第125話 あなたのいる世界について、あなたのいない世界について
「うみー」
碧い空の下で、白い波が静かに寄せては返す音を聞いてたら、ひらがなで話してしまう。
レティシアは二十七歳だった雪でもあり、生まれて五年のレティシア、でもあるので。
このちいさな幼い身体の気持ちが、大人の記憶のある意識より、もっと前に出てくることもある。
嬉しくて嬉しくて訳もなく走り出したいとき、泣き出したいとき、どうしても我慢できなくてお義母様に怒りたかったとき、理由はわかんないけど一人にさせちゃダメ、フェリス様のとこにぜったい行かなきゃダメ! と思ったとき。
そういう、頭で考えるよりも素直な身体の気持ちは、転生したいまのレティシアだけでなく、本当は前世の大人のレティシアにもあったんだと思う。
もうあそこに行きたくないよ、もういやだよ、眠りたいよ、泣きたいよ、休みたいよ、遊びたいよ、ねぇもうがんばれないよ、ていっぱい言ってたろうに、前世だと、常識や、言葉で綴る表層意識の方が強いから、その本当の望みをちゃんと聞いてあげられなかった。
フェリスの腕に抱かれて、馬上から、碧い碧い空とつながる碧い碧い海を眺めてると、見たことない程に世界は美しくて、とても幸せで、そして少しだけ寂しくなった。
まえのわたしのからだ、もっと大事にしてあげられなくてごめんね。お父さんとお母さんのぶんも長生きしなきゃ、て思ってたのに、日本の我が家、私の代で絶えさせちゃってごめんね、と。
千年続く竜王家の末裔で、うちの御先祖燃やさないでくれ、とお散歩デートしてても、普通に世の中で起きてることに干渉してしまうフェリス様といるから、そんな風に思うのかもだけれど。
「フェリス様、さっきのお花、フェリス様……?」
ですよね? と控えめに尋ねてみる。
「うん。でも内緒ね」
碧い海ばかり見てた視線をあげて、レティシアはフェリスを見上げてみる。
「どうして、内緒……?」
水戸黄門みたいに(!?)、フェリス様出ていってあげたら、ディアナの街の人もはしゃいで、きゃっきゃっ喜びそうなのに。
「うちのレーヴェがやつあたりみたいに燃やされなくて、街の人の安全が脅かされないなら、それでいいから? 何も僕が悪目立ちしなくても」
「でも、街の人は、フェリス様が守ってくれたて知れたら、嬉しいかも……」
「市中の警備は僕の仕事じゃないから、人の仕事をとってはいけない。
だいたい僕はそれでよく怒られる。……レティシアの髪、いい匂いがする」
「あ! 髪はね、フェリス様の領地で作ってらっしゃる薔薇の石鹸で洗ってもらっててね……この薔薇の石鹸、凄ーくいい匂いで優れものなの! あ、すみません、言葉が……」
この薔薇の石鹸、有名で、異国から買い付けに来る商人が競って奪い合うんですよー、と髪を洗ってくれながら、リタが自慢していた。ディアナの人の、お国自慢、可愛い。あ、ご領地自慢、かな?
「敬語じゃなくていいよ? レティシアは僕の部下じゃなくて、僕の妃になるんだから」
「……でも、きっと、敬語にはなっちゃう……」
「……僕とは、心の距離があるから?」
「ち、違います! ……そんなのじゃなくて! フェリス様は……えーっと、えっと、年上だから?」
心の距離があるとかじゃなくて。
たぶん、いま、フェリス様は、レティシアにとって、この世界で一番近しくて信頼している人だけど、……なんとなく、敬語にはなってしまうの!!
「それはそうだけど……、レティシア、女官には普通に話してるようだから、僕にも普通の言葉で話してくれたらいいな、と……あんまりずっと敬語で話されると、距離感じるから」
「じゃあ、ときどきは。……ずっとは、逆に緊張します!」
「よくわからないけど、レティシアの楽なほうで」
「はい」
波の音だけ聞いて、白馬の背で揺られながら、ずっとフェリスと他愛ないことを話していた。
馬に二人乗りしてるので、ふたりの距離がとても近くて、何を考えてるのか全部はわからなくても、フェリスもこの散歩をとても楽しんでいることは、レティシアにも体温で伝わった来た。
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