのだ。
(母上、フェリスは私を裏切ったりしません。私を裏切るとしたら、弟でない人間です)
我が子マリウスは弟贔屓の過ぎる愚か者だが、それでも、マリウスの言う事もあながち嘘でもない。
(……私の陛下へのまことが疑われたりせぬよう、よりいっそうこの身を慎んで参りたいと思います)
竜王陛下の姿を受け継いだフェリスは、竜王陛下に似てさほど現世の地位に欲がない。
だがそれはフェリス本人の話で、周囲が必ずしもそう思う訳ではない。
マグダレーナが奨めた弱小国サリアの姫である五歳のレティシアとの結婚も、ディアナ国内でフェリスと婚姻を結びたがる貴族達への強い牽制だ。
「フェリスはどうしているのじゃ」
「王弟殿下は、リリア僧たちの捕縛に貢献されたようですが、本日も、王宮の閣議には戻られる様子はございません。ご領地シュヴァリエにて、レティシア姫と和やかに薔薇祭を散策中とのことです」
「シュヴァリエの民は、ちいさな嫁にがっかりして、呆れておらんのか」
「……こう申し上げては何ですが、シュヴァリエの民は、フェリス様が絶対です。フェリス様がレティシア姫を愛すなら領民も姫を愛し、フェリス様がレティシア姫を嫌うなら嫌うかと……、現状、フェリス様はレティシア姫を実の妹姫もかくやとばかりに大切にされてらっしゃる様子ですので、領民も王弟殿下の意向に習うかと」
「ふん! なんでもフェリスの言う通りか」
「シュヴァリエはフェリス王弟殿下領となって以後、この十二年間、ディアナでもっとも成長著しい地域ですから、自慢の領主を得て豊かになったシュヴァリエの民にしてみると、フェリス様の言う事が絶対でも不思議ないかと……」
「………、………」
そこまでステファンは予期していたろうか?
いいや我が死せる夫ながら、ステファンがそこまでの慧眼とも到底思えぬ。
ステファンにしてみれば、母イリスの死に嘆き悲しむフェリスに、傷心の静養地がわりに、薔薇がとても美しいと謳われたシュヴァリエを与えたのだろう。
若すぎる母の死に、壊れた人形のように凍りついていた五歳のフェリスが、無聊を慰める為に、シュヴァリエの不正を細かく糺し、薔薇や領地内の技術を使った新しい商品を開発し、ディアナ国外に貿易相手を大きく拡大し、シュヴァリエをさらに繁栄させるところまで想像していた訳ではあるまい。
いまやシュヴァリエのみで、そのへんの中小国ではとても叶わぬ豊かさを誇っている。
(ハンナがレティシアに、たとえディアナから独立してでも、フェリス様とレティシア様をシュヴァリエの民はお守り致します、と告げたのは、冗談にならない話なのである)
一か月続くシュヴァリエの薔薇祭は、のどかに豊穣を祝うとともに、盛んな商談の季節でもあり、マグタレーナの顔をたてて、シュヴァリエに幼い婚約者を連れて引き籠っていようとも、フェリスはじゅうぶん忙しい。
「つくづく、癇に障る男よ……。竜王剣を陛下が抜けぬなどと、神をも畏れぬ噂を創作したのは、ガレリアの人間のみなのか? 竜王陛下の竜王剣について、リリア僧に教えた者は誰なのか? ディアナの裏切り者は本当におらぬのか?」
不安がマグダレーナの胸を焦がす。
マリウスの玉座を脅かそうとする者を、探し出して、この手で八つ裂きにしなければ気が済まない。
誰にも任せておけない。誰も頼りになどならぬ。
いまも昔も、マリウスの額に輝く王冠を守れるものは、この母マグダレーナのみだ。
「お、王太后様、落ち着かれて下さいませ。ま、まだお身体が本調子ではありませぬ。リリア僧たちは極刑になりますでしょうし、ディアナに裏切り者がいても、じき、それも捕まりましょう」
「……なにも、安心、できぬ……! 誰ぞ、腕のよい魔導士を、我が許へ連れて参れ……!」
「か、畏まりました……!」
王太后の侍女は蒼ざめて平伏した。
マグダレーナ王太后はとても心が乱れている。
先日、フェリス殿下とレティシア姫がご挨拶で来られて以来、さらに御機嫌は悪化した。
といって、フェリス殿下は、相変わらず、王太后に逆らった訳でもなく、陛下と義母への変わらぬ恭順を述べて帰って行ったのだか……、それこそ花ならば、まだ春の夢を見ている蕾、これから咲き匂う予感に満ちた可愛らしいレティシア姫とフェリス殿下の兄妹のような仲睦まじい御様子が、どうにもマグダレーナ王太后の癇に障ったとしか思えない。
王太后宮の侍女たちは、いったいこのマグダレーナの御機嫌と御加減の悪さをどうしたものかと、暗澹たる思いである……。
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