第255話 恋敵はなかなかの相手である

「そう言えば、世の中にはお妃教育というものがあるらしいけど、私、そんなの全然してないけど、大丈夫かしら、サイファ?」


ブラッシングしながら尋ねるレティシアに、そもそも対象年齢以下じゃない? とサイファは呑気なものだ。


誰の婚約者になろうとも、誰の妃になろうとも、サイファのレティシアなことは間違いない。


このブラッシングタイムのレティシアはぜんぶ、サイファのものだ。


「お妃教育って何するのかしら? 各王家に伝わる秘伝でも習うのかしら? ディアナ王家の秘伝、お勉強するなら、楽しそうだけど……。それとも、三歩下がって、夫の影を踏まず? なかんじ? 昔々の日本じゃないから違う?」


日本の話をレティシアは時々する。

それはレティシアとサイファの秘密なのだそうだ。

日本が何処にあるかサイファは知らないが、二人の秘密なので、レティシアの日本の話も好きだ。


「サイファは自分が綺麗な馬だって知ってるけど、フェリス様って変なのよ。あんなに綺麗で賢いのに、自分は怖い貌だから好かれない、とか言ってるの。うちの美人の推し様、控えめすぎなの、ちょっとだけ、自己認識の改革が必要よねー」


自己認識、とは何であろう、と思いながら、レティシアがくれた葉っぱを、はむはむと幸福に食んでいる。


やはりレティシアの手から食べる食事はひときわ美味しい。


本当にレティシア出立後の食事はまずかった。


サイファの知らぬことだが、やっと実家からの援軍が来て、レティシアもちょっとはしゃいでいた。


フェリスの宮の皆が優しくしてくれて、レティシアはみんなのことが大好きなのだけれど、知らない人だらけなことは確かなのだ。


「美味しーい? サイファ、ちゃんとご飯食べなきゃダメだよ。ごはんサボるなんて、フェリス様みたいだよ」


「ヒヒーン?」


そやつと結婚する為に来たのだから当然なのだが、レティシアの話は『フェリス』だらけだ。


サイファは少し不満である。


いまだかつて、両親と女官以外の人間の名が、可愛いレティシアの唇から、こんなに連呼されたことはない。


出逢ったばかりの癖に、うちの可愛い、人見知りなレティシアから、こんなに名前を呼ばれるとは、なんてあなどれない男なんだ、ディアナ王弟……けしからん……。


とはいえ、『フェリス様』はサイファとレティシアの恩人でもあるので、無下には出来ぬ。


浮世は難しい。


「レティシア、サイファ、ここで大丈夫そう?」


噂をすれば、で、フェリスが厩舎に姿を現した。


「フェリス様。私、お食事に遅刻してます?」


ブラシを片手に、レティシアが少し慌てている。


「ううん? 僕が勝手に様子見に来ただけだよ」


「ホントですか? 久しぶりにサイファに触れて嬉しくて、時間忘れちゃってたかも……」


レティシアの言葉に、サイファの耳はぴくびくと自慢げに動く。


「美しい仔だね」


サイファを褒めるディアナの王弟殿下は、それこそまことに美しい。


綺麗な男であり、優れた人間であり、そして、人間以上の何か、だ。


レティシアは無邪気にフェリスに懐いているけれど、大地も植物も獣も、人間以外の大概のものなら、言われなくても、それがわかる。


これは自分より高位の何か、だ。


「サイファがまだここに馴染まないようなら、レティシアの部屋で寝てもいいよ?」


「………!! そんなに甘えたじゃないもんねー、サイファ?」


「ひ……ん」


さすがに、人間の家の中では過ごしにくかろう、とサイファも思う。


レティシアに甘いにも程があるのでは、この王子……、レティシアの部屋が傷むぞ。


「また明日来るね、サイファ! 気分が悪かったら呼んでね! すぐ飛んでくるからね!」


「サイファ。僕を呼んでくれたら、本当にすぐに来るよ。我慢しないでいいからね」


ふぅ、とサイファは溜息をついた。


サイファの恋敵は、謎めいた美しい王子だが、悔しいが、レティシアとレティシアの愛するものを、この上もなく、大切にしてくれていることは間違いない。


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