第145話 神の裁きも、天の雷も怖れない
「母上。私の知らぬ間に、私の弟が、何故、謹慎に処されているのですか」
私的に母に会いたいと言ってきたマリウスはいつになく反抗的だった。
「陛下に御聞かせする程のことでもないと思った故、妾が命じました」
端的にマグダレーナは返した。
「私の弟と私の臣下に、かような沙汰は、母上と言えど許されぬと思うのですが」
「悪しき噂は断つべきです」
彼女に逆らうことのないマリウスにしては、随分頑張っている。
「その噂は市井の他愛ない噂で、フェリスの咎でもメイナードの咎でもありません」
「陛下はいつもお優しい。お優しいがゆえに、判断を躊躇うこともおありです。嫌な役目を引き受けるのも、母の……」
「違います、母上! 何の証拠もなく、処罰を下すことは、相手がフェリスのような王弟や高位貴族でなくても、許されることではありません。誰に対してもそのような沙汰は控えるべきです」
「そうであろうか、マリウス? 相手がフェリスでなくても、そなたはこれほど必死に私に逆らうのかのう……?」
おかあさま、フェリスは悪くないです……、おかあさま……、フェリスを叱らないで…。
泣きながらそう言ってた小さな息子は大人になったのに、いまだに何だか似たようなことを言っている。
「法は法であり、ディアナは法のもとにあります。フェリスとメイナードの処分は私が解きますゆえ、ご了承くださいますように」
「どうしてわかってくれぬのです、マリウス? あのような不敬な噂はきっと、フェリスが……」
「七年前、私の戴冠当時、十歳の子供だったフェリスが、竜王剣継承の儀式に何を想うというのですか? その儀式に疑惑を抱く者があるとしたら、それはたぶんフェリスではない者だ」
「……フェリスはもう十歳の子供ではありません! 貴方を軽んじ、貴方の地位を……」
「私は弟から軽んじられたことは、一度もありません、母上」
マリウスの声には驚くほど迷いがなかった。
「私を軽んじる者があるとすれば、それは弟以外の人間です」
弟ではなく? 誰だと言うのだ。
あれほど目に見えて、竜王陛下の血を濃く受けて、王冠を望まない男がいるだろうか?
「あなたはいつも、フェリスに甘すぎる、マリウス」
「甘いのではありません。信頼しているのです。若い頃、私が同い年の騎士仲間に、弓の競技でやり込められたときも、フェリスが一撃で仲間達を抜いてくれました。武門仕事は次男の役目です、と言っていました。ずっとそうです。私の弟はいつも影で、私を支えてくれているのです。……母上はその信頼できる弟の手を、私から奪おうとしているのです」
「その御立派な白い手が王冠まで奪っていったら、どうするのです! 妾はいつでもあなたの為に嫌な仕事を……!」
「……私の為?」
いつから、息子は、彼女を見下ろすほど、背が高くなったのだろうか。
「本当に、私の為でしょうか? 私はずっと、母上は、フェリスに辛くあたりながら、フェリスのような自慢できる息子が欲しかったのだろうと、申し訳なく思っておりました」
「何を言うの、マリウス!!」
「だからずっと、努力してきました。母上の自慢できる息子であろうと。……ですが……」
「あなたは誰よりも自慢できる妾の息子です、マリウス。誰よりも正当な竜王家の嫡男として生まれ、ディアナの王となり、優しい息子であり、よき良し人であり、よき父であり……」
「では何故、母上は、それほどに竜王剣の噂にとり乱すのですか?」
「妾がとり乱す? 王への不敬な噂に、国母が腹を立てるのは当然のことです」
「民はいつも勝手なことをいうものです。今夜の酒の肴に、うちの王様は大事な竜王剣が抜けないらしいよ、ぐらいの軽口を叩く者もいるかも知れません。私が気にかかっているのはそこではありません。そんな噂で、母上が、フェリスを罰したことです。……ずっと、気にかかっていたのです。母上、七年前、竜王剣の間で、私は気を失いました。……本当に、あの剣は、私を王と認めたのですか?」
「………」
敵が外にばかりいるとは限らない。
どんなときも。
「……もちろんです、マリウス。竜王剣はあなたを選びました。だからこそ、私はあんな噂が許せぬのです」
可哀想な、私の息子。だけど、嘘をついたのは、私だから。
マリウスは何も悪くない。
竜王陛下にお怒りを受けるなら、私が全ての罪を負う。
後悔しない。天の雷も怖くない。
どうしても、マリウスを王にしたかった。
竜王剣にマリウスは選ばれなかったと真実を言うくらいなら、あの場で死んだほうがましだった。
竜王剣は、レーヴェ様に似た者を愛する。
レーヴェ様の愛剣だから。
ディアナの為というより、誇り高い宝剣は、竜気を帯びない者を己の主と認めない。
きっと間違いなく、竜王剣にフェリスが近づいたら、彼女の罪が暴かれてしまう。
竜王剣は、レーヴェ様そっくりに成長したフェリスを愛するだろうから。
そんなことは許さない。
命に代えても、フェリスを竜王剣には近づけない。
マリウスとて、間違いなく、竜王家の子なのに!
彼女は不義など犯していないのに!
「……不確かな流言を流した者は、調査します。……ですが、フェリスとメイナードの謹慎は私が解きます。よろしいですね、母上?」
「陛下の御心のままに。出過ぎた真似をして、申し訳ありませんでした」
マグダレーナは瞼を伏せて、頷いた。
マリウスを王でいさせるために、彼女はどんなことでもできる。
七年前、竜王剣の判定を拒んだときに、運命に抗ったときに、マグダレーナには怖いものはなくなったのだ。
きっと、天におわします竜王陛下は何もかもをご存じだ。
だから、竜王陛下は、嘘をついたマグダレーナには冷たくなってしまわれたのだ……。
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