第138話 王弟殿下、花嫁を膝に乗せる
「お帰りなさいませ、フェリス様!」
「ただいま、レティシア」
現実は常に理不尽だが、邸に戻ると、嬉しそうにレティシアがフェリスに走り寄ってきてくれる。
ふわふわとした金色の柔らかいものが近づいてくる、その一瞬でやさぐれた心も癒されてしまうあたり、僕は面倒くさい男だと思っていたが、凄く簡単な男だったらしい、とフェリスは新しい発見をしている。
「午前中、私と遊んで下さってから、王宮でお仕事もされて、今日はとてもお疲れでしょう?」
「レティシアと出かけたのは楽しかったし、仕事は何も大変じゃなかったけど、……あのね、レティシア、婚約中なのにごめんね、僕、蟄居、謹慎を仰せつかってしまった」
「……蟄居、謹慎!? ……何故ですか!?」
普通、五歳児にその言葉は通じないだろう、と思うんだけど、ちゃんと通じてるあたりが、さすがうちの花嫁さんである。
「義母上が……」
「………!! 申し訳ありません!!」
レティシアが真っ青になって謝っている。
何故だ? 謝るのは僕の方だと思うが?
(義母上の行き過ぎた妄想は僕の責任なのか? とそこは謎ではあるが、レティシアと僕のあいだなら、謝るのは僕のほうだろう)
「………? 何故、レティシアが謝るの?」
「私が昨日、王太后様に御無礼したので、フェリス様が謹慎に……!! 私、いまから、王太后宮に謝りに行って参ります!!」
「え。待って。レティシア、違うから、待って」
まるでちいさな弾丸のように、走り出そうとするレティシアを抱きとめる。
嵐みたいだ。
「違いません! きっと礼儀に厳しい王太后様は、昨日の私の態度をひどくお怒りに……! ディアナの国母様に御言葉を返した罰なら、私がお受けします! 何もフェリス様の罪ではありません!」
「………、………僕の小さな騎士殿はなんて勇ましい」
フェリスの腕の中には金色の、小さなあたたかい嵐がいて、暴れている。
どうしよう。
愛しすぎて、どうにかなりそうだ。
「フェリス様、笑ってる場合じゃありません! どうか、私を王太后宮に行かせてください! このおうち用ドレスでは義母上様に失礼でしたら、すぐに着替えて参りますので……!」
「違うから、僕の愛しい姫君。僕の謹慎に、昨日の御茶会のレティシアの発言は関係ないから。……街の噂が理由だそうだよ」
フェリスは暴れるレティシアを膝にのせて、蜂蜜色の髪を撫でて前髪を掻き揚げ、レティシアの白い額に額を寄せる。
「街の噂……?」
琥珀色の瞳が、フェリスを見上げる。
「ディアナには、レーヴェの竜王剣が王を選ぶという仕来りがあって、戴冠式の前に、王となる者がその竜王剣に選ばれる儀式があるのだけど」
「まあ。竜と魔法の国らしいですね」
何故かレーヴェの剣の話がレティシアの気をそらしたのか、フェリスの膝に乗せたレティシアが少し穏やかになる。レーヴェって、こんなときにも、有効なのか……?(ディアナには子供が泣いたら、竜王様の話をしろ、という教えがある)
「街で、兄上が竜王剣を抜けない、と不敬な噂があったらしく……」
「それは困った噂ですが、何故それでフェリス様が謹慎に?」
「義母上が、そんなひどい噂はフェリス派の仕業に違いない、と」
「フェリス派とは何でしょう? 私以外にもフェリス派の方が?」
「………、いや。フェリス派はレティシアだけだから、ただの義母上の勘違いなのだけれど」
笑ってる場合ではないのだが、私以外にもフェリス派の方が? と首を傾げるレティシアが可愛らしすぎて笑ってしまう。
「……フェリス様! 笑ってる場合ではありません! それでは、私やはり、王太后様のもとに参りまして、この大いなる誤解を解いて参ります! 私のような小娘の言う事は聞いて下さらないかも知れませんが、フェリス様は無実です! て座り込みして参ります!」
「こんな可愛いレティシアを、一人で義母上のところにやるなんて、とんでもない。そんな危ない」
「でも、フェリス様……!!」
「謹慎を言い渡した者いわく、兄上が謹慎をといて下さるだろうから、暫しの御辛抱を、とのことだった。どうなるかはわからないが、暫し骨休めかな。……レイが、レティシアとゆっくりしろ、て」
「それはとっても嬉しいですが、フェリス様にあらぬ嫌疑がかけられているのが不満です!!」
うちの小さな花嫁様はとんでもないから、フェリスがレティシアを抱く腕を緩めたら、本当に王太后宮に飛んで行くのかも知れない。物凄く無鉄砲な妖精が家に棲んでるようだ。
「レティシアは、いつも僕のために怒る」
「推しの名誉を回復するのは信者の務め……!! あ、貴婦人にあるまじき振る舞いなら、すみませ……!!」
「謝らないで? 僕の為に怒ってくれるレティシアが可愛いすぎて、何だか、生きる気力が湧いてきた……」
あまりの言いがかりに、本日は義母上に逢ってもいないのに気力が削られたが、こうやってレティシアを膝の上にのせていると、魔力が底なしに湧いてくる。
僕の花嫁が、僕の為に必死過ぎて、あまりにも可愛くて、誰かが自分の為に義母に怒ってくれることに慣れてなくて……、この幸福感を、どうしたらいいんだろう……。
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